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45か国以上を旅するなかで、いつか世界における弱者を助ける活動がしたいと思ってきました…

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45か国以上を旅するなかで、いつか世界における弱者を助ける活動がしたいと思ってきました。 日本における難民の現状を理解してもらえるような記事が書けたらと思っています。https://www.facebook.com/sayaka.ono.98

最近の記事

難民事例 その5 続き2(カメルーン 男性:30代前半)

 2024年の1月中旬、入管で難民申請中の就労不可から就労可への更新が却下された帰り道、すっかり絶望モードのうえに、お金がなくて朝から何も食べてない彼と夕方、ドトールに入りました。私も入管に対して経緯説明書を書き、それなりに書類を提出しても、力になれなかったことに内心かなりショックを受けていましたが、次にやることを考えるしかない、と彼に帰ったらこの3つをやって欲しいと話しました。 1.WELgeeにコンタクトして、就職先紹介を考えてもらうこと 2.履歴書をアップデートする 3

    • 難民事例 その5 続き1(カメルーン 男性:30代前半)

       Eさんの話は作り話と思えませんでした。実際に家が焼かれた写真も動画も携帯に入っているというのです。だから、入管に対して、それらは提出できて説明ができるという事でした。  これをうけてWELgeeの顧問である長岡先生に相談したところ、「彼は、ここで入管に認識変えてもらえないと、日本で働けずに生きていくのは難しく帰国したら殺されてしまうんでしょ。だったら、入管に説明するしかないんじゃないの」と言われました。Eさんは就労許可は出せないが、更新はしてもいいと入管に言われていたので、

      • 難民事例 その5(カメルーン 男性:30代前半)

        この件は、私がボランティアをしたなかでの話です。 カメルーンはWELgeeでも何人かの難民と出会っていて、男性も女性も社交的な人が多いです。その社交性で世渡り上手な印象があります。同じアフリカでも、隣に位置するのに国によって国民性が違うのが興味深いところです。今回、ご紹介するEさんは、WELgeeのイベントで知り合いました。他の難民の人達と似たような経緯で、難民となって教会のサポートをうけていたら、そこにいた人からWELgeeを紹介されたそうです。WELgeeは、難民の人達が

        • 難民事例 その4 (エチオピア 男性:30代前半)完結編

          (前回の続き) この逮捕により、私は政治犯に対する残虐な扱いで悪名高いマエケラウィ拘置所に収監されました。暗くて寒く横になることもできない小さい部屋に押し込められました。毛布はなく、食事は1日1食、トイレも1日に1度のみでした。そして看守は継続的に「政治活動をやめないなら、殺すぞ」と脅かしてきました。私は殺されてしまうかもしれないと大きな恐怖を感じながら、経過日数もわからずに収監され続けましたが、約2週間後に釈放されました。釈放時には、精神的にも身体的にも衰弱し歩くこともでき

        難民事例 その5 続き2(カメルーン 男性:30代前半)

          難民事例 その4 (エチオピア 男性:30代前半)続き1

          以下はエチオピア難民の彼から私が聞き取りをした内容です。彼の視点から話をまとめています。  私は10年ほど前に兄が運営していたメディア・広告サービスの運営に携わりました。私はこのニュースサイトを通じて、エチオピアの国営メディアが取り上げないエチオピア国内及び世界の最新ニュースを国民に正確に伝えたいとの思いを持っていました。私と兄は全ての人は平等に扱われるべきであることを信念としています。そのためニュースサイトでは、エチオピア政府を批判していると受け取られかねないような記事を

          難民事例 その4 (エチオピア 男性:30代前半)続き1

          難民事例 その4 (エチオピア 男性:30代前半)

           WELgeeで知り合ったエチオピア男性のDさんは澄んだ目が印象的な人でした。どうやら政府批判の記事を載せたウェブサイトを運営していて目をつけられて逃げてきたらしいと、うわさで聞いていましたが実際はもっと深刻な背景と20歳で投獄されるような経験があったと知ったのは仲良くなってからでした。  彼は地元の大学でビジネスと経済を学び、日本に逃れてきてからもWELgeeの支援によりMBAを修めていました。そんな彼でも、やはり日本に来てからは最初は工場で働きながら勉強をしMBA修得後

          難民事例 その4 (エチオピア 男性:30代前半)

          難民事例 その3 完結編(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          その日の夜、私は両親に会いに行き何が起こったのかを説明することにしました。家に戻って寝ようとしたら弟からまた電話があり弟の近所の人が、弟に留守中にアパートに武装した人たち(警察でも軍隊でもない)が来ていたと伝えたと聞きました。捜査官と思われる、その人達は弟の留守中にドアを壊し家の中に入ったということでした。その日の夜、私は自分の家で寝るのをやめ友人宅に避難しました。翌日、弟から電話があり調査団の一員であった同僚の一人が行方不明と知らされました。(おそらく拉致されたのだろうと思

          難民事例 その3 完結編(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その3 続き4(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          6月頃、弟から電話がありました。調査を担当していた部長が逮捕され調査に参加した全員が解雇され、コンピューターもすべて廃棄されたとのことでした。そして、OLBCのコンピュータはすべて警察に持ち去られたそうです。私の弟の説明によると、私たち(初動捜査チーム)は汚職で逮捕される可能性があるとのこと。発覚を恐れた権力者側の証拠隠滅のための濡れ衣ですが、そのために逮捕されるかもしれないということがわかりました。その時、私は会社に行く途中でしたが同じようなことが当社側にも起こるかもしれな

