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ACT.57『苗穂まわり』

尽きない魅力と

 再び、苗穂工場の話から再開だ。
 前回は苗穂工場の開発した強烈なマシンの数々の紹介として、青函トンネル新幹線転換を目前に開発された『トレイン・オン・トレイン』と鉄道道路両用のバススタイルの乗り物・DMVについて紹介した。
 そして今回は少し、苗穂工場の保存車(少し見える範囲)と苗穂運転所付近を歩いて見かけた車両の撮影をしていこうと思う。
 苗穂工場に関して再紹介すると、苗穂工場はJR北海道の工場としての以前。発端は鉄道院の工場として明治42年に設立された事に始まる。
 当初は鉄道の工場として、鉄道省になってからは木製客車の鋼体化を実施。そしてその先に戦時中の波に入ってもこの苗穂工場は活動していくのだが、その際は軍用機の部品を設計担当した過去を持っている。この時には戦後開けてアメリカはGHQの統治が始まった際に『鋳鉄物の軍事利用がないか』を疑われた経歴も持っている。
 そしてJR化後になっての。国鉄時代に入ってからの車両改造技術。多くの仰天する車両や旅を楽しませるジョイフルトレインなどを世に多く輩出してきた。
 もちろん、道内の交通機関の所要時間短縮に貢献する鉄道の開発に貢献している事も間違いではない。苗穂工場は今日も奮闘しているのである。

夢見た世界へ

 かつての蒸気機関車復活のブームを、読者は記憶しているだろうか。静岡県、大井川鐵道にはじまって国鉄では梅小路蒸気機関車館でのC57形・C58形を選抜した山口線での動態保存運転がこの復活の後押しになった。
 国鉄では、追分駅の構内入換以降久しくの蒸気機関車復活運転。最初は蒸気機関車復活に対して国鉄では
「ようやく成敗した蒸気の扉を再び開けるなど我々の努力は無駄ではないか」

「そんな老人くさい事をして今更客が来るものか」
との否定的な声。頭ごなしな意見が多かったのである。しかし、それは現在蒸気機関車の存在が観光手段にまで飛躍した現在と比べると格段な違いを感じる。
 が、そんな蒸気機関車復活の扉が叩かれ始めたこの頃。北海道も例外ではなかった。この写真に映り込む蒸気機関車・C62-3が奇跡の復活を遂げて昭和63年。C62ニセコ号として小樽⇄倶知安での快速列車として帰ってきたのである。日本最大の蒸気機関車が、再び蘇った。鉄道ファンは。蒸気機関車に沸いた日本は。感動に熱気に包まれたのである。

※倶知安の転車台は再び陽の目を浴びた。C62ニセコ復活の汽笛は、鉄道ファンならず小樽・余市・倶知安の人々をも巻き込んでの盛り上がりだったのである。

 動輪直径1,750ミリ。その姿は日本最大最強の蒸気機関車だ。かつては東海道本線の木曽川橋梁で129キロの大台に突入した事もある、由緒正しき日本を語るに欠かせない蒸気機関車なのである。
 さて。そんな蒸気機関車がなぜ北海道の大地と関係あるのか…というと、やはり蒸気機関車も晩年に迫ったその時期。
 特急用として。幹線の優等列車の運用を外れたC62形が次々と本州内で余剰になってきたのである。
 元々は現在、苗穂で保存されているC62-3もかつては広島方面の運用で糸崎機関区の所属機であった。しかし、北海道への重連運用として。北の大地の高速化を担うべく最後の力を発揮するために青函の海を越え、C62形たちを全国から集結した小樽築港で活躍していたのである。昭和31年の事であった。
 この頃は東北の仙台方面。そして東海道方面の梅小路からもC62形が小樽築港に集結し、まさに日本の旅客蒸気の精鋭たちが最後の勇姿を見せたのであった。

※急行ニセコ時代は相棒として共に函館本線を小樽〜長万部まで駆け抜けたC62-2。燕の機関車の姿は小樽でも大事に扱われたという。離れ離れになってしまったが、現在でもその姿に苗穂のC62-3とのアツい時代の勇姿を重ねるファンは少なくない。

