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1991 VS 1992 ——米津と常田。2つの超天才の決着

※本記事は、必ず米津玄師の『kick back』のPVをYouTubeで見てからお読みください。


1993年生まれのぼくは、
1992年生まれの一番の天才はKingGnuの常田大希で、
1991年生まれの一番の天才は米津玄師だと思う。
この連なる年号は、中学1年生の1993年世代の中学校をイメージしている。

1991〜1993年生まれは、同じ中学校の1〜3年生なのだ。
中学生の時、その代の頭は誰か?みたいなことって考えたことあると思う。
なんとなく目立ってるあの人の代になったりする。

あの感覚で、ぼくはこの中学校の3年の米津先輩と2年の常田先輩のどっちが本物の天才か?ってことを妄想したりする。
米津先輩も常田先輩もどっちもとんでもない天才なので、どっちもいいのが正解だ。

しかし、一番を決めたくなってしまうのが、小市民の性。
ぼくの答えは、2年の常田先輩なのだけど、
米津先輩派の人は、ぜひコメント機能で意見を聞かせてほしい。

今回のテーマは、この2つの連続する世代に生まれた2人の天才について。
すなわち、『1991 VS 1992——米津と常田はどちらが天才なのか』をテーマに、
常田が米津に楽曲したという『kick back』のPVの感想を交えながら書きたいと思う。



『kick back』の歌詞を見た感想です。
はじめに断っておくと、
この感想は、正解みたいな書き方に見えるかもしれませんが、いちファンの好き勝手な解釈です。

ストーリーを説明する。

このPVの中で、2人の関係性は、おそらくライバル
お互いの才能を認め合った2人が、お互いに「あんたには敵わない」って言い合ってるような内容だ。
このPVの世界観は、少々ぶっ飛んでいるので、ぼくなんかの理解には及ばないところがあるが、おそらくこういうことだろうという考察内容を以下にまとめる。
ただ、シーンを分解すると大きく分けて4つだ。
これら4つの世界が、ミックスされできあがった構成だ。

①ジムのトレーニングルーム
②風車と高原の世界
③パルクール
④偽米津たちとの競争

このPVの理解の仕方は、
米津玄師の頭の中の出来事だ、と抑えること。

米津玄師にとって、
常田大希にとって、
お互いがどんな存在であるのかを表しているメタファーの映像である。

才能を認めあった天才同士にしかできない関わり方というか、
そういう天才同士しかわかり会えない友情というか。

※多分、そういうものを描きたかったんじゃないかと思われます

以下はあらすじだ。

ジムでストイックに筋トレを続ける米津玄師が、
自分が持ち上げられないバーベルを片手で持ち上げるくらいの大天才の常田大希に出会う。
天才は、天才の才能に気づいてしまうのだ。
その常田の才能を見せつけられた米津は、さらに追い込んだトレーニングをする。
そして、鍛え上げた筋肉を見せつけるように、どでかい一撃を放ち常田を驚かせる。
このような競い合いと高め合いのくらべっこにバカバカしくなって、
ゴム製の筋肉を外す。
そしたら、別の勝負を始めようぜって常田がランニングマシーンに立って誘う。
2人のランニングマシーンが加速して、2人の張り合いが加速する。
すると、米津は「幸せになりたい」の歌詞とともに、
風車の見える高原に転送される。
そして、米津玄師はトラックに引かれる(※1)。
吹っ飛ばされた米津玄師は見事着地成功して、ダッシュで走る米津を赤い高級車で追い越す涼しい顔して常田大希。
それから、米津玄師のパルクールシーンに入り、
たくさんの米津玄師もどきと猛ダッシュで徒競走(※2)をして、
見事一位を勝ち取る。(ちなみに、ズルして1位に見える)
そして、疲れ果てたランニングマシーンで隣で機械を設定し始めた常田に対して米津が、
「あのー、つ・・」(※3)でブチッと画面が切り替わり、誰も乗ってないランニングマシーンを見つめる米津玄師が移されて終わる。(※4)

※1:これはよくわかりませんでした。精神的に限界を超えていることのメタファーでしょうか。
※2:おそらく、最後のこのシーンは、カリスマの米津玄師を真似したフォロワーみたいな米津玄師のバッタモンが流行する中で、そいつらと戦って、やっぱりオリジナルの米津玄師が一位になるというメタファーなんじゃないかと読み取りました。
実際に、米津玄師に影響を受けたアーティストは、山ほどいると思います。ちなみに、ズルして一位なのは、米津玄師なりのジョークか謙虚さの表れなのではないかと思われます。
※3:「つ」に続く言葉は、もちろん書くまでもありません。
おそらく2人の偶然の出会いのような回想の要素もあるのだと思う。
※4:意味深なラストですよね。これは多分、米津玄師の中の妄想の常田と自分みたいなことを伝えたいんだと思います。
フィクションによって誇張された2人の関係を描いているということだと思います。

あらすじは以上です。
以下は感想です。


天才が天才に出会ってしまったので、
2人は競い合って高め合ったのだろう。
お互いがお互いをなんとなく意識して、

おそらく2人の相互認識は、
米津からしたら「俺の後ろにすげえやつがいる」だし、
常田からしたら「俺の前にすげえやつがいる」なのだ。

※ちなみに、ファンの方が書いた記事によれば、この2人はすごく仲が良いらしいです。
常田さんが米津さんへ向けた手紙の中には、「米ちゃん」というあだ名とともに目頭が熱くなるようなメッセージが送られてました。

天才のきまぐれで、
「売れる曲でも書こっと」って言って、『レモン』つくって本当に売れちゃう米津玄師に「負けねぇ」ぞって、『白日』という売れる曲をつくって、本当に売れちゃう常田大希。

いずれにしてもヤバイですよね。
涼しい顔して、米津玄師よりすごいことクールな顔してやっちゃう常田大希。
その常田をモチベーションにして、高みを目指し、自己ベストを更新し続け、どんどん進化する米津玄師。

※もちろんふたりとも途轍もない努力家だから、
天才肌の常田と努力家の米津って対比は無理があると思います。
どっちも才能も持ってて努力もします。

絵もダンスも歌詞も歌声もやったことはなんでも完璧になんでもできちゃう天才の米津玄師

一曲に数ヶ月もかけて制作して、曲にすさまじい魂を打ち込む天才の常田大希

どっちも天才。
みなさんはどっちが天才だと思いますか?
コメントお待ちしています。




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