          難民事例 その3 続き4(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その3 続き3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          私達は日本に逃れてきた難民の人達がそれぞれ、どんな人生ドラマを持っているか知らずに会社の同僚として、またはイベントで知り合った友人として接することが多いです。彼らもトラウマとなっている過去があり、あまり話をしてくれることもありません。今回の記事だけでなく、ここで記す詳細が少しでも実感となって皆さんに何が他の遠い国で起きているのか、法に守られた日本にいる私達には想像できない世界に若者がさらされて生きていることの理解の一助になれば幸いです。  以下に私がCさんから聞いた一連の経緯

          難民事例 その3 続き3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その3 続き2(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          Cさんは新婚2ヵ月の妻を祖国に残して悲しみと不安の中、台風の日に成田空港に降り立ちました。行くあてもない彼は、とりあえず連絡がいってるかわからない弟を待つことしか思いつきませんでした。台風だったということもあり弟が果たして空港に来れるかもわかりませんでした。午前中に着きましたが、何時間も降りた空港のロビーでずっと弟の姿を探してました。夕方の4時ぐらいになり、あきらめかけた頃にエスカレーターに乗っている弟の姿を見かけました。それは本当に奇跡といえる偶然だったと思います。見かけな

          難民事例 その3 続き2(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その3 続き1(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          Cさんが国を追われた理由は会社の汚職でした。脱税、賄賂などはコンゴ民主共和国は平然と行われていて、政府関係者が彼の企業を利用して不正に横領したのが発覚。企業側の横領調査チームにいた彼自身は汚職に関わっていなかったにも関わらず、政府側が証拠隠滅をするために一方的に多数の逮捕者と殺人が行われ、彼は新婚2カ月で奥さんを実家に帰して日本に逃げてこざるを得ませんでした。アフリカの国々の多くは権力者にとっては、無法地帯です。  彼の人生は興味深いです。奥様は敵国ルワンダの人でルワンダの

          難民事例 その3 続き1(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例3人目Cさんも、同じコンゴ民主共和国からの男性です。この国はここ数年、東のルワンダとの国境を中心にルワンダとも紛争が起きていて、非常に政治的混乱と反政府活動への弾圧が強く、無法地帯となっています。よって人生を変えようと反政府的な活動をした若者達が、命の危険性を感じて国を追われる事態となっています。(以下の情報は本人の許可を得ています) CさんとはWELgeeの活動で出会いました。おっとりした好青年で、誰もがサポートしたくなるような人柄でした。コンゴ出身ながらインドの

          難民事例 その3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その2(アフリカ 女性:30代前半)

          この方(以下Bさん)は、一度、難民申請が不許可になった後に弁護士さんをたてて、再度申請した後の許可でした。難民の許可認定率が非常に低いなかで、こういったケースでないと、なかなか認められにくいという現実があります。 この難民女性は、反政府のデモのビラ配りをしたことで身柄を拘束され監禁されました。その時にされたレイプのトラウマから最初に自分で難民申請をした時は何もきちんと説明できませんでした。不許可になって弁護士がついた事でやっと話せるようになったのです。  2018年2月に

          難民事例 その2(アフリカ 女性:30代前半)

          難民事例 その1 追記(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          完結編を書いて入管(品川にある、東京出入国在留管理局)に申請をして、あとは許可を待つだけとクローズしたつもりの事例でしたが思いがけず、入管のほうから追完といい審査に対する疎明資料が足りないという通知をうけました。提出日が決まっていて、追加で揃える必要があります。 求められた以上に60ページにもわたって書類提出をしていたので行政書士ビギナーの私は、なぜ?という感じだったのですが、それ以上に追完を求められた理由がショックでした。彼のコンゴ民主共和国で卒業した学校はあきらかに大学

          難民事例 その1 追記(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その1 完結編(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

           まだ行政書士の資格を得て研修中の私ですが、資格を得たからといって直ちに顧客のために入管に申請ができるわけではありません。入管に申請できるようになるには、さらに取次申請といって取次研修をうけて申請取次行政書士資格を取得して初めて、できるようになります。こちらは年に数回しかない研修なので行政書士登録を済ませても、できるようになるまで数か月はかかります。余談ですが、さらに特定行政書士といって特定の研修を受けることで行政不服申し立てに係る手続きの代理を行う事ができるようにもなります

          難民事例 その1 完結編(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          難民事例 その1 続き3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

          Aさんは、カトリック教会でWELgeeの渡部代表と知り合いましたが、アフリカの方々はカトリックが多いので、難民で来た人は宗教上の観点から教会からのサポートを受けることも多いです。実際、母国での反政府デモも教会が主導したものも多かったのです。 (参照記事: https://www.asahi.com/articles/ASL114RK6L11UHBI007.html AさんはWELgeeとの出会いをきっかけにJobCopassという、難民の就職支援事業を利用して、ITベンチ

          難民事例 その1 続き3(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)