思いやりと気遣いの境界

 ある日の午後、有給をとって帰宅しました。育休中の妻が目に見えて疲れていたからです。私が娘を見る間、距離をとって休むように伝え、夕食の支度をして、息子を保育園に迎えに行きました。私は家事も育児も苦手ですが、自動調理器を駆使した無水カレーは絶品でした。

 「惺仁さんって思いやりがあるよね。」

と妻に言われ、はて思いやりとは何だろうと改めて考え込みました。

 以前「思いやり」について考察したことがあります。

 思いやりの仕組みと落とし穴について述べましたが、時間をあけて読み直すと、いまひとつ何かが足りません。
 そこで思い出したのが「気遣い」という言葉です。思いやりと気遣いは似ているようで全然違う感じがします。この境界はどこにあるのでしょうか。
 手元の辞書をみますと、

思いやり…他人の身の上や心情に心を配ること。
気遣い…あれこれと気をつかうこと。

 やはりニュアンスが異なりますね。

 思いやりは「心」から発する相手の為の自然な動きであって、気遣いは「状況」から判断する人工的な動きであるようにみえます。これは言動の起点が「内」にあるか「外」にあるかの違いです。

 気を使うと消耗して疲れますが、思いやると元気が出ます。

 気持ちを柔らかくもって思いやり、豊かな人生を送りたいものです。

 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の心が思いやる相手に、そっと優しく伝わりますように。


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