あまのさわ🕊✨心とカラダの軸づくり✨
実は、 初めて命を授かったときは、 「守り抜く!」という気持ちが本当に強かった。 目に見えないほどの生命が 自分のおなかに宿るなんていう経験をしたことないから その小ささや儚さに 怯えていた。 だから、 いろいろな制限を自分に課して、 むしろ、歩き方や動きさえもゆっくりになるような(汗 だけど そこまで大事にして守り抜こうとしていたのにもかかわらず 流産したという経験があるからこそ むやみに制限せず 生きたいように生きる! 不安でいることより、 楽しんで、幸せを感
これでもか! というほど、 ヨガを学び、 ヨガを実践するをする日々になりました。 ヨガに身も心も投じているので 本当に 穏やかで快適。 あ。 周りが経験豊富なバリバリのインストラクターの方々 だったので そんなのデキマシェーン(×_×) という、 落ちこぼれ感、劣等感は たまにあったけれど(爆) 総じてこの期間 自分が変えられるものに 集中出来ていました。 言い換えると 出来ることに集中し、 コントロール外のことは、 できるだけ早く手放す。 そうすることで
ヨガのレッスンを毎日のように受けていく中で、 ・このポースはどんな効果があるんだろう? ・どんなことに気を付けると、さらにいいんだろう? と、 思っていることが増えました。 そして、 ヨガのことを詳しく知りたい! 自分でも出来るようになりたい! という強い思いに変わっていきました。 だけど!! 私には、 子どもを授かりたい!という 大きな望みがありました。 当時、 私が学びたいと思った ヨガのインストラクターの勉強をするには 最低7ヶ月間の期間を要しました。
前回、 今の私の根幹となった 身体改革が始まりました。 身体が実感を伴って変わってくると、 正直 最初の妊娠が継続していたとしたら、 赤ちゃんにはどれだけ悪影響があったのだろう?と 思うようにもなりました。 ・むくみ ・全身様々なアレルギー ・高頻度の発熱 ・筋力不足 ・貧血、立ちくらみ ・蕁麻疹 etc 不妊の期間は、 どんなに頑張ったとしても 本当に授かるのかは分からない。 でも 強い望みがあるから 1歩でも前に進めた。 だから、 すごく不安な時期でもあった
流産により、 とことん落ち込みました。 絶望しました。 だけど、裏を返せば 強く強く赤ちゃんを授かりたいと 心の底から望んでいたということ。 だから、 時が経ち 1歩ずつ前に進み始めました。 前提として 赤ちゃんは授かるものだから、 本当に授かれるのかどうかは 神のみぞ知るところ。 だけど 全てが神のみぞ知る、 コントロール外のことなら 「待つ」こと、「祈る」ことしかできない。 そうじゃない!!! 私には、 私の出来ることがある! 取り組めることがある!! 取り組
前回、悲劇のヒロインが登場しました。 待望の第一子を授かったところから、流産。 来る日も、来る日も絶望を感じていました。 さらに、 身体を回復させるために、 次の妊娠まで半年ほど開けた方がいいと指導され 授かるまでの道のりの長さにも、途方に暮れました。 (今振り返ると、 半年は短いよって言いたくなる気持ちもありますが) 結局ここから約2年ほど、 授かるために奮闘することになりました。 もともと自然妊娠出来たのだから、 身体を休めたら すぐに授かるのでは? と、淡い期
手術を2回もすることになり、 やっと!気付いて身体改革を始めました。 そして 身体改革と時をほぼ同じくして 待望の第一子を授かることが出来ました。 (結婚後4~5年経った頃でしょうか) 腰に爆弾を抱えていたので、 妊娠しても出産をすることは難しいのでは? なんて、言われたり 身近な友人が出産する機会が増えてきて、 羨ましいなと思っていた気持ちもありましたし、 私が授かる1-2週前に、 妹も授かったと聞いていたので 赤ちゃんが欲しいという気持ちが とても高まっており
2度目の手術を終えました。 正直なところ 後になって 手術をしたことを 後悔することもありました。 腰椎椎間板ヘルニアは、 根本的に身体を変えていけば、 手術をしなくとも 症状をなくすことが出来ることを後から知ったからです。 手術後の癒着による症状や 身体が弱いまま症状だけ取り除いた弊害など 身体を整えていこうとする過程で 後出しじゃんけんのように知りました。 でも!! 当時は、藁にもすがる思いで手術をお願いしたし、 一人で歩くことがままならない生活は本当にツラかっ
