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あの時代へのタイムスリップ〜「歌姫伝説」が作り出したあの時代の匂い

山口百恵、松田聖子、中森明菜、小泉今日子ら、数多くのアイドルが排出された1970〜80年代。当時、小学生だった僕は、「ザ・ベストテン」という歌番組を見ながら、日本の音楽シーンに触れていた。でも、決して裕福ではない家庭環境で、母親が一生懸命に働いている姿をみて育ったせいか、特に根拠はないが、僕は、なんとなくアイドルに興味を持つことに罪悪感を感じていた。もちろん、興味がないわけではなかったが、ちゃぶ台のようなテーブルの前でご飯を食べながら、ブラウン管の中で歌って踊るアイドル達を横目にみては、無関心を装っているような、そんな子供だった気がする。

思い返せば、あの当時のTVはバラエティ番組にもアイドルが数多く出演していたし、CMにもアイドルが起用されていた。書店では最も目のつく場所にアイドル雑誌が並び、表紙を飾ったアイドル達が自分の方に視線を向けているようにすら感じた。まさにアイドルが時代を彩っていた、そんな時代だった。

僕自身も、たしかに心のどこかに、アイドルの存在に憧憬の念を持っていたように思うが、いつからか、『ザ・ベストテン』をはじめとする生放送の歌番組が相次いで打ち切りとなり、アイドルを目にする機会は徐々に減っていった。

歌番組がなくなった1990年代以降、アイドルたちは、不遇の時代を過ごすことになる。TVの歌番組という最大の露出場を失い、レコード売り上げも頭うちの時代になった。ちなみに、当時は今のようにライブエンターテインメントが活況だったわけではなく、あくまでもレコードを売るためのプロモーションの一環という位置付けだったため、ライブ活動を中心としたプロモーションは行われていなかったはずだ。

こうして時代は流れ、世間の興味はアイドルから徐々に「J-POP」へと移っていった。僕自身も、1990年前半は、確か、BOOWYやブルーハーツ、ZIGGY、X、リンドバーグ、プリンセス・プリンセスといったバンドブームの最中にいた記憶がある。そんなアイドル冬の時代に、アイドル達にもう一花咲かせたいと願い、アイドルが輝く場所を創出するために人生を注いだ人たちが、確かにいたことを僕は知った。そう、「歌姫伝説」というアイドルイベントによって。

当時のアイドルを知るきっかけはあの元総合格闘家

大山峻護という名前をご存知だろうか。日本中が格闘技ブームに沸いた2000年代に、PRIDEやHERO'Sなどで活躍した元総合格闘家だ。僕はある交流会で大山さんと出会うと、すぐに彼の引退後の「今」を取材した。二十代前半の頃に、総合格闘技のリングで世界の強豪と戦う大山峻護に熱狂していた僕にとって、彼と出会えたこと自体が不思議で、にわかに信じがたいことだった。その大山峻護が、僕に「今の活動をぜひ知って欲しい」と言うのだから、断る理由なんて一切なかった。こうして大山さんの人生を描いた記事は、結果的に東洋経済オンラインで掲載され、とても多くの方に読んでいただいた。

大山さんとの縁には、さらに続きがあった。彼との出会いによって、僕にとって、今までほぼ無縁だったアイドルとの接点が生まれた。大山峻護さんの奥様は、元アイドルだったのだ。大山さんに奥様を紹介された時、そのあまりの美しさに、ただ者ではないことはすぐに分かったが、奥様があの河田純子だと知ったのは、僕が、大山峻護さんの取材をして数日経ってからのことだった。

もちろん、僕は当時、河田純子さんの歌を聴いていたわけでもなければ、熱狂したわけでもない。でも、なんとなく名前も顔も知っていた。だから、出会えたことに気づいたとき、ある種の憧憬の念のようなものを抱いたように思う。なにせ、当時のアイドルは、今とは違い、僕たち一般男性にとっては、TVや雑誌だけでしか見ることができない、遠い遠い存在だったのだから。

歌姫伝説とは

あるとき、大山峻護さんがFacebookか何かで、「妻が一夜限りで復活をします。」と発信した時、僕は初めて「歌姫伝説」というイベントが開催されることを知った。

「歌姫伝説」とは、1985年〜1992年にデビューしたアイドルの歌に絞って構成された、知る人ぞ知るアイドルイベントだ。アイドルデビューを目指す女の子達に「プレアイドル」として活動の場を提供し、デビューをサポートするとともに、活躍の場が少なくなっていたアイドルとのジョイント形式のライブやソロライブの制作を目的に、開催されていたという。  1992年5月5日に原宿ルイードで初めて開催されて以降、開催された公演数はなんと250本を超えたというのだから、当時のスタッフの方々のイベントにかける熱量は相当なものだったと思う。増田未亜と寺尾友美をゲストに迎えて開催された「歌姫伝説」の初回ライブ以降、フェアリーテール1st・解散ライブ、CoCo、羽田恵理香、宮前真樹、大野幹代、三浦理恵子、円谷優子、河田純子、今井佐知子の卒業ライブ、Tiara、小川範子など、数多くのアイドル達がステージに立ってその歌声を響かせてきたそうだ。きっと、アイドルに詳しい人たちからすれば、「時代がもう少し早ければ」と思いたくなるようなラインナップなのだろう。