 さて。そうして仙台に梅小路に各地のC62形が集って活躍した急行ニセコの時代に関しては、再び次回の話に詳細を回す事にして。再び、北海道に残って最後まで活躍したC62-3に関する話を記そう。
 C62-3は昭和も終結する頃の昭和63年より、函館本線は山線の小樽から倶知安の区間を快速列車・C62ニセコとして再び復活した。日本最大最強の蒸気機関車の本線凱旋。多くの人々がその古巣復活に狂喜乱舞した。
 この昭和63年の復活まで、C62-3は小樽駅付近の博物館。北海道鉄道技術館にて保存されていたが(現在の小樽市総合博物館)、この復活を契機にして本線に帰ってきた。この復活を後押しする本線への大手術を行ったのは、小樽築港機関区であった。その復活の前には、手宮線を使用しての本線へのカウントダウンが行われたという。
 そして、倶知安までの復活運転も軌道に乗る事が出来た。C62ニセコの足取りは順調なもので、平成2年からは早速ニセコまでの延長運転が実施された。蒸気機関車の里帰りは大好評をもって迎えられたのである。

※倶知安・ニセコの象徴である羊蹄山。バブル経済崩壊の日本で巨大な蒸気機関車を支えていくのは無理な事だった。雲を覆い隠すかのような日本経済の時代が始まっていく。

 しかし。時の流れは振るわなかった。
 日本ではそれまで支えてきたバブルが崩壊し、C62ニセコを運転するに支えてきた企業やスポンサーが相次いで撤退していく。巨大な蒸気機関車の維持環境は難しくなっていくのだ。
 そして遂に、C62ニセコは平成7年に運転を終了した。短い間ではあったが、重連運転時代の日本最大・最強の蒸気機関車の帰還と凱旋。そして素晴らしい力走を見せてくれたその姿は多くの鉄道ファンの胸に。また、北海道の多くの人々の魂を震わせた。
 現在は苗穂工場で夏季限定の静態保存をされている。そして、工場内の一般公開が実施される日には背後からディーゼル機関車や牽引車両での後押しとなってしまうが、C62-3には体験乗車が可能になっている。現在は跨線橋からその姿を虚しく見るだけになってしまうが、時がくればまた近くでその姿を見たい。
 現在は蒸気機関車の動態保存役をC11形に譲って苗穂工場でゆっくりと眠っている。再び起きる事はもうないだろうが、あの日の輝きをいつか見られる事を願って。
 北海道鉄道史を見ていると、C62-3が復活したあの一瞬の出来事は、本当に『バブルの夢』のような物だった。華々しいリゾート列車や都市圏開発に隠れてしまいそうにはなるものの、一時代を築き。そして我々に壮大な夢を見せてくれた事を忘れてはならない。

 通勤客を。家路に向かっていく人々を横目にして、苗穂工場の撮影を淡々と継続していく。
 国鉄時代の古さに伝統を思わせるその配線の中に、現代のJR車両が佇む姿というのは非常に感慨深いというか設備を珍重している尊さのような美しささえ感じる。
 この日は左にH100形気動車・789系カムイ色・そして検査を受けているのであろう731系電車を確認する事が出来た。731系電車に関しては帯を剥離した状態の為、検査を受けているのだろうと推察されるがどうだったのだろう。
 車両やその土地の知識がなくても、車両基地・車両工場というのはずっと眺めていたくなるものだ。この苗穂工場にはJR北海道の有する750両近い車両が検査に整備に入ってくる。どんな車両を見かける事が出来るか、のワクワクも非常に大きなものだ。

 跨線橋の下部。すぐ足下付近だった。本線にも近い場所に、中間車が1両転がっている。
 キハ261系の初期生産の車両だ。現在は特急宗谷として宗谷本線を走行している車両である。札幌から宗谷本線を目指して4時間近い時間走行する列車もあれば、旭川方面から宗谷本線を目指す列車もある。
「中間車の放置なんて珍しい光景だなぁ」
と思いつつ撮影。銘板に中間に入って仕舞えば基本的に見えない顔なので、資料的な写真を上記のように撮影して後にした。組成を待ち。そして出番をその時を待機する姿をこうして近くして見る事が出来るのは、気動車を管理する管轄区らしい光景である。
「ほへぇ、こうなっているのか」
などと自分の発見や探究も交えつつ、単行放置の気動車に目を向けて撮影していた。

