生きるよすがとしての神話

書影

ブルータス 特集 村上春樹 上「読む。」編
https://note.com/seishinkoji/n/n20d43d33cda0
で、紹介されていたということもあり本書を読んだ。(僕は文庫版にて)

村上春樹さんの紹介文の一部を引用してみる。

 人は-意識的にせよ無意識的にせよ-共同認識として「神話」を持たないことには、うまく自然に生きていくことはできない。十全に生き延びていくことはできない。それはとりわけ小説を書く人間にとって、きわめて重要な意味を持つ命題となる。神話と物語は、ある意味では表裏一体であり、同義であるわけだから。
(引用ここまで)

また、僕が大好きなジョーゼフ・キャンベルさんの言葉は星野道夫さんの著書でも紹介されている。
https://note.com/seishinkoji/n/n4ad4c5d014a6

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僕にとって、本書は少し難しかった。「神話」というものが全般的に、あまりにも遠い国での遠い昔のお話に思えてしまう。あるいは日々をしゃかりきに働いていると、こういうものに対して鈍感になっていってしまうのかもしれない。
もしくは、「神話が解説される」ということがなお話を難しくさせているのかもしれない。

キャンベルさんはやはり「学者肌」と感じられるところもしばしばあった。逆に星野道夫さんなどはそれらを体現した行者なのかもしれない(植村直己さんも<僕は最近2週連続で「植村直己冒険館」を訪れた>)。

むしろ僕は、春樹さんがこの本のどこに惹かれたんだろう?という思いで途中から読んでいた。春樹さんはよく「僕は縄文時代なら、夜な夜な洞穴の中で人々に物語を話してきかせるストーリー・テラーだったと思うんです、そういうことに長けていたんだろうと思うんです」みたいなことをいろんなところで言っていると思うけれど、たしかになるほど、「神話」を現代版に置き換えて受け継いでいきたい思いが強いんだろうな、と感じた。(ちょっとおおげさな言い方かもしれないけれど、村上春樹作品を通じて僕は「現代版に翻訳された神話」を読んでいる、というか)

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この手の本(と、ひとくくりにはできないのだろうけれど)を一時期たくさん読んでいて、それにとらわれてしまってしんどくなった経験がある。解放されたいと思っているのに逆にしんどくなる。そんなとき、フィジカルに意識をおいて生活することでかなりらくになった。

いつからか「エゴ」なるものに敏感になってしまった。良くも悪くも。

流れて通りすぎるものに心地よさを感じるようになったのかもしれない。

最後に、本書の最後の9行を引用します。

 新しい神話とは、昔から語り継がれてきた、永遠性のある、不朽の神話を、それ自体の<主観的な意味で>詩的に再生したものです。それは記憶に残っている過去のことや、予想される未来のことではなく、現在のことを詩的に語ったものでなければなりません。このことは、私たち人類が地球に存在する限り変わらないでしょう。新しい神話は、ある特定の「民族」のちょうちん持ちをするために書かれたものではなく、人々を目覚めさせる神話です。人間はただ(この美しい地球で)領地を争っているエゴどもではなく、みなが等しく「自在な心」の中心なのだと気づかせる神話です。そのような自覚に目覚めるとき、各人はそれぞれ独自のやり方で万人や万物と一体となり、すべての境界は消失するでしょう。
(一九七一年)

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【著書紹介文】
ジョージ・ルーカスら多くの作家が愛読する神話学の巨匠の古典的名著!

洋の東西を問わず、太古の時代より、人間の生活は常に神話の語る真実と共にあった。だが科学の発達により古来の観念体系は崩壊し、文化や宗教は分離した。社会秩序と個人が重要視される今日、神話の果たす機能とは何なのか――。身近な出来事から文学、精神医学、そして宇宙に至るまで、広範な例を挙げながら神話と共に豊かに生きる術を独自の発想で語る。
多くの作家に影響を与えた神話学の巨人ジョーゼフ・キャンベル。『神話の力』や『千の顔をもつ英雄』に並ぶ不朽の名著、待望の文庫化!
解説・古川日出男

(書影と著書紹介文は https://www.kadokawa.co.jp より拝借いたしました)

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