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ACT.47『本当の洗礼は』

山線との別れ

 長万部に到着した。
 この駅は、C62形急行ニセコの時代に重連が切り離された駅であり、この駅からC62形急行ニセコは重連を解放して本務機と客車だけを従え、連絡船の待つ函館に向かっていたのだ。
 そして、そんな函館まではあとこの場所から100キロ近くある。この旅路では北海道の中で最も南の都市として長万部の街に訪れた(中継地点としてであったが)のだが、それでもまだまだ道南の街は遠い気配を感じたのである。
 先ほどまで世話になったH100形気動車は長万部の駅の留置線に入線している。かつてはこの場所にも蒸気機関車たちが入庫し、その灯火を休ませていたのだろう。
 国鉄時代には蒸気機関車の休息と拠点の場所、長万部機関区があった。C62形蒸気機関車も重連運用から解放され、補機として本務機の前に着いた機関車はこの長万部機関区で折り返しの札幌行き急行ニセコの小樽まで向かう補機として待機していたのだ。
 そんな場所も、広々とした線路が広がり短いハイブリッド気動車のH100形が停車しているだけ。かつては機関士と助士が2人体制で乗務した列車の存在も、今や運転士がハンドルを握って運転している列車がエンジンを切って休んでいる状態になった。

 H100形の車両を撮影していて、個人的に気になったヶ所があったのでここに掲載しておこう。
 H100形のトップナンバーに遭遇したのはこの函館本線は山線の1回だけなのだが、この車両だけ帯をくり抜いて『H100』の形式ロゴが打たれている。しかし、『DECMO』のロゴはどの車両でも健在。
 最初は
「初期に製造されたグループの特徴なのか?」
と思って観察していたが、この車両以外は初期製造の車両に遭遇する事はなかった。そして、旭川でも苫小牧でも後に同じような車両に遭遇するのだが、この帯を抜いたロゴを見る経験は1回しかなかった。
 もう少し調べ、次回はこの北の大地に戻りたいところである。

 長万部では、道中に『室蘭本線』として海側を走行していた路線が合流して再びここで函館本線となる。
 長万部で待ち時間には列車の撮影をひたすらしていたのだが、その時間には現在の北海道地区主役の特急列車である『北斗』が入線してきた。
 結果的には入線写真が撮影できずこうして後の写真のみの撮影になったが、先ずは北海道の洗礼を1つ浴びた形となろうか。
 先ほども記したが、室蘭本線をここまで走った列車はこの駅で再び函館本線に合流して函館に向かい、100キロ近い(110キロだったように思う)道を走行していく。ディーゼルの音を掻き鳴らし長万部の駅を去る姿に、自分の心がまず高鳴った。
 後にこの列車に自分も乗車する事になるのだと。そう思えば、何か特別な気持ちになる。
 列車は、長万部を出て八雲、森、大沼公園、新函館北斗、五稜郭、函館…と往年の連絡船を待ち受ける列車のように駆け抜けていった。

 長万部のホームで滞在していると、図鑑で見慣れていた気動車が入線してきた。
 キハ40形である。今回は乗車こそしなかったが、多く撮影や見る事になった北海道伝統の大御所気動車である。
「これだコレ!撮ってみたかったんだよね〜」
と何か漫画の主人公のような気分になりながらシャッターを切り、熱心に撮影に勤しむ。
 図鑑で見た車両が目の前を走行している。コレだけで、遠征というのは充実感を感じるものである。
 しかし北海道に向かう前には様々な形態で
『キハ40、北海道から撤退か?廃車再びか?』
と聞いていたが、自分ではそうでもなかったように思う。滞在期間が短かったのか、それでもまだまだ潰せない量がいるのか。全く真相掴めず。

 北海道伝統の車両、という事で、この車両はあのいホーロー看板にもバッチリと似合っている。
 首都圏色や2色塗りというのも自分の中では素晴らしく感じるが、やはり郷土のために塗装された色というのはその郷土によく似合っているモノだとつくづく感心させられた。
 また、国鉄時代からの伝統である『架線注意』の表記に検査類を示した様々な文字が車両の良さを引き立てている。
 こうした点も、自分が長万部の撮影で北海道を感じたというか北海道の序章と感じた1幕であろうか。

職務交信

 長万部で下車し、改札を出て様々に物色していた時の出来事だ。携帯が鳴った。
「はい、(本名)ですけど…」
「(本名)君?いつまで北海道にいるんやったっけ?」
「えぇっと、北海道は1週間くらいで8月の初旬には復帰しますが…」
「あぁごめんね、楽しんどいで。こっちは仕事忙しくって、いつまでか確認したかっただけやし」
「あぁいやいや。自分こそ旅立って戦力になれずすいません」
「そこは気にせんでええんやで」
…と京都からの電話が来た。この時、写真には掲載していないが長万部の駅舎を見て
「遠い場所に来てしまったものだ」
と改めて思った自分。さて。ここからどうなるのだろう。


