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ACT.90『追いかけの人』

小さな鉄道

 苫小牧駅に向かって駅に向かう中心、大通りを歩いていると何やら公園に蒸気機関車が居るのを発見した。近くには看板も設置されている。
『王子製紙 軽便鉄道』
と記されていた。そういえば近くに工場があったっけか。昨夜深夜に運転所付近を歩いていた際にも、製紙工場らしき建築物や煙突の立ち並ぶ姿を見たような記憶が残っている。
 最初、この機関車と客車に関しては何気なくの撮影で記録に打ち込んだが、実は記録した後に歴史的な車両である事に気付いたのであった。

 解説の看板もある。
 かつては退役してから東京に保存され、市民たちの熱い願いによってこのかつての活躍場所である北海道は苫小牧に里帰りを果たしたようである。
 かつては支笏湖まで線路が伸びており、明治41年に千歳に発電所を建設する為の鉄道路線として開通したのが始まりのようであった。
 この場所にいる蒸気機関車は、『山線』で活躍した蒸気機関車のようである。『山線』というワードで気になったのが、
「そもそも、山線があるという事は海線もあるのだろうか?」
という事。これに関しては、詳細がネットの方で記されていたのであった。(というかネットの方が説明が細かい)

 『山線』というのは、苫小牧に於ける軽便鉄道の位置付けのようなものだ。
 王子製紙軽便鉄道は別の路線もあり、山線の対義語として海岸沿いを走行していた『浜線』という路線が存在していた。
 ちなみに保存されている機関車は『4号車』という機関車で、王子製紙軽便鉄道の蒸気機関車として最後の生き残りである。屋根付き保存という絶好の環境からも、苫小牧市がこの保存車を大事にしたいという精神が垣間見えるのであった。
 軽便鉄道は苫小牧から千歳まで1時間40分ほどの時間をかけ走行していた。しかし、徐々にバスの時代が軽便鉄道にも到来し拍車をかけてくる。
 王子製紙軽便鉄道は昭和26年に惜しまれながら廃線となる。
 現在、廃線跡はサイクルロードとして新たな観光産業の柱となった。

 実はこの保存車、この客車が素晴らしい経歴を持っているのであった。
 蒸気機関車に連結されているのは、『貴賓車』という客車である。現代でいう『お召し列車』のような存在であり、皇族や天皇関係者が鉄道を利用する際に連結される特別な車両である。
 この『貴賓車』は大正10年に発電所の視察に発電所をご視察された皇太子さま…(後の昭和天皇)がご乗車された貴賓車である。
 『貴賓車』という特殊ジャンルの保存車も全国的に少ない中で、こうして屋外であれど屋根付きの保管がなされている事には大いなる感謝の念が広がるばかりだ。

 ちなみに後方、車両回って貴賓車の妻面。
 モダンな屋根のカーブがよくわかる。
 そして突き出ているのは手ブレーキだろうか。
 現代の車両では見られないような構造。そして車両の手が込んだ質感には魅せられるものがある。
 現在は褪色気味だが、いつの日か大正時代のような光り輝く時が来ればその際は非常に嬉しい。
 次回訪問時にはどうなっているだろうか。

 こちらは逆に回って蒸気機関車・4号機の方の顔。軽便鉄道…として車両の大きさは非常に小柄なのだが、それがまた車両のサイズの良さを出している。
 ナンバーは特に形式名が振られている訳ではなく、『4』の数字だけである。
 王子製紙軽便鉄道では、8台の蒸気機関車が活躍した。
 その際、1号機と2号機は米国からの輸入となったが残りの6台は小樽市の製作所で製造された。
 撮影してからの感想になってくるが、背景の緑が軽便鉄道らしさを引き出しているように思う。後からの感想にはなってしまうけど、全く。