 苗穂工場は、前記の記事で記したように
『JR北海道で活躍する車両の最期を迎える場所』
でもある。
 この時期はダイヤ改正で引退したキハ281系の解体処分に向け、外部業者から搬入した重機が工場内に入っていた。その為、工場を俯瞰で観察すると非常に物々しい空気になっているのである。
 個人的にはクレーンを使用しての解体が珍しいと感じるばかりだ。通常、鉄道車両の解体というとペンチ式のシャベルカーで解体するようなものなのに。時間が時間だったので解体作業の様子に関しては見る事が出来なかった。
 最初、この重機は
「キハ281系の解体を目的に搬入されたもの」
だと勘違いしていた。しかし後に判明したが、721系の解体がこの先に行われていたようで、その作業に関しての搬入だろうと推察されたのである。
 非常にヒヤヒヤする光景だったが、自分にとっては最後の最後にダイヤ改正から撤退したキハ281系の姿を見れて良かった反面、苗穂工場の最期を看取る役目も同時に見た複雑さと何かが交錯している思いであった。
 キハ281系は訪問時点で既に大半の車両が重機によって鬼籍に入っている。この車両たちも重機解体が推察されたのだが、車両に関しては重機解体の進行が一切なかった。それどころか車両として搬入され、現在は保存に向かって進展しているとの事である。
 北海道特急の高運転台スタイルを形成した車両であり、そして札幌⇄函館の所要時間短縮など貢献した功績は大きい。その中で車両の保存に舵を切ってくれた事は素直に感動ものだ。

こうして出会うと

 苗穂工場には運転所が併設されており、札幌近郊まで帰ってきた特急列車や近郊電車の休息の場にもなっている。
 そうしてそんな中で、現在でも特殊な車両を受け持っているのだ。特殊な車両、というと救援車や郵便車、荷物車など多々浮かぶが岩見沢に向かう最中や駅下車手前から気になっている車両がいたので下車した。
 マヤ35形である。
 気動車・キハ40形に挟まれた格好で写真に写り込んでいるが、この車両は歴とした『客車』扱いなのである。
 北海道内では専用連結に改造されたキハ40形。そしてその背後をキハ40形で挟む格好で走行する車両となるが、扱いとしては客車になり、かつて北海道で走行していた同様の車両、マヤ34形の置換えも実施したのである。
 この車両は一体なんなのか?
 についてだが、この車両は軌道検測車である。マヤ34形でも同様の軌道検測をかつて実施していたJR北海道であったが、車両としては国鉄時代からの継承車両。それ故に老朽化も進行し、部品の供給や維持も困難になっていくのであった。そうした中で平成29年に製造したのがこのマヤ35形なのである。(通称・文鎮。)
 写真の車両、マヤ35形はJRになって久しぶりの客車製造という偉業だけでなく、久しぶりの事業用車両製造という功績を残す事になった。平成30年に北海道で活躍していた国鉄時代からの軌道検測車・マヤ34形は置換えになり引退する。マヤ35形はその中で交代し、同年4月より札幌運転所にて配置され運用を開始した。
 車両はJR東日本の電気検測車・軌道検測車を基礎にして製造した。そして、基本的には気動車と手を組んでの運転(キハ40形)となるが、機関車を併合しての検測運転も可能になっている。

※JR北海道に新規導入されたマヤ35形には、JR東日本のEast-iグループの技術や設計が応用されている。写真はEast-−iシリーズの新幹線版であるE926形。