 現実を少し見たところ(現実を体感した)ところで、北海道の壮大な事をふたたび思える写真を。
 キハ40形は引き上げていった。この先、何処に向かっていったのだったっけ。(覚えていない)
 しかし、こんな場所でも見れるのだなと撮影していて思った。山線からは撤退していたが、逆に室蘭方面では今なお現役という判断でコレは良いのだろうか。
 ちなみに、会社からはこれ以上の交信はしなかった。
「あいつは北海道にこの期間いるのだろう」
という無言の判断が下されたのだろう。
 そういや小樽であった加古川からの老夫婦も、何か仕事を背にして旅に出るとは…みたいな話をしていたっけ。
 哀愁あるキハ40形のテールライト見つめ、旅を決意を改めた。

誘い

 長万部の駅は、何か昭和の遺された情景についてモノを思うことが出来る力を感じる。
 この駅に至るまで、自分はC62形急行ニセコの映像の話ばかりするのだがこの駅では、急行ニセコの補機を付ける際。また、補機を解放して函館までの平坦線へ向けた単独運転への準備に向けて、この駅で駅弁を売っていた記憶がある。
「っはいべんと〜、べんと〜」
カニ飯を携えた駅弁売りが、客車の周りを回ってお客の周辺を通る。そういった光景が、自分の中での少しした憧れであった。

 そうした駅弁売りの近くを、乗客たちが100円札を持って取り囲む。
 京都で読んだ写真集の証言文での話…によれば当時は現在の物価でカニ飯が1000円近くとして100円で。イカ飯も同じくそのような値段だったそうな。現在では漁獲高騰でそうした時代とは隔世になってしまったが、自分にはそうした鉄道と乗客の距離が近かった北海道が羨ましく感じてしまう。
 旧型客車での旅路は、様々な休憩やアクティビティを体験して多くの人や体験をしていく経験の道でもあったのかもしれない。
 現在の長万部駅は、そうした雰囲気とは離れてしまった。その場所にあるのは、残り香だけ。長編成の気動車特急気動車が入った時の賑わいのみはそこに広がるが、そうした情景はもう過去になってしまった。食料は駅外での購入だけになってしまったのである。

噴火湾で都市にいく

 さて。この長万部でようやく函館本線と別れる。長かった羊蹄山麓の函館本線は山線の線路と分岐し、長万部から南千歳までは室蘭本線に乗車していく。
 と、駅員の昭和を感じさせる案内に乗せられて特急列車が入線した。気動車特急、北斗だ。車両はキハ261系。この車両は、川崎重工で車体を製造した関西にとって馴染みのある気動車。この車両もまた、関西の人間にとっては再会となる。

 道内フリーパスの特典として、(乗車できる列車)自由席特急車が存在している。指定席やグリーン車を連結している車両以外なら特急でも乗車が可能になっているのだ。
 コレが北海道では大いに効果を発揮し、ここから先の旅路では特急が多く登場する。
 長万部から、特急北斗13号に乗車。乗車当日は少しの遅れを挟んでいたが、乗車した中でのキハ261系の走行はそうした遅延のブランクを一切感じさせない迫力のある走行であった。
 初の北海道特急。ここから幾度となくこの特急車内を見る事になるが、車内に入って乗客の顔を眺めていくと何か走り続けて来たというか距離を積み重ねてきた顔というものを感じた。
 しかし乗車した入口が指定席の場所だったのでそこから自由席車に向かうまでの道のりが非常に遠かったのはなんとも。
 そして、この特急北斗は長編成での運転であった。現在の北海道の列車においては、この北斗が従えて走っている『8両編成』という両数は長編成の部類に入るのではないだろうか?

 列車は、長万部を出ると洞爺・伊達紋別・東室蘭・登別…と停車していく。途中、特急停車駅ながらに通過駅としてカウントしている変速列車でもあるようで、速達型に仕上がっているようでもあった。
 思いがけず、北海道の洗礼を浴びまくって容赦もなく車窓を撮影。意図して誰もいない座席の近くを選択し、ダークダックスが歌うJR北海道の社歌『北の大地』にあるように
『緑が萌える 平野をまっしぐら』
『線路はのびる 列車は走る』
の情景を多く撮影していた。この室蘭本線で特急北斗に乗車している時間というのが、自分にとっては北海道を感じたまた1つの事象だったのかもしれない。列車は気動車特急ならではの力強い加速力でどんどん先へ進んでいく。