せっかくなので

 蒸気機関車と客車の連結面も、この際なので見ていく事にした。
 機関車と車両同士を連結させているのは少し特殊な連結器のようである。最初、この機関車たちを発見した際にはイギリス発祥の鉄道絵本『きかんしゃトーマス』シリーズに登場してくるネジ式の連結器かと思った…のだがどうやらそうでもないらしい。後方に回って、その連結器を確認してみよう。

 こちらが、客車に装備されている連結器である。
 平べったい形状をしているのが特徴だ。
「なんなんだ…これ…」
という興味本位な撮影を終え、
「あとは京都で調べたらええか」
なんて思って少し放置気味にしていたところ、この記事の執筆過程に入ったので連結器を調査した。
 この連結器は、『朝顔型連結器』と呼ぶそうである。
 別名はピン・リンク式連結器。
 軽便鉄道ではよく用いられる方式であり、平べったい連結器の奥にはしっかりとバネが装備されており跳ね返す緩衝機能も搭載だ。
 米国では1800年代(日本で言うと江戸時代くらいの話)末期まではこの朝顔型の連結器を使用していたのだが、日本は軽便鉄道の末期までこの1本の朝顔型連結器の使用をしていたようである。
 まさかの我が国でよく普及していたものだったとは、この時知る事になるのだった。

 客車…貴賓車の台車は現代の車両と比較すると実に簡素に仕上がっているように感じられる。
 軽便鉄道での使用…として考えるのであれば、地に足を付けて自走できたら良いのでこの程度で良かったのだろうか。実際に要人を載せて走行する際の乗り心地が良かったかどうかはわからないけど。

 機関車を改めて。
 軽便鉄道として、そこまでの出力…速度は出ないのは性能、用途と色々あるだろうと思いながらこの車両を眺めていたが、実際にスペックはそこまで高くないようで最高時速も30キロに達するか達さないか程度であるようだ。
 軽く不意に寄った苫小牧の公園で、こうした出会いをする事になるとは思わなかった。良い経験だったように思う。

さらば苫小牧よ!

 苫小牧を離脱する事にした。
 正直、北海道の中ではもっと栄えているのかと思ったら駅が広いだけでそこまで…なのかなぁという感じにもなったし、自分としてはもう少し1日かけてじっくり見たいような。そうした気分になりつつ、本命を思い出して札幌駅に向かう事にする。
「実際、何をしたら良いもんか分からんなぁ…」
このまま千歳線に乗車して新球場でオリックス戦を観戦するかも直前まで迷ったが、今回は別の本命があるのでそちらに。
 しかし、この町にはだいぶ長いこと滞在したような気がするのであった。
 千歳線と室蘭本線の交点である北海道都市圏の結節点としての機能を持ったこの土地での過ごした時間は、様々な体験を与えてくれる時間だったように思う。

 駅構内に入ると、キハ261系1000番台による特急/北斗が発車しているところに遭遇した。
 この躍動感を感じさせるエンジンサウンドを耳に入れる事が出来る機会も、あとわずかになった。
 図鑑の中や書籍媒体では青い姿に慣れてしまったこの車両のイメージは、今回の北海道旅で随分とアップデートされたような印象を感じるのであった。
「ま、白い顔も良いじゃあないか。」
今回の旅を契機に、そうした思いが多く詰まるのであった。
 ちなみに。
 京都に帰郷してから、この車両に関してのニュース…というかNゲージの製品化情報で
『キハ261系1000番台新塗装 石勝線仕様発売』
とのニュースがタイミング良く入った。
 が、まだ購入には至らず悶々としている状態なのであった。買うなら買うで早くしないと行けない状況、まだ深い地団駄を踏んでばかりいる。
 この期間に見かけた北斗も。おおぞらも。互いに編成美に精悍な格好よさに魅了されてしまったもので、購入に関しては真剣に考えていきたいところである。
 という、中々に関係ない話でしたとさ。