 マヤ35形になってから、軌道検測の技術も当然に向上している。
 検測車として、マヤ35形ではレール非接触式センサーを搭載しての軌道変異検出装置の搭載を実施した。この技術は、北海道の気候である豪雪地帯での検測を可能にしたもので、レールに一切干渉する事なく軌道変異検測を可能にした装置である。豪雪地帯・酷寒の土地に向けて開発がなされた検測車と言えるだろう。
 そして、レール断面の測定装置を搭載。JR北海道にて使用するレールは1種類でないため、多種多様な自社のレール設計に向けた検測が出来るように設計がなされた。
 車内は検測車として、乗客の乗り心地や移動に関しては想定していない変わった車内になっている。車内はまるで宇宙船の司令室のようになっており、コンピュータルームに作業台を設けた測定室。そして検測装置や電源装置を設けた電源室での構成だ。JR北海道の検測車として、国鉄時代の車両からの脱却という単なる更新だけではなくしっかりと自社の事情に寄り添い向き合った検測車両(客車)なのである。

 改めて。北海道は苗穂で撮影した写真に戻そう。
 実はこのキハ40形も、マヤ35形との相棒として改造された車両。また、特殊な車両になっているのである。
 マヤ35形に連結して走行するキハ40形には、前方監視カメラ・下方監視カメラを搭載している。この監視カメラで上下の映像を記録して線路の状態を記録し、マヤ35形の軌道検測仕業をアシストしているのだ。
 また、線路周辺の構造物との距離を測定する建築限界測定装置も搭載し、レーザー光を使用した検測・軌道測定も実施するのだ。マヤ35形と一心同体に動く車両なのである。
 北海道内ではマヤ検と呼ばれているこの列車だが、撮影して何日かした先にこの組成の状態だったろうか。Xにて目撃が入り、
『札幌駅にいる』
との事だった。その際に自分は全く別の場所に向かっていたが、このマヤ検の列車は函館本線の山線に向かっていったようだ。自分の目的とは異なったので目撃は見るに留めたが。
 さて、そんな中にして苗穂周辺の様々な車両を観察した。京都市民として、その姿を小さきながらにも見ておきたかったC62-3も見れたし何とかこの場所での目的は達したろうか。

苗穂から札幌に

 苗穂工場周辺の撮影を行なって、そのまま次の場所へ向かうとする。北海道はまだ広い。1週間の休みを貰ったとはいえ、この段階ではまだ中日なのだ。
 そして、苗穂運転所の付近を歩いている間も撮影こそしなかったがバスがよく通る。『◯条×丁目…』『地下鉄◯◯行き方面…』そんな行き先を見る度に、自分が夕暮れながらも北海道の中心部、そして札幌の近い場所にいるのだと感じた。地下鉄に乗るのは先だとして、まだこの段階では乗車もしていないし見てもいない。通り過ぎるバスを見て、札幌中心で何を撮ろうか何に乗ろうか考えていた。
 そして、ここで旭川周辺の宿を予約した。電話が繋がらなかったのだが、何とか根気で部屋を確保した。少し先とはいえ、何か安堵する。
 駅に戻って、苗穂工場方面を再び観察した。駅構内から、キハ281系の先頭車両形状が見えるではないか。しかも、『FURIKO』のロゴも鮮明にして。
「おぉ、コレは憧れのスーパー北斗か…」
と思ったが、この部分だけ撮影して一旦札幌に向かった。
「また帰るまでに苗穂に寄れたら、キハ281の撮影が出来るように祈るか」
とそんな気分で一旦、高運転台の大先輩からカメラを引いた。
「解体されてないとええんやがなぁ」
そんな気持ちも複雑に織り交ぜた上で、だ。

 札幌に向かうまでの間、再び撮影に挑む。時間は既に暮れているが、
「折角の北海道だし」
という気持ち。そして
「列に待ってんのも焦ったいし」
という気持ちにて列車に挑んだ。コレに関しては発達の生み出した性格でもあるのだが。
 最初に撮影したのは入庫待ちの特急おおぞらだろうか。長編成の石勝線特急が記録できた。
 既に夕陽を被った状態ではあるが、電光掲示板内に飛ぶ一羽の鶴。黄色く輝く貫通路。気が付けば北海道の築き上げた新デザインにはもう慣れている自分がいるのであった。
 しかし往時のキハ281系スーパー北斗の映像を浮かべてこの石勝線特急の入庫待ちの姿?を見ていると、
「やはり高運転台には長編成が似合う」
と今一度の感動を味わうというかその感動を再び味わえるのだ。何とも気持ちよき。
 図鑑や映像の中で雪を跳ね飛ばし。そして時には北海道の自然豊かな大地をカッ飛ばしたキハ281系の姿は、今なお頭に残っているのだろう。