 自分の着席している車窓はこういった情景だ。この作中内でも函館本線の羊蹄山方面を山線と表現したならこの路線は『海線』であり、周回する形になっている。
 四国の愛媛県は予讃本線と内子線の関係に類似しているかもしれない。
 そして、天候は曇りだったのでこの車窓にはじっくりとその姿が収まっていないのだがこの写真の中には海が入っている。内浦湾、だ。北海道ではこの内浦湾の事を噴火湾とも呼ぶようである。
 曇りで同化してしまっている?ので車窓としては少々なにか照明と絵にならない状況になっているが、コレはコレで写真になった…思い出かもしれない。

隠れた場所

 実はこの室蘭本線には、秘境駅として特別に有名な駅がある。恐らく、鉄道に興味がない方々でもその名を一度は観光名刹として耳にしたり目にした経験はあるのではないだろうか。
 小幌駅である。
 この小幌駅。列車でなければ到達は難しいと言われており、更には停車する列車よりも通過する列車の数の方が上回ると言われている駅である。
 昨今の話題な下灘や高さ41メートルの明治時代からの鉄橋で有名な餘部など…のように車で乗り付ける無人駅では到底なく、この場所に向かう中心手段は列車である。
 最初は鉄道ファンを中心に…となっており、自分も京都で
『鉄道少年たち、秘境の小幌へ!』
とオンエアされていたのを見てこの駅の存在を知った。
 しかし、その存在はどんどん大きくなり、昨今ではB級観光地としての呼び声も高い。
 として列車内から偶然撮影できた小幌駅の写真がコレなのだが、どのようにしてこの撮影者(旅人)はこの駅へと到達したのだろう。それが謎である。
 そして訪問した際には訪問証書というのを町の自治体から頂けるそうだ。興味が湧いた方、是非!
 ちなみに自分もこの駅の訪問に関する話を聞かせていただいた経験があるが、壮絶な体験だった。自分は経験を積まないと手を上げる自信はないだろう。
 列車はトンネルを出て、小幌から再びトンネルに進入した。あの旅人が、この列車を撮影して良い思い出を残していますように。

自然の壮大さたる

 長万部を出て、小幌のトンネルを突破した。列車は洞爺の方角へグングンと加速中である。
 室蘭本線の車窓は、自然に富んでいた。自分には何か衝撃というのか、同じ国の車窓。同じJRとして屋根に入っている会社の車窓ではないのかと思う程に新鮮な車窓ばかりだった。
 そういえば、小幌駅に関してだが横の静狩駅?も含めての散策・訪問に向けたアドバイス同人誌的なモノを販売していた。…が、購入しなかった。群馬県は碓氷に行った時には66.7‰の記録…主にEF63形電気機関車と189系の協調運転についても記された同人誌を買ったのだが、今回はそうした動きをしなかった事を後悔している。
 そして、京都に戻ってからでは覚えているわけもなく。今更、小幌駅を振り返っていて思い出したのであった。

 内浦湾を飛ぶ海鳥たちの姿を撮影した。
 この車窓が、個人的に北斗乗車中に撮影できた車窓の中で最も気に入っている写真である。
 乗車した時は『初の北海道特急』であった事もあって、その新鮮さのあまり多くのシャッターを切っていたのだがこの写真に、北海道の自然の雄大さ。そして、海側を走る室蘭本線の雄大さを思う。
 かつてはこの区間を、北斗星にカシオペア。トワイライトエクスプレスと北海道寝台が多く駆け抜けた。そんな列車たちも、この場所を多くの自然と共にしていたのだろうか。自分にとっては憧れでしかなかったが、その壮大さは気動車特急、キハ261系での車窓でも変化はなかった。
 そして。序盤のタイトルに『噴火湾』という言葉を交ぜた。
 この『噴火湾』という単語は、北海道の地形に由来している内浦湾独特の呼称だ。
 この内浦湾の近くには、伊達・森の海域に沿って活火山の多い海域なのである。その地形に因んで、この場所は噴火湾という呼び名でも呼ばれる事になった。
 この場所に関しては環境省のHPでもこの呼称と由来を解説しており、地形のデータも伝えている。
 この海域では北海道の海産物の1つ、ホタテが有名なのだそうだ。