そんな歌姫伝説が、1995年9月18日にクラブチッタ川崎で開催された「歌姫伝説9」以来、23年ぶりに開催されるのには、もちろん、大きなワケがあった。

「10代の頃に出演させていただいた『歌姫伝説』。当時お世話になったスタッフのケンちゃんが昨年天国へ旅立ちました。そのケンちゃんの追悼liveが開催されるとのことで、主催者さまよりご連絡をいただきました。色んな思いを巡らせて……。今回10年ぶりにステージに立たせていただくことになりました。」(原文ママ)

大山峻護さんの奥様である河田純子さんのブログでこう綴られた文章を読んで、僕の胸は急にアツくなった。あの当時、僕が知らなかった時代の熱がそこにあるんじゃないか?と思った。河田純子さんのステージを観たいと思った。あの時の空気を、あの時代の熱を感じてみたいと、純粋にそう思った。

こうして、初開催から25年の月日が経った「歌姫伝説」を僕は目撃することになったのだ。そして、一夜限りの復活を遂げた河田純子を目に焼き付けたのだった。2018年9月17日、新宿LIVE村で。

時代の熱を感じたステージ

僕は、今回、河田純子さんの取材という形で、カメラマンとして関わらせてもらったのだが、スタッフの方々と挨拶を交わしたり、会場内のことやイベントの進行のことを教えてもらいながら、イベントに関わる方々の素晴らしい人柄に触れることができた。なんでも、「歌姫伝説10」の舞台監督・音響・照明・映像・運営制作の各スタッフは、全て亡くなった「ケント君」が生前に苦楽を共にした人間で構成したという。

定刻になり、ステージには、アイドル達が続々と登場し、ステージ上で、若かりし日に戻ったかのような煌びやかなパフォーマンスを披露した。はじめは、周囲を気にしてか、落ち着いて観ていたファン達も、アイドル達がステージ上で発する熱とともに、徐々にウォーミングアップを済ませていったようだった。

メインキャストの一人である伊藤智恵理さんが登場すると、昔と変わらぬ細身のスタイルと、ハイトーンで圧倒的な歌声で、会場内のファンの視線を釘付けに。また、もう一人のメインキャストである羽田えりかさんが登場すると、明るい歌声とユーモアの効いたMCで、場内はアットフォームな雰囲気に包まれた。

そして、この日のハイライトは明らかに、河田純子さんのステージだった。とてもデビューから30年も経っているとは思えぬ美しい姿で登場すると、芯の通った力強い歌声と、幸せを振りまくような笑顔で、当時のファンはもちろん、私のように当時のことを知らない人間までもを、一気にあの時代へ引き込んで行った。ファン達は、一気にヒートアップし、ペンライトやうちわを振りかざす。時折「純ちゃーん!」という掛け声が場内に響き渡る。そんな盛り上がりを見せる場内で、我が妻がステージ上で輝く姿を暖かく包み込むような視線で見守る、夫・大山峻護さんがとても印象的だった。

また、この日会場には、大山峻護さんや河田純子さんが普段から交流している仲間たちがたくさん訪れ、普段観ることのできないステージ上の「アイドル・河田純子」に大きな声援を送っていた。彼女の圧巻のパフォーマンスを観ながら、若かりし日の記憶を辿った人も多かったのではないだろうか。

2人が送った感謝の言葉

一夜限りの復活を遂げた河田純子さんと夫の大山峻護さんは、終演後に行われた打ち上げ終了後、大切な仲間たちに以下のようなメッセージを送った。

「今日は皆さん本当に本当にありがとうございます!!!!妻純子は沢山のプレッシャーを感じながら本番に突入しました!でも皆さんの応援のお陰で素晴らしいライブを見せてくれました!本当に皆さんのお陰です!本当にありがとうございます(⌒▽⌒)」(大山峻護)

「みなさま!本日は本当に本当にありがとうございました!みなさんの温かな応援がどれだけのパワーになったか。。。(涙)心から感謝の気持ちでいっぱいです。天国へ旅立ったケンちゃんも笑顔で楽しんでくれていました。みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。本当に本当に、ありがとうございましたm(_ _)m❤️ 純子」(河田純子)

と天国へ旅立った「ケント君」への想いと、一夜限りの復活の日に駆けつけてくれた仲間たちに感謝の気持ちを綴った。

この日のためにヴォイストレーニングに励み、筋力トレーニングで身体を作って当時のパフォーマンスを再現したアイドル達、イベントに人生をかけたスタッフ陣たち、そして会場に応援に駆けつけた仲間たちが一体となって作り出した空間は、確かに「あの時代」の匂いを作り出していた。そこには僕が知らなかった「あの頃」の熱が、確かにあったのだ。


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