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【読書録】『「文系力」こそ武器である』齋藤孝

理系重視の風潮のなか、肩身が狭い思いをしている文系人間の皆様に、きっと元気になっていただける本のご紹介。

その名も、『「文系力」こそ武器である』。著者は、教育学者の齋藤孝さん。近年のベストセラー『頭の良さとは説明力だ』という本の著者でもある。昨年、別の記事で、『人生は「2週目」からがおもしろい』という、同氏の別のご著書をご紹介した

私は、以前、『なるほど! 物理入門』という本の紹介記事で書いたように、高校生のときに、理系科目の成績が悪く、消去法的に文系コースに進んだ。それ以来、ずっと、生粋の文系人間だ。理系の概念には、今でも強い苦手意識がある。

この本は、そんなコンプレックスを持つ私の目を引いた。そして、読み進めるうちに、自分の文系力を伸ばすことで、自分の強みを大きく伸ばせるのだと思えるようになった。

以下、備忘のため、特に印象に残った部分を要約してみた(「ですます」調を「である」調に変えて、適宜要約した。)。

文系力の強み

ぼんやりしていることこそ文系のよさ。ぼんやりしているぶん、いろいろな分野について興味関心を広げていきやすい。(p34)

文系の人のほうがカリキュラムの自由、発言の自由が認められていることによって総合的な判断力を養いやすい立場に置かれている(p92)

近代日本の草創期に、リーダーたちが見せた意思や判断力こそ、文系人間が手に入れることのできる武器。これは特定の科学を勉強してきたから身につくようなものではない。世の中を広く見て、実際に修羅場を潜り抜けながら得てきた経験や勘によって身につくもの。(p101)

物事を進め、変革を起こしていく文系力は、特定分野の専門知識とは別の次元で、普遍的な力を発揮する。(p112)

文系の人というのは理系に比べて専門性が高くない。そのぶん、どんな場面でも対応できる、融通がきくということが武器になる。(p116)

さまざまな分野の専門家が集まる組織のなかで、ファシリテーターとしてコミュニケーションを活性化し、議論を取りまとめ、個人の能力をつないでいく。これは文系がもっとも力を発揮する場であり、文系人間の生き残り戦略の一つでもあると言える。(p118)

社会から求められている文系の力

ファシリテーターとしてコミュニケーションを活性化し、議論を取りまとめ、個人の能力をつないでいく(p118)力について述べる。

コミュニケーション能力の3要素
①雑談力 ②意味を正確にやりとりできる言語能力(「要約再生力」) ③クリエイティブなコミュニケーション(p121)

【①雑談力】
理系の人たちは雑談が苦手。目的なしの会話だから、理系にとってはなじみにくいもの。(p124)
大阪の風土によって培われたコミュニケーション力は、世界的にも通用するようだ。/実際、大阪人は海外へ行っても押しが強いし、現地の人とすぐに仲良くなる傾向がある。世界的にもウケがいい。(p126)

【②要約再生力】
長い文章を読んでさっと意味がとれる。本を一冊ざっと読んで大体の内容を把握できる。分厚い資料の束を渡されても大事なところをピックアップして情報を整理し、端的に報告できる。これが文系の言語能力。(p129)

【③クリエイティブなコミュニケーション力】
相手から芋づる式にいいアイデアを引き出してくる力。(p134)/文系の役割は、「目の付け所」を提案すること。(p137)

「文系力」が世界を変える

曖昧な現実をどうとらえるかを探ってきたのが文系の学問であり、文系の人たちの得意な点。(p146)

これまで意識されてこなかった曖昧な現実に名前をつける(概念化する)ことによって、現実を可視化するというのが文系の知の力。(p151)

「ブリコラージュ(Bricolage)」=「器用仕事」、その場にありあわせて、ありあわせの材料で何かをつくりだすということ(p158)/文系的なよさは、猛スピードで変化する現実に対して、今手元にあるもので、柔軟に対処していく。(p159)

複雑で曖昧な現実に対して、言葉を武器にして立ち向かっていくことが、AI時代の文系の役割。(p169)

文系力を磨く読書法

文系力を鍛える読書法は、精読と多読の2種類。

精読=特に古典的名著を読むとき有効。じっくり読み、何度も読み直し、自分のなかに著者が住み着くようなところまで内容を身につける。

多読=単に情報を仕入れるための読書。情報を効率よく収集するための読書。速読といってもよい。(p193-194)

感想

「はっきりとした専門性がない。」文系であることをネガティブにとらえると、こうなる。

しかし、逆に言うと、ぼんやりしていて、曖昧なことに慣れている。そういう曖昧さを読み解く総合的判断力と、ファシリテートしてアイデアを引き出すコミュニケーション力。これらの力は、この変化の速い社会で役に立ち、武器になる、というメッセージと受け取った。これには勇気づけられた。希望を与えてくれる本だった。

ただ、私は、文系・理系のどちらの学部で学んだかは、文系力の高さにある程度の影響を及ぼすかもしれないが、決定的、支配的な要素ではないと思っている。

実際に、政治の世界でも、企業経営者の中でも、理系出身でトップに立っている方は多くいる。私の個人的に尊敬している、とある企業の理系出身の社長さんは、ものすごい読書家だった。夏目漱石がお好きで、色々な場面で、文学について熱く語っていらっしゃった。彼はコミュニケーション力がとても高く、人望の厚い方だった。この本でいうところの、「文系力が高い」方だったのだろう。

逆に、当然ではあるが、ただ文系学部に進んだけでは、本書で言うところの文系力は身につかない。読書して教養を身に付けず、精神の鍛錬を怠っていては、単なる、ぼんやりした人になってしまう、と警告する。全くそのとおりだと思う。

また、読書の効用については、以前ご紹介した『本を読む人だけが手にするもの』(藤原和博)という本の内容にも通ずるところがあると思った。

根っからの「ど文系」の私も、これからもさらに読書などを通じて、もっともっと文系力を高めていきたい。

ご参考になれば幸いです!

齋藤孝さんのベストセラー、『頭のよさとは「説明力」だ』はこちら。

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