【読書録】『絶望名人 カフカの人生論』 フランツ・カフカ / 頭木弘樹 編訳
『変身』などの作品で有名な文豪、フランツ・カフカの日記や手紙の中から、暗く、ネガティブな、絶望を語る言葉だけを集めた、珍しい名言集。頭木弘樹氏の編訳による、『絶望名人 カフカの人生論』。
カフカの86もの絶望名言が、原則として見開き2ページを使って、右側に名言そのもの(和訳文)、左側にその名言についての頭木氏の短い解説を、セットで掲載するという形で収録されている。パラパラとページをめくって、目に留まったところから、どこからでも読める。
著者の頭木氏は、20歳のときから13年もの間、入院と自宅療養のための「強制ひきこもり生活」を余儀なくされた。そのなかで、いちばんの支えとなったのが、カフカの日記や手紙だったという。「絶望しているときには、絶望の言葉が必要」だということを、ご自身の闘病経験のなかで確信したのだそうだ。
冒頭の「はじめに」では、頭木氏のこの本についての思いや、カフカの絶望名言の特徴について述べられている。
心がつらいとき、まず必要なのは、その気持ちによりそってくれる言葉ではないでしょうか。
自分のつらい気持ちをよく理解してくれて、いっしょに泣いてくれる人ではないでしょうか。(p6)
ポジティブな名言はたしかに価値のあるものですが、心がつらいときにいきなり読んでも、本当は心に届きません。
まずは、ネガティブな気持ちにひたりきることこそ、大切なのです。(p8)
その(注:カフカの)言葉のネガティブさは、人並み外れています。
(中略)
あまりにもネガティブで、かえって笑えてこないでしょうか。
ひどく落ち込んでいる人でも、カフカがあまりにも極端に絶望的なので、「いや、自分はここまで絶望していないんだけど」という気持ちになってくるでしょう。
カフカほど絶望できる人は、まずいないのではないかと思います。カフカは絶望の名人なのです。誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはき、誰よりも前に進もうとしません。
しかし、だからこそ、私たちは彼の言葉に素直に耳を傾けることができます。成功者が上からものを言っているのではないのです。(p11-12)
カフカの絶望の言葉には、不思議な魅力と力があります。
読んでいて、つられて落ち込むというよりは、かえって力がわいてくるのです。(p17)
ポジティブな言葉を集めた名言集は、世の中にあまたあるが、この名言集に収められている86の言葉は、どれも恐ろしく、ネガティブ、悲観的、絶望的だ。読んでいて、どーんと暗くなるものばかり。
特に私の印象に残った名言を少し抜粋してみる。
12 ここより他の場所
死にたいという願望がある。
そういうとき、この人生は耐えがたく、
別の人生は手が届かないようにみえる。
イヤでたまらない古い独房から、
いずれイヤになるに決まっている新しい独房へ、
なんとか移してほしいと懇願する。
― 罪、苦悩、希望、真実の道についての考察
24 過去のつらい経験を決して忘れない
ぼくは本当は他の人たちと同じように泳げる。
ただ、他の人たちよりも過去の記憶が鮮明で、
かつて泳げなかったという事実が、どうしても忘れられない。
そのため、
今は泳げるという事実すら、ぼくにとってはなんの足しにもならず、
ぼくはどうしても泳ぐことができないのだ。
—断片
50 書くどころか、ものを言うこともできない
ぼくは、
ちゃんと物語ることができません。
それどころか、ほとんどものを言うこともできません。
物語るときはたいてい、
初めて立ち上がって歩こうとする幼児のような気持ちになります。
—フェリーツェへの手紙
68 二人でいるほうが、もっと孤独
二人でいると、
彼は一人のときよりも孤独を感じる。
誰かと二人でいると、相手が彼につかみかかり、彼はなすすべもない。
一人でいると、全人類が彼につかみかかりはするが、
その無数の腕がからまって、誰の手にも彼に届かない。
—日記
人生は、独房。泳げるのに、泳げない。書くことも物語ることもできない。二人でいると、孤独…。この絶望っぷりたるや、すさまじい。
著者の言う、「絶望しているときには絶望の言葉が必要」ということについては、大いに共感できた。絶望しているときには、無理やりポジティブな言葉に接して、中途半端に明るくふるまうよりは、徹底的に絶望モードに浸り、一旦、落ちるところまで落ちるほうが、そのうち、自力で自然にどん底から這い上がることができるようになり、回復が早いのではないか、という気がする。
ところで…。
個人的な話をすると、私がまだ20代の頃、絶望のどん底にいた時期があった。
今の夫と出会う前、私は、とある男性と恋に落ち、約4年間にもわたる大恋愛の末、フラれてしまった。恋愛中は、彼のことが好きで好きで仕方なくて、彼に依存しきっていた。だから、彼から別れを切り出されるや、何を目的に生きていけばよいか分からなくなり、途方に暮れ、かなり長い間、その悲しみを引きずっていた。
そんなときにずっと聞いていた曲がある。Mr. Childrenの『Over』という曲だ。その、あまりにも切なく苦しい歌詞と、美しく悲しげな音楽の響きが、そのときの自分の気持ちと本当によくシンクロしていた。
その歌詞は、私の場合とは男女が逆で、男性が女性にフラれたというストーリーだったが、暫くの間、頭からずっと離れなかった。特に、サビの一部の、以下の部分が、絶望感を誘った。
君を形成(つく)る全ての要素を
愛してたのに
心変わりを責めても君は戻らない
いつか街で偶然出会っても
今以上に綺麗になってないで
たぶん僕は忘れてしまうだろう
その温もりを
愛しき人よ さよなら
この曲を聴いていると、心臓がえぐられたように苦しくなり、せつなさで一杯になり、すぐに涙があふれ、止まらなくなった。それなのに、何度も何度もリピートして、この曲を聴き続け、泣き続けた。
でも、そうやって、とことん絶望感に浸り切ると、次第に、気持ちが落ち着いてきた。悲しみが和らぎ、どん底から少しずつ這い上がってみようか、という気持ちになってきた。長い時間はかかったが、つらい気持ちにとことん向き合ったら、不思議とスッキリして、心のスイッチが切り替わったように感じた。
本書の、「絶望しているときには絶望の言葉が必要」という言葉に接して、すぐに、このときのことを思い出した。まさに、あのときがそうだったなあ、と。
絶望感に襲われたときに、処方箋としてすぐに手にとれるように、ずっと本棚に置いておきたい。そう思える1冊だった。
今、何かつらいことを抱えている方へ。この本をパラパラとめくってみていただくと、あなたに寄り添ってくれる言葉がみつかるかもしれない。
ご参考になれば幸いです!
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