 ここから千歳線に乗車し、ようやく思念の殻を破る事にする。
 乗車し向かうのは札幌だ。
「考えていても仕方ない…」
と言うのか、ようやく重い腰を上げて行動に移したとでも言おうか。ようやく都市圏に出て、行動の腹を固めたようなものであった。
 車両は再びいつものように…となった733系電車。
 何度も記しているが、JR北海道のエース的な通勤電車。快速/エアポートで活躍する仲間も在籍しているが、この苫小牧では3両編成でのラフな姿で入線してきた。
 733系の解説を『今更』する事にしよう。
 731系をバックに開発された電車で、この3両編成の仲間は平成24年から4年間生産が実施された。
 外板はステンレスで設計されたが、車両製作の際にレーザー溶接を用いているのでシンプルな仕上がりになっているのが特徴である。但し窓下で外板を重ね合わせたヶ所が残っているようだ。
 そして、733系を見た時、731系と比較して感じる差。
『車体の広さ」
に関してだがこれには明確な差があるようだ。

※南千歳でラストスパートに備える733系3000番台。
733系3000番台は快速/エアポートにて活躍し、更に国鉄時代から寒冷地の車両に継承されてきた『雪切室』を廃止しているのであった。

 平成8年に製造された731系では2800ミリの車体幅になっているが、733系では2892ミリとしている。そして床面の高さを下げているので車体の裾は大きく絞られた。
 車内設備に関しては車両設置のトイレを大型化した。この為、扉の位置も少しだけ731系と比較してずれている。
 運転台機器類に関しては基本的に先代の車両、731系を踏襲して活躍している。更に、運転台に関しては721系からずっと脈々受け継がれている左手式のワンハンドルマスコンである。
 と、こうして解説を供えた辺りで最後?になりそうな733系に乗車して千歳線を駆け抜けていこう。
 千歳線は蒸気機関車たちが活躍をしていた時期から続く列車間隔の狭い路線であり、優等列車たちの街道であった。そうした中を、最新鋭の電車は走行していく。
 既に優先座席を橙とし、通常の座席をブルー系にしたモケットは見慣れた景色となった。
 少しづつ増えた乗客を横目に、今日の本命としたロイヤルエクスプレスの追跡に力を入れる。
「うーむ…イマイチしっかり分からないぞ…」
あまりにも高い壁のように見えた。
 そうしているうちに、札幌に到着するのであった。ここからどうやって動こう。

第二の道へ

 散々考えまくった挙句、自分が到着したのは札幌駅下のバスターミナルであった。この場所からは、道内各地へ高速バス・路線バスが網目のように広がっている。鉄道に負けず劣らず…というのか、北海道はバスの路線網が高速・一般路線共に発達しており、中には鉄道よりも安価な値段で遠距離に行く事も可能なのである。
 と、先ほどの一文で分かった事はあるだろう。
 そう。鉄道での移動が想像を超えた値段だったのである。
「もう少し余力を持たせておいた方がこの場合はええかなぁ…」
そう自分の資金と相談した感じで、自分はバスの方に回ったのである。
 ロイヤルエクスプレスは昨日(北海道訪問時)、石勝線を経由して釧路方面に向かっていた。そして、最終的には北見に出て石北本線に乗っかる。
 その後は旭川に出て、最終的には函館本線に入り札幌都市圏に入ってゴールといった形であった。
「今日はどうやら石北本線に入って旭川らしいなぁ…」
ここまでは想定内の情報であった。ただ、目撃がない上に写真も即時性がないもの…
 撮影日が昨日だったり一昨日だったりと情報に欠けているので、取り敢えず祈るような…というかヤマカン頼りにしてバスターミナルへ出た。
 ちなみに、であるがこのバスターミナルはTVアニメ『天体のメソッド』に登場した事でも知られている。
 自分の中ではこの写真を撮影できた瞬間に真っ先に
「あぁ、ここにキャラの姿が…!」
と日本のアニメの聖地トレース力の底力を感じたのであった。(其れはいる情報なのか

