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わたしが断捨離が大っ嫌いな理由

おはようございます。

今日は朝から飛ばした記事になります。

わたしは、「断捨離という言葉が大っ嫌いです。ついでに、ミニマリストやノマドといった考え方や行動も嫌いです。

以下に理由を述べます。

1.断捨離の必要性

2.断捨離の危険性

3.断捨離による経済や社会への影響

以上、3点です。

1.断捨離の必要性

まず、断捨離の概念について、わたしは断捨離を、「自分からモノを断ち、いらないモノを捨て、モノへの執着を切り離す」と理解しています。

現代人にとってこれはいるだろう、というモノは大半の人はスマホ、と答えるでしょう。仕事、連絡、交流、自己表現、ほぼ全てスマホできてしまいます。「断捨離」を勧める人もスマホは捨てないでしょう。

では、断捨離をすることのメリットはなんでしょうか。わたしはモノへの執着心を捨てる、ということが断捨離の本質である、と考えています。

なんだ、断捨離のメリット分かってるじゃないですか。

と思った、あなた。わたしはそこに疑問を持っているのです。

モノを使ってモノを作り出せるのはヒトと知能の高い動物のほんの数種類しか地球上に存在しません。モノとは使い方によってさまざまな価値観や付加価値を生み出せるものです。新しいモノへの興味心や今ある不要と思っているモノの使い方を改めて考え直すことなく、「断捨離」してしまうのはただの思考停止だと、わたしは考えます。

2.断捨離の危険性

次に、「断捨離」の危険性について話します。

「断捨離」を推し進めてトラブルになる事例はよく見受けられます。夫の趣味のモノを勝手に捨てたら離婚問題にまで発展した、とか、子供のゲームを勝手に売ったら子供とコミュニケーション取れなくなった、とか、昔からよくある話に、「断捨離」というワードが乗っかってるだけです。

そして、この「勝手に」というのが重要なワードとなってきます。

「断捨離」を勧める多くの人は、「断捨離」が正しいと思っています。当然ですよね。勧めるくらいなんですから。

ですが、「断捨離」を理解できないという人も多くいます。「断捨離」を勧める人にとって「断捨離」を理解できない、という人は「邪魔な存在」、「頭の悪い人」、「断捨離の良さが理解できない可愛そうな人」と、分類され、ここに明確な差別意識が生まれるのです。

ハッとした人も多いはずです。なぜなら自分の中の正義は他人の正義とは限らない、という前提を「断捨離」してしまっているからです。

3.断捨離による経済や社会への影響

「断捨離」をする上で、見逃せないのが経済や社会への影響です。

近年、メルカリなどのフリマアプリの存在で、自分の家にある不要品を、今までゴミ箱に直行していたモノを「とりあえず売ってみよう」と考える人が増えました。

わたしは、これに対しては非常に良いことだと思います。リユース(再利用)の概念に基づいて、自分は不要だけど、もしかしたら必要と思う人がいるかもしれない、と考えるのは、先に述べたように今ある不要と思っているモノの使い方を改めて考え直す、というアクションだからです。

ですが、「断捨離」は違います。捨ててしまう。そして新しいモノへの興味も、住居も、ヒトとの繋がり、世界との繋がりさえ捨ててしまう、危険な考え方だとわたしは思ってます。「断捨離」を是とする考え方が広まることは、経済にとっても社会にとっても悪影響だと考えます。

元々「断捨離」はヨガの精神、つまり宗教的戒律で、悟りをひらくための精神的トレーニングのひとつだったはずです。

わたしの思う、「断捨離」とは

「自分の中での雑念や邪念を断ち、不純な動機や企みを捨て、世俗や誘惑から離れ、求めよ、さすれば与えられん」

後半は、「新約聖書」ですが、実際「神」や「仏」に救いを求める考え方はあまり日本人に馴染みがないので、わたしなりの解釈として付け加えました。

まとめます。わたしは「今流行している断捨離」を悪い考えと思っています。ですが、精神的トレーニングとしての「断捨離」は正しいと思っています。


ちょっと朝からヘビーな内容でしたかね?

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

ゆっくりコーヒーでも飲んで日曜の朝を楽しみましょう。

コメント、反論、なんでもどうぞ。あなたの考えお聞かせください。


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