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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#14~南東北周遊(2)【今泉→荒砥→山形→左沢→仙台】

 山形鉄道の中心地長井駅に15時11分に到着。スタンプを押してもらい、若干の食料を駅近のコンビニで仕入れて駅に戻る。駅舎は綺麗なだけではなく、随分と大きくて立派である。トイレに行くと、隣に立った人の胸元の名札の「長井市建設課」という文字が目に入った。市民センターや交流施設との一体型整備駅舎は最近多く建てられているが、この長井駅は市役所そのものと駅が合体しているのであった。

 新しい市役所らしいデジタルサイネージ等を眺めて時間をつぶして、16時34分発の列車で終点荒砥駅に向かう。もはや完全に空は暗くなっている。ロングシートの車両にはローカル線の頼みの綱の高校生の姿も少なく、派手な鉄道むすめのラッピングをした列車は5時前に真っ暗な荒砥駅のホームに静かに滑り込んだ。
 駅前ロータリーに出てみるが、みぞれ混じりの冷たい雨が吹き付けてくる。荒砥は三角屋根の洋風テイストなおしゃれなの駅舎で、この時間はライトアップもされていて中々綺麗なのだが、傘を持ってない私にはその優美さを楽しむ余裕はなく、這這の体で駅舎内に舞い戻った。

 荒砥駅からは今日泊まる山形市内までの直通バスが出ていて、赤湯経由の鉄道ルートより1時間早く着くのだが、バス発車までの小一時間をこの極寒の地で過ごす勇気がなく、私は17時19分発の戻り赤湯行きに乗り込んだ。車内の暖気であっというまに睡魔に襲われ、荒砥では3人だけだった客が途中からは高校生たちでほぼ満員になったことにも気付かないままであった。
 赤湯駅でまた30分という中途半端な待ち時間を過ごして、奥羽本線の各駅停車に乗り継ぐ。「茂吉記念館前」というバス停のような名前の駅を過ぎて、相変わらず冷たい雨がしとしとと降る山形駅に18時28分に着き、あまりぱっとしなかった今日の旅は終わった。

 12月7日(水)朝7時、山形駅6番線には「FRUITS LINER」という文字が側面に描かれたディーゼルカーが留まっている。今日はこの旅で唯一のJR未乗線である左沢線24.3キロを往復して、山形から仙山線で仙台に戻る予定としている。7時4分発の左沢行き各駅停車は地方線には珍しく6両もの長い編成で、高校生を中心に適度な混雑具合である。

 発車して次の北山形駅までは奥羽本線の上を走り、左沢線単独になると朝日岳を中心とした山々の雄姿を望みながらゆっくりと寒河江に向け進んでいく。山頂は白く染まっているが、平地には雪はない。羽前金沢、羽前長崎と「羽前」がなければここはどこなのかというような小駅を順に過ぎると、悠々と流れる最上川を申し訳なさそうに静々と渡っていく。いつもの列車最後尾に立って流れていく田畑と川辺の景色を撮影するが、この列車の主役である高校生の視線が気になってすぐに席に戻った。

 やがて列車は寒河江市内に入っていく。この「さがえ」という難読地名の由来には諸説あって、この地への移住者が出身地の相模国「寒川」に因んで名付けた、あるいは北条執権家を支えたかの文官大江広元が「寒い河」に自分の名字の「江」の一字をつけた、などと言われている。何れにしてもその漢字を書くだけでひんやりとした空気を感じてくる。
 寒河江駅8時12分着、交換のため6分間停車するので、ホームに出て名産のサクランボを模った駅名票や駅舎の写真を撮っていると、「後ろ4両を切り離しますので、左沢方面へ行かれる方は前2両にお移りください」とのアナウンスが聞こえてきた。やれやれと思いながら前方へ移動してみると、先頭車両も2両目も既に超満員状態でとても乗り込めそうにない。おまけにこちらはキャリーケースなどを持っているので大迷惑な存在なのだが、留萌本線の時と同じように駅員にお尻を押されて何とか車内に詰め込まれた。
 
 女子高生とドアの間に挟まれて圧死しそうになりながら、列車は約4分で次の西寒河江駅に到着したが、ここで95%以上の客が降りて、車内の客は一気にひとケタとなった。地図を見ると県立寒河江高校というのが西寒河江駅の目の前にある。彼らは毎日このたった一駅のために2両編成に押し込まれている訳で、寒河江で4両を切り離すJRが極悪非道に思えるが、逆に寒河江から山形市内の高校に通う大勢の生徒を捌くための車両も必要な訳で、つまるところ左沢線全体のラッシュ時の運用車両が足りないのであろう。かといって車両を増備しても朝夕以外は余ってしまうに違いなく…… などと私はJR職員でもないのにあれこれと考えた。

 とにかく一瞬で超満員の高校生たちが蒸発したディーゼルカーはほぼ空気輸送のまま、鍋鉉のように蛇行しながら最上川を抱くように進んでいく。西寒河江駅から13分走った9時52分に終点左沢に着き、私の未乗線区は一つ減った。
 左沢(あてらざわ)というのも寒河江に負けず劣らずの難読地名である。改札横には『駅名の由来』という看板が立っているが、字が殆ど剥げていて何も分からない。帰宅後に調べてみると、「あちらノ沢」が転訛した、日の当たらない土地を称する「アテ」から転訛した、アイヌ語の「楡の木のある所の下流の沢」から由来する、等またまた諸説あるようである。最後のアイヌ語由来説の楡は「オヒョウニレ」であり、これは北海道の厚岸の由来と同根であった。

 山形への戻り列車が出るまで僅かの時間しかないが無人の改札を出てみる。空気が澄んでいて、列車からも見えた朝日岳がより近く明瞭に見える。地名の由来ははっきりしないが、大江広元が治めていたことには間違いなく、左沢地域も行政的には西村山郡大江町に属している。最上川を利用した河川海運の中継地として栄えた歴史があり、駅前には船頭さんをモチーフにした顔ハメ看板がある。駅名票は黄色いラ・フランスの形であった。

 左沢駅7時59分発、寒河江駅で往路とは逆に4両を連結するが立ち客が出る程ではなく、のんびりと山形に向け進んでいく。
 8時47分に北山形駅着、終着山形のひとつ手前だが、仙台へ向かう仙山線にはここで乗り継げるので下車する。左沢線のホームと仙山線ホームは全体が扇形になった駅構造の両翼にあり、上空写真で見てみると何とも美しい形をしている駅である。
 やがて山形始発の都会っぽいE721系車両が入ってきて、私は仙台に運ばれる身となった。かの有名な山寺を遥か上方に眺め、山形宮城の県境越え地点の面白山高原付近ではこの旅で唯一の本格的な雪景色を見ることができた。
 宮城県に入ると雪は綺麗さっぱりとなくなり、仙台の奥座敷の作並温泉駅、野球で有名な東北福祉大学前駅と過ぎて、10時22分に都会の喧騒が響く仙台駅に到着した。その後あの長い長い連絡通路を歩いて仙石線でフェリーターミナル最寄りの中野栄駅に行き、やがて私は船上の人となった。

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