 高速バスには、多くの乗客が詰めかけているのであった。
「こんな中、乗車してしっかり座れるんやろか…」
そう不安に思わさせられるというか、列にいる中で少し暗雲を感じる中の待機であった。
 ちなみに運賃は2,500円なり。かなりの破格のような気がする。鉄道で行こうと計画したのだが、完全に挫折した今。ハッキリそう感じたのであった。
 写真で分かるように、旭川まで乗車したのは『北海道中央バス』の高速バスである。
 この北海道中央バスの高速バス路線には、『予約制路線』と『非予約制路線』が存在している。
 『予約制路線』は勿論の事、インターネットまたは電話での予約を入れて乗車する便。
 しかしそれと反対で、『先着制』となるバスがこの札幌⇄旭川の高速バスなのである。
 これがまた恐怖を掻き立ててきたのであった。
「大丈夫なんやろか…」
という気持ちはどうにか払拭され、自分は運良く着席出来たのであった。
 もしこれが着席出来ず…といった状態であれば、バスの運賃はどうなったのであろうか。
 そして乗客があらかた入った高速バスは、札幌のバスターミナルを発車して行った。
 最初は札幌の街中をゆっくりゆっくりと一般車を掻き分け進んでいくのだが、その後の高速に入ってからは本領を発揮し飛ばしていくのであった。

曇天であれ

 高速バスが入って走行している高速道路は、道央自動車道である。
 この道央自動車道の中にも高速バスの停留所があるのだが、放送案内が流れても誰もボタンは押さなかったし乗車もなかったのであった。
 道央自動車道…は函館に近い森町の大沼公園ICから道北の士別剣淵ICまで続く、実に総距離にして440キロ近い道路である。
 札幌から旭川までの高速道路移動…としてこの場所を走行しているが、大沼公園からの道のりを想像するとまだまだこの道は序の口のまた序の口という事になってくる。
 北海道に於いては経済・人流の移動を担っており大事な生命線として機能しているのであった。
 さて。そうした車中での過ごし方はというと…
 延々と続く道路に辟易しそうになったので、自分が思っている北海道に因んだ楽曲などを車内で聴いて暇つぶしをしていたのであった。

 しかしまぁ…曇天だと北海道の車窓はなんだか味気がない。(失礼だけど
 自然の引き立つ環境というのだろうか。そうしたものとは一体どのような天候なのか、考えさせられる。鉄道に負けず劣らず、こちらも長い長い緑が続く情景は何故か曇天でも記念に撮影しておこうと気持ちが働くものであった。
 何日か北海道に滞在してこうした延々と続く自然の情景を見ていると、
「日本ってのは広いもんだな」
と何故か心に潤いが染みるような気持ちになる。
 そうしてバスは緑町20丁目から旭川市街に入り、この周辺で下車する乗客も何人か出てきたのであった。
「ん〜、まさか欲望拗らせ帰ってくるなんてなぁ…」
そして、なんとか旭川駅前に到着した。
 旭川のバス停に到着するのは留萌に向かっての旅立ち以来である。
 改めてだが、まさかこうした気持ちで戻ってくるなんて思いもしなかった。
 バスを降車して、旭川駅の高架を眺める。
「ロイヤルエクスプレス、いるやろか…」
しかし、高架駅のガラス越しに青いロイヤルエクスプレスの車体は見えなかった。
「ん?どうなっている…?」
なんとかして、旭川の到着時刻には間に合わせた…(それでもギリギリではあったが)のだが、ここにきて居ないとは。
 まさかもう運転所に収容されてしまったか?
 慌てた気持ちを自制しつつ、旭川駅に向かってみる。

ダイビングキャッチ…?

