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日本語で科学教育ができることのポテンシャルのこと(そして翻訳でたくさんの英米SF文学が読めるポテンシャルのこと)

先日、歴史の本で面白い指摘を見つけました。

日本の歴史、特に明治維新に関する話です。

ただのSF好きでしかない立場の私ですが、

完全に同意

できる内容だったので、そのまま受け売りさせていただきます。

どうして、あの厳しい19世紀の世界地図の中で、

日本が西欧列強による植民化を免れ、むしろ近代国家として急成長できたのか?

大和魂とか、武士道とかの観念的な話ではなく、

実に単純な理由があった

とするものです。

それは、平賀源内の「発明マニア」ぶりやら、杉田玄白らによる鬼の「オランダ技術書翻訳」やら、あるいは和算ブームの話やら、島津斉彬や鍋島閑叟の「近代産業好き」やらに示されるように、

実は黒船がやってくる前から、そもそも、日本は理科数学のレベルではすでに自力で近代化を進めていた、、、西洋の理系教育を輸入する前から、最初から理系オタクだらけの国だったからwという

身も蓋もないハナシのようでいて、私もこれが真実だと思う。黒船がやってきたわずか数年後には各藩も自前の蒸気船を実装し始めたとか、スピードがハンパなかったのはこの秘密のおかげと思う。

「しかし日本には結局、ガリレオとニュートンのような天才的な科学者が生まれなかった」?、、、それはその通りなのですが、私に言わせればガリレオやニュートンが世界史的にちょっと異常児すぎるので、あれが西欧にしか現れなかったことを別に嘆くことはない。

むしろ、ガリレオやらニュートンやらが作り上げた体系を、

本で輸入して日本語翻訳して出版したら「あ、なあんだ、ニュートン力学ってつまりこーいうことね」とすぐにわかってしまった「理科数学オタク」が市井にまでたくさんいたことが日本の幕末明治の驚異的なところ、といえる。

こんなふうに考えると、

なかなかそういう本は少数派かもしれないけど、新撰組がどうした、西郷隆盛や木戸孝允がどうした、という幕末明治の本も大事だが、

「地方の市井の名もなき科学マニアや数学好きが、たちまち西欧科学哲学を理解して、エンジニアや、会社経営者となって、明治維新後の日本の経済を支えたドラマ」のほうが地味ながら遥かに重要かもしれない。

※ただ、ひところの司馬遼太郎さんが、まさに「エンジニア」に注目した幕末短編小説にチャレンジしてましたね。『アームストロング砲』とか。

なお、この観点で日本の歴史を見直したとき、

SF好きとしては、もうひとつ、見過ごせない観点があります。

それは、日本以外の多くの非西欧圏において、

西洋から輸入した科学理論や技術書は、エリートが、英語やフランス語やドイツ語を勉強して読む専門書であったのに対して、

日本では、科学用語もエンジニア用語も、たちまち「外来語」として日本語の中に取り入れ、日本語で読める解説書が大量に出たことですw。この恩恵を考えると、日本の「なんでもかんでも西欧の新しいものをすぐ翻訳して飛びつく」性向そのものは別に悪いことではなかったかもしれない。

と、整理ができていないままに、私も大いに同意した、

日本の歴史を真に支えているのは実は理系オタクたちの伝統

という話を紹介させてもらいましたが、

最後に我田引水させてもらえるならば、

そんな日本において、現代でも、もともとがアメリカ・イギリス産である「SF文学」のファンがとても多いこと、これもまた、悪いことではない。むしろ、SF翻訳文化は地味に、市井の人や子供達の「理科好き」醸成におおいに実利的に役立ってる、、、のかもしれない、のだ!

というわけで

よし、ますます、SFを読みましょう!

※最後に、かような、「エンジニアや科学オタク層に注目した史観」としては、長沼伸一郎先生の本が面白いです、こちら推薦させていただきます


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