 車内で、倶知安から購入した豚丼をようやく開封する。倶知安から出た瞬間にはまだ湯気っぽさ…というかほんのりした暖かさがあったのに、今では冷えたというかぬるくなって豚の油脂が浮き出た状態になっている。しかし、コレが照り焼かれた豚の肉に絡まって美味しそうなのだ。
 倶知安のコープさっぽろで、さんま蒲焼丼と迷って購入した豚丼。ようやくその豚丼に箸をかけた。
 少し冷えていたが、紅しょうがのアクセントも相まってコッテリした味わいに1つの締まりを出している。
 肉料理は流石、冷えても味がそのまま…いや、味が引き継がれている状態というか。そのままの味覚を楽しめる。
 海側の車窓を見ながら。そして、伊達の自然を眺めて。豚丼を完食した。ようやく、胃の中に食事を収めた。相変わらず旅路の際には我が内臓に多大なる負担と変則的な時間を強いてしまうばかりである。

 列車は洞爺を出て、伊達紋別に到着した。
 この伊達紋別からは、かつて倶知安に向かう胆振線が出ていたのである。
 倶知安から六郷まで。現在はこの区間が胆振線として語り継がれ、多くの遺産を残しているのだが伊達紋別から先は目立った遺産が少ない。遺構と言うべきなのだろうか。
 現在もこの胆振線が、1両のディーゼルカーであれ運転を継続している状態であれば、きっと北海道の鉄道旅は少し違ったものだったのだろうか。
 現在の伊達紋別には、特急列車と僅かな普通列車が往来するだけの状況である。
 伊達紋別から先、胆振線は上長和に向かっていた。その先、道南を結んでいたローカル線の姿は、現在どうなっているのだろう。またバス転換線の姿(残っている区間)を込みにして、拝見したいモノである。

 相変わらず、甲種輸送で見送った車両に遠征先にて遭遇した時には勝手に親のような心情にさせられるモノである。
「逞しくなりやがって…」
そんな事に浸り、豚丼の空き容器も捨てて車窓を眺めていると北海道注目の車両が東室蘭で姿を見せた。
 737系である。JR北海道としては初の2枚扉通勤形の電車。そして、桜色の側面が特徴的な車両である。
 前面には、H100形同様に黄色・黄緑の紋様を配してコレまでのJR旅客各社ではないようなスタイルの姿に仕上がった。
 北海道の事前情報調べでは、
『737系を撮影したいなら室蘭本線で迎え撃て』
との事だったが、あっさりと見つかった。そして、どうやらこの他に苫小牧でも見れるらしい。出会いを楽しみにしよう。
 自動放送の大橋俊夫さんの声通り、
「停車時間は僅か」
だったので撮影はこうした一瞬にして過ぎたのだが、北海道のニューフェイスに出会えたのは非常に嬉しい瞬間であった。

一体どこなんだ?

 列車は、東室蘭で室蘭からの線路と合流し本格的な室蘭本線となる。そして、登別に停車すると次の駅が自分の目的地だ。
「まもなく、白老。白老です。停車時間は僅かです。」
この白老が自分の目的地であった。そして遂に1日の半分がようやく過ぎようとしていた。長万部経由で一周をしようとしているだけ、だったのにコレまでに時間を要するとは。非常にこの大地の広さをナメてかかっていた。
 特急北斗に乗車していると、一般的に日本の鉄道で耳にする言語以外にも実はこんな言語で車内放送を流している。
「アイヌ民族共生象徴空間、ウポポイへの招待」
としてアイヌ語での車内放送を流しているのだ。
 アイヌ語の車内放送は実際に覚えていない(覚えられない)ので、そうした意味での車内放送が流れていたとい表現になるが実際に聞いてみると中々シュールだ。コレが白老の象徴なのだが。
 さて。ホームを満杯に使った白老に特急北斗が停車した。この駅で下車し、白老の目的の施設に向かう。
「白老?ウポポイ行くの?」
と何人かの方から推測を受けたのだが、実は…

 特急北斗の迫力ある走行を見届け、白老で横の普通列車を撮影する。
 737系が停車していた。
 まさかこうして再び撮影できるとは…
 思わぬ再会?思わぬチャンスに感動し、再び撮影。しかし、撮影していて感じた事がある。何か既視感を感じたのだが、この737系。前面のブラックフェイスと桜色の側面が相まってそこに黄色がアクセントに前面で挿入されている事により、イギリスの通勤電車のように見えるのだ。
「おぉ、イギリスの電車か?コレ…」
予感を感じながら撮影する。中学の時、ホストファミリーが見せてくれた光景に思いながら737系を撮影した。
 737系の車内には、既に高校生や通勤客が乗車している。もうそんなに時間が経過しているのか。

 イギリスらしさを感じた辺り…をこうして拡大撮影し、掲載しておく。
 やはりこの境界線、海外の電車というか日本離れしたデザインだよね?と。
 そして、通勤通学の乗客を満載した737系を見送り、自分はアイヌ民族共生の地として開発された白老の駅前に降りたった。ようやくこの場所で、1日の本格的な終了を感じたのである。

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