 何日か前に、この店で『学生焼きそば』なるソースが効いたあっさりめの細麺焼きそばを食した。アレは本当に美味しかったし、今でも旭川を思えば食べたくなってくる。
 が、その場所にもう1回戻って昼食に『旭川ラーメン』を食した。
 旭川ラーメン…とはこの旭川を象徴するご当地のラーメンであるのだが、その特徴は細いちぢれ麺と豚骨出汁、その中に加わる魚介のベース、そして醤油の隠し味である。札幌で普及した味噌ラーメンと異なり、この旭川ラーメンはあっさりとした醤油系のラーメンである。その歴史は札幌の味噌ラーメン以上に深い歴史だとかそうじゃないとか。
 実際に食してみると、あっさりとした『昭和の中華そば』といった、あっさりした中にも深みを感じられる味わいなのが特徴的だ。
「この味は大好きだなぁ…」
気持ちを逸らすように、ラーメンの味に浸る我が内臓。
 そして、ラーメンを食していると気になる情報が見つかった。
『ロイヤルエクスプレスは、旭川までの運用を終えると滝川に機回しして夕方に戻ってくるらしい…?』
との情報だった。
 なんだろうか。取り敢えずこの情報を信じてみよう。何件か滝川駅に関する情報を調査していると、核心を突いたような情報がヒットした。
「滝川くらいなら全然巻き返せそうだな、行ってみるかぁ…」
なんとか動き出した魂。運賃表を眺めて、反射的に券売機にお札を入れる。

 再び戻った旭川の駅は、観光列車の歓迎に向かって少しだけよそゆきの状態に仕上がっていた。
 もうこの旅で何回旭川を訪問しただろうか。
 この見慣れた木の質感の駅も、改札まで広がる電球色の温かみも。
 何か滞在時間が短いなりの…というのか、一週間しかない北海道旅の中にも少しだけ離れた分の懐かしさが込み上げてきた。
 何はともあれ、ホームに上がって列車に乗車していこう。

 ただいま。旭川。(何時間かぶりだろ)
 ホームにエスカレーターで上がると、石北本線の運用に入っているキハ283系が停車していた。
 カーリングのマークが見えるので、この車両は北見市のラッピングロゴを装着している車両である。
 ちなみにこのロゴ、遠軽町が1番多いようだが実際にその真相が正しいかどうかに関しては不明である。

 乗車していくのは、再びコレもまた特急列車なのであった。
 高速バスに乗車して、そのまま高速バスを追うようにして同じ経路を走る特急列車に乗っていくのもまたさながらトンボ帰り…のようなモノに感じるが、目的の焦点が少しずれているので仕方がない。
 この特急/ライラックに関しても何回めの乗車になるだろうか。そしてこの姿を見ても、決して自分の中ではもう
『白鳥』
という呼び方に関しては消え去った。
 やはり実際にその姿を見てしまうと、脳は否応にでもその姿としてというか現状の記憶に置き換えてしまうモノである。現実を受け止めるという感覚にも近いような…
 再び車内に入って大橋俊夫氏の車内放送を耳にする。
 これこれ。この感覚なんすよ。
 もうこの体験もあと僅かになるのが辛いのだけど。

見慣れぬものよ

 旭川を出て、深川に停車する。そしてその次が滝川だ。この区間は普通列車で移動すると近文・納内・深川・妹背牛…と幾つかの駅を踏んでから滝川に到着するが、特急ならあっという間に到着してしまう。
 滝川に到着し、線路側を見る。
「ん?なんか居るぞ…?」
ようやく発見した。ロイヤルエクスプレスだ。
 写真は停車ホームへの移動中に撮影した、789系とのツーショット。屋根だけ…になってしまったものの、この共演は滅多に見られないモノである。
 国鉄さながらのターミナル駅に、こうして機関車と客車のペアが停車しているのは国鉄が好きな自分として非常に感慨が深い。
 さて、遭遇したこの列車をゆっくり撮影しようか。

 おまけ。
 乗車した特急/ライラックの見送り。
 玉ねぎロゴが引っ付いているので北見市…のロゴでしょうか?

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