移動祝祭日

書影

ヘミングウェイのパリ時代のメモワール。

前半は「カフェ・書店・春」について。
章でいうと「サン・ミシェル広場の気持のいいカフェ」「シェイクスピア書店」「セーヌの人々」「偽りの春」あたりが特に良かった。

後半の多くはスコット・フィッツジェラルドとのことで、いろいろと興味深く読むことができたし、フィッツジェラルド夫妻のことがますます好きになった(氏の長編小説「夜はやさし」は傑作です)。
ヘミングウェイが最初の長編「日はまた昇る」において、フィッツジェラルドの助言のもと最初の16ページをカットしたという今となっては有名なエピソードについては触れられていなかった。

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 釣り人たちと川の上の暮らし。船上生活者たちをのせた美しい艀。煙突を折りたたんで橋の下をくぐり、何艘もの艀を引っ張ってゆく曳き船。川の石堤に生えている楡の大木。プラタナスや、場所によってはポプラの木。そういう光景を河岸で眺めていると、まず孤独を覚えることはなかった。町中にも樹木が随所にあるので、日毎に春が接近しているのを感じているうちに、ある晩一陣の温かい風が吹き、翌朝には突然春になっていたりする。ときには土砂降りの氷雨がそれを押し返し、もう二度と春はこないのではないか、自分の人生から一つの季節が無情に奪われてしまうのではないか、と思うこともあった。それは自然に反するが故に、パリで唯一、心底悲しいときだった。だいたい、秋は悲しいものと相場が決まっている。毎年、木の葉が落ち、裸の枝が風に打たれて冷たい冬の光に照らされるときは、自分の一部が死んだように感じられるものだ。それでもなんとか耐えられるのは、凍った川が再び流れるように必ずまた春が訪れるとわかっているからだ。それなのに氷雨がいつまでも降りつづいて春が圧殺されてしまうと、若者が何の理由もなく死んだような気になった。
 それでもあの頃は、最後には必ず春が訪れた。が、ほとんど訪れそうもないように思えたときは、そら恐ろしい気持がしたものである。

(「セーヌの人々」の一部<P.69>より)

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 たとえ偽りの春だろうと、春が訪れさえすれば、楽しいことばかりだった。問題があるとすれば、どこですごすのがいちばん楽しいか、という点に尽きただろう。一日を台無しにしてしまうのは人との付き合いに限られたから、面会の約束さえせずにすめば、日ごとの楽しさは無限だった。春そのものと同じくらい楽しいごく少数の人たちを除けば、幸福の足を引っ張るのはきまって人間たちだったのである。
 春の朝は、まだ妻が眠っている間に、早々と仕事にとりかかった。窓は大きくあけ放った。雨あがりの道路の石畳が早くも乾きかけていた。窓に面した家々の濡れた壁も、朝の陽光で乾きはじめている。商店の窓にはまだ鎧戸がおりていた。山羊飼いが笛を吹きながら道路を近づいてくると、上の階の住人の女性が大きな鍋を手に歩道に出ていった。

(「偽りの春」の一部<P.70>より)

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【著書紹介文】
1920年代、パリ。未来の文豪はささやかなアパートメントとカフェを往き来し、執筆に励んでいた。創作の苦楽、副業との訣別、“ロスト・ジェネレーション”と呼ばれる友人たちとの交遊と軋轢、そして愛する妻の失態によって被った打撃。30年余りを経て回想する青春の日々は、痛ましくも麗しい――。死後に発表され、世界中で論議の渦を巻き起こした事実上の遺作、満を持して新訳で復活。

(書影と著書紹介文は https://www.shinchosha.co.jp より拝借いたしました)

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