成功法則を知りすぎて、わからなくなっても。
なんとなく知っていることが、きっと役に立つ日がくるから、それでいいんだと思う。
というかもう、意識してないところで体に染みこんでいて、勝手に使っているかもしれないしね。
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気づいたら自分の一部になってる。
この間、エッセイを書いていた。応募する用のやつだから力入れたくて。
そろそろ完成。という時に
・プリントして読み直すといい。
・声に出して読むといい。
ていう2つのことが、頭に浮かんだんだ。
『プリントして紙で見ると、画面ではわからなかったニュアンスの違いや、誤字に気づける。』
とか
『自分で声に出して読んでみて、流れるように理解できるか、確認する。』
という、経営者さんか、作家さんの本に出てきた言葉だったと思うんだけど。
いつ読んだかも、覚えてない情報でも
なんか知らんうちに、自分の中に入ってたんだな。必要な時に、出てくるもんだなあ。
と、思ったんだ。
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すぐ使えなくてもいい。
前に、高校で自己啓発めちゃくちゃ読んでた、と書いたことがあったけど。
大学に入ってからも、本屋さんはずっと好きで。今もよく行くし、前は毎日何回も行ってた。
その時の理由は、様々だったんだけどさ
・気休め。
何かしないと、という焦りに駆られて、
とりあえず本を読んでみたり。
・安心したい。
今の自分は間違ってないんだと安心したくて、
欲しい言葉を探したり。
・漠然とした不安。
を埋めたくて、読んだりしてたんだけどさ。
(あとは暇で)
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自己啓発って、読みはじめは
「よっしゃ、これで自分も大成功者♩」みたいに爆裂テンション上がるんだけど。
色々読んでいくと
「あー。これね。はいはい。」ていう平たいテンションになってしまうんだよね。
私もいつの間にか
「知識を実行」するよりも「知識を得る」ほうに比重が傾いてしまっていたんだ。
なんか、不安だったしね。
必要なときに、思い出せるから。
思い返すと
「知識ばっか入れて。そうすることで、安心してたいだけじゃん」て自覚してたし、自分を責めてた。
けどさ
ふとした時に「あーなんか、こうだったよな。」て思い出す知識や、言葉があって。
日常のすきまで、割と役に立ってたりする。
あと人に伝える時とかもね。
…
今を肯定しよう。
本を書いてる側の人からしたら、不本意な使い方かもしれないし。
必要がないなら、そんなに読まなくていいもの。
だとは思うんだけどさ。
今すでに、たくさん知識を入れてるなら。
いっときでも、それが救いとなって、心の安定をもたらしてくれてるならさ。
それで、いいじゃん。て思うんだよなあ
てか否定したってもう、読む前のまっさらな状態には、戻れないんだからさ。
そこはもう、肯定しとくしかないよねぇ。
過去のことは全部いい方に捉えちゃえ。
だって否定してもいいことないもん。
それでいいじゃんか。
変えたきゃ変えたくなるし、やってみたくなったら、そうすればいい。
逆にそれが、着火剤になるかもしれないしね。
という話でした。
おわり☺︎