 旅の中で、自分はあまり自分向けの土産を買わない。こうした列車の写真を撮影する事こそが、自分への土産なんだという感さえある。それも撮り放題、観察し放題。SDカードがメッセージを吐くまでの間。
 と、そんな意識で苗穂駅の通過列車や走行する列車たちに目を向けて次々撮影してゆく。
 新千歳空港方面に向かう733系快速エアポート。そして道内にやってきた人々を道内に運び込む快速エアポートが、写真の中で混ざり合った。
 それにしても733系は本当に北海道の電車撮影の中で特急形・通勤形を関係なくして最も多く撮影し見た形式のイメージが今なお強烈なところだ。快速エアポートとしての撮影が多かったが、千歳線運用に入っている分。そして新千歳空港に乗り入れない分を含めてもかなりの数を誇っているのだから、JR北海道通勤車のエース…いや、基礎としっかり言えるだろう。

 苗穂駅のホームに突っ込んでいく、733系快速エアポート。
 少し膨れた形状が特徴的な電車である。
 撮影する前、乗船中のフェリー内ではすっかり楽しみにしていたこの顔も、すっかり滞在時間が長くなると何か慣れた気持ちや、自分の時間軸にしっかりとハマってくるような気持ちになる。言葉にならないが、何か自分が旅をしている。異国異世界にいるという感覚になりつつも、自分の生きる24時間にしっかりとこの顔の電車は息吹いているのだ。
 夕暮れの反面光を浴びて。北海道の通勤形電車独特の角度をビカッと光らせて、残照の中を去っていった。
 苗穂駅は、普通電車しか停車しない。渋い通過案内の声がずっと列車の通過案内を告げている。
 声の主は、少々掠れがかった…円熟のある(といって昭和らしさも)お婆さんの声。
 自分は東京にも訪問経験が何度かあり、そしてこの声にも既視感的なものがある。内耳を貫いて鼓膜までの聴覚が、この通過音声の正体を突き止めた。
「東急田園都市線の案内音声(女声)じゃないか…」
きっと、神奈川県から渋谷方面の田園都市線沿線の勘が尖った方なら、この声の懐かしさは解るだろう。今にも銀一色の電車が、チョッパサウンドを響かせて爆音で目の前を過ぎ去っていきそうだった。
 きっと、夕暮れの苗穂でそこまでの想いに駆られる人間は自分しか居ないだろうが。

 再び、キハ261系を撮影する。長編成の石勝線特急に就くその勇姿を再び記録した。
 今回は撮影ではなく乗車が中心な行程なので、何度か世話になる事は多かった。しかし、この車両の格好よさ。表面性だけでもその格好良さに惹かれてしまうと、やはり何処かしらで風景撮影や編成撮影に挑んでみたくなる。
 信号の非常発煙灯などが写真に被っているが、自分の記録撮影としてはこの中で十分マシだった。今回の撮影行程が少ない中で、充分良い弾数に入っているとさえ思う。何回か思ったし帰ってからも過ぎったが、次回の北海道はこうしたキハ261系などの車両を『本気で』撮影する為に春季または冬季の上陸もアリなのではと思ってしまう。絶対に学ランは凍結死するだろうが。
 再び、この苗穂から札幌へ移動。乗車は一駅分だ、すぐに到着する。

予告・再会

 札幌に到着し、列車の到着時刻を眺めていた。すると季節限定の列車が入ってくるではないか。というわけで待機する。
 やってきたのはこの車両だ。一体、何なのだろうか…?
 そして、この車両に対して映えた再会の感情とは?次回をお楽しみに。

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