悪夢の日々が再来しました。 デジャブかな?と思いました(汗) 夢であって欲しいと願いました。 ▼お察しの通り、このツケが回ってきたのです 脚が痛いッ!! 無視できないほど 痛いッ!!! 明らかに、 数年前にサヨナラしたと思っていた痛みが蘇ってきた。 夢ではありませんでした。 / 腰椎椎間板ヘルニア再発です。 \ 振り返ると、 小さな違和感ありました。 身体は必死に声をかけてくれていたんです。 でも 私は無視しました。 気のせいだ! もう大丈夫なはず! すぐ治
帰国してから、しばらくして 外資系の会社で働いたのですが そこで働く方の在り方に、衝撃を受けました。 今から10年ほど前の話です。 ・出社時間は自由! ・オンライン出社OK ・働いた時間分きちんとお給料が支給される(←!!) ・ランチタイムの充実 ・オンとオフの境目はっきり 生き生きと楽しそうに働き、 休憩時間は、本当に休憩してOKで お昼時間はどこのランチに行くかを楽しみにして これは、 世間では特別目新しいことではないかもしれないけれど 当時の私には、衝撃的でした
腰のヘルニアで歩行が困難になり 鍼治療、ヨガ、ストレッチ、理学療法、ウォーキング、マッサージ等々 色々やっていましたが 結局、 痛みの長期化と生活への支障が大きかったので 「手術」を選びました。 振り返ると この選択には、 もう少し我慢して改善すれば良かったという後悔と しょうがなかったよな~という想いの 2つの気持ちがあります 手術、リハビリが終わりました。 なんと、 普通に歩けるーーー! 痛くない!! 腰をまっすぐにしても大丈夫だー!!! いや、 走れるーー
腰のヘルニアが悪化し、 歩くのも困難な状況になりました。 最終的に お世話になったのがロンドンにあるいわゆる「総合病院」 整形外科も入っていました。 予測として、 CTやMRIをとって 手術かな?なんて思っていたのですが・・ 全く違いました 最初に進められたのは、 「鍼治療」 日本では、 西洋医学を基本とする「病院」と 東洋医学を基本とする「治療院」は 同じ人を治療するために協力し合うことは、 殆どないですよね。 だけど その整形外科の先生が伝えてくださったこと
原因は不明ですが 環境の変化等により様々な症状が出て、 身体的にボロッボロになっていました。 ▼詳しくはSawa's Story14 サポートしてくださった方々に 感謝の気持ちでいっぱい。 本当にありがたいなぁ~と思っています。 だけど 1つ大きな後悔があります。 それは、 無知の状態で「ステロイド」を内服したことです。 しかも! 日本人に合わせた量ではなく、 欧州の人に合わせたの処方量を飲みました。 気付いたときには、 ムーンフェイス!! 徐々に丸まったよう
ロンドン生活がスタート。 背中に羽を生やし、自由に飛び回る・・ 2~3ヶ月くらいたった頃でしょうか。 突然! 〇顔に、いわゆるイメージ上の泥棒の ぐるっと口を囲むような髭のような 病変が出来ました。 〇太陽光の下では 目が開けられないほどの炎症が起き始めました 〇苦痛MAXの全身のかゆみ 今まで押し込めていたものの爆発 環境の変化 等の要因でしょうか いわゆる 身体がボロッボロの状態になりました。 当時の私ではどうにも出来ない状態 そこに 女神降臨!!
突風が吹き荒れて、人生が急展開しました。 まず、 夫と婚約しました。 ▼ 〇約1ヶ月後、 夫のロンドンへの赴任が決まりました。 ▼ 〇その後、1-2週間で 両親への挨拶、顔合わせが終わる ▼ 〇3ヶ月後、 結婚式を挙げて、退職し主婦になる ▼ 〇半年後 ロンドンでの夫婦生活が始まる。 幼少期から「保健室の先生になる」のが夢で、 それしか考えてこなかったので 人生終わるのか!と 正直思ったけど 辞めるとなると、やっぱり悩みました。 が 夫と初めて出会ったときに
保健室の先生時代、 子どもたちや他の先生方との関わりで 救いを求められ、それに全力で答えることが出来る日々。 燃え上がるような使命感と共に過ごしていました。 そう。 人と関わっているときは・・ だけど 先生とは〇〇でないといけない 〇〇のときは、〇〇をしなければならない こういう暗黙のルールがある さらに 相方の先生からのモラルや在り方の (半強制的な)指導 加えて もともとの真面目な性格が重なり 湧き出てくる気持ちや自分のやりたいことを 制限制約することが 先