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何かを学ぶ時には、教えている人を見るだけでは十分ではない

私が何かを学ぼうとする時には、教えている人ではなく(もちろん、教えている人も見ますが)、その人から一定期間、学んでいる人の方を見るようにしています。学んでいる人が、教えている人を一番表すと思うから。

英語学校で教えていた時、他の先生が休みの時などに、他のクラスに代講に行ったりすることがあったわけですが、行くクラスクラスで、生徒さんの感じが全然違うことに気づくのですね。

ものすごく真面目なクラス、萎縮しているようなクラス、開放的なクラス、などなど。そのクラスの生徒さんの感じで、先生がどんな人なのか、だいたい想像できてしまいました。

私はカウンセリング機関での受付をしていたこともあるのですが、慣れてきた頃には、クライアントさんが受付に来た時、どの先生のクライアントさんか知らなかったとしても、なんとなく、どの先生のクライアントさんか、推測できるほどにもなっていました笑

それくらい、人は影響を受けるものなのだということですね。

そして、教える人の側だけ見ていると、抜け落ちることがたくさんあります。

例えば、周りの先生の評判がすごく良くて、どんどん昇進していく先生なのだけれど、その先生の担当のクラスに行ってみたら、空気がよどみきっていた、なんていう場合もあるわけです。そういう場合は、もう完全にアウト。

その先生が、クラスで何かをしでかしているに違いないのです。

学んでいる人の方を見る、というのは、その生徒さんたちの実績を見る、というのとも違います。

生徒さんに無理やりやらせて実績を作らせることは、やろうと思えばできてしまうから。学校の部活の指導ではものすごく実績をあげている先生が、担当しているクラスの状態が学級崩壊なみに荒れているというような場合もあったりします。

だから、生徒さんが実績を上げていることを宣伝されたところで、私は「そうなんですね〜」としか思いません。

その教えている人の元を離れた時、どうなるのか? そっちの方が大事です。それが本当に育てるということだと思うから。

だから、学んでいる人を見る、というのは、目に見えてはっきりしたものを見るのではないわけで、なんというか、その学んでいる人たちの雰囲気をキャッチするというか、そんなようなことです。楽しそうなのか、悲しそうなのか、窮屈そうなのか、元気そうなのか。

その感じが自分に違和感がないところで、学ぶのが一番良いと私は思います。そこにいれば、どうしたって、そういう人たちに近づくことになるわけだし、そういう場所で、本当の意味で、成長できると思うから。

こういうことを書くと、教えている身としては、自分の首を絞めている気がしないでもないですが笑、何かを学ぼうとしている人の助けになればと思って、教えている側にしか書けないかもしれないことを書きました。


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