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30女のバイト遍歴 1 - 13歳、チンピラのチラシ屋でバイトしてた時のはなし。

いわゆる、なんとなしに不安っていうものが、30になってから初めてにょきにょきとその姿を現してきたような気がする。
私はいままで悩みという悩みもなく、とにかくその場その場の欲求に従って生きてきたのだけど、ふと振り返ってみてしっちゃかめっちゃかな自分の履歴書をみて愕然とした。

肉屋、バーテンダー、ペンキ屋、居酒屋の調理人、事務員、AD、CADオペ、改札機の保守員、テレビの美術さん、遺跡発掘、イタリアンシェフ、スタジアムの笛吹く人、皿洗い、マクドナルド、保母さん、通訳、監視員などなどなどなど……。

もとを辿れば、
私の奇妙な仕事遍歴は13歳、チラシの配達員として幕を開けた。

学校帰り、近所のプレハブのようなところへキックボードで駆けつけると
パワーストーンブレスレットをチャラチャラさせたオレンジ茶髪で小太りのおっさんがタバコふかしふかし「これ、今日の分」と私にチラシの束を渡す。
私はせっせと何百枚もあるチラシたちを三つ折りにして、斜めカバンに詰め込みボロボロのキックボードで配達に回る。

一枚一円とかだったから、
日銭にすると500円がせいぜいだったように思う。
そんなこんなでも、毎日続けると月に一万円以上にはなったのだ。
中学生には大変な金額である。

なぜ私が部活や青春を投げうって、こんな一生懸命ヤニ臭いプレハブに通ってまで金が欲しかったか。

チャゲアスのライブに行きたかったのである。

小学生の頃から私はCHAGE AND ASKAが大好きでたまらなかった。

忘れもしないチャゲアスとの出会いは、
夏休みにばあちゃんの田舎に帰る道中の車内であった。

カーラジオから流れてきた「ひとり咲き」に私は衝撃を受けた。

とぎれとぎれの話はやめてよ
あんたの心にしがみついたままの終わりじゃ しょうがない

なんだこの哀愁と色気と絶望となんか大人のエッセンスを絞り出してそーれエイヤッと粒子細かめのスパンコールまぶしたような感じは?(※個人の感想です)
おお、飛鳥よ……!

それからというもの、
皆がSPEEDで果てしないこの空の彼方に行っている間わたしはひとり万里の長城にいたのである。

CD!どんだけ出してんだ買っても買ってもコンプできない、ああシングルまで、そうだ友人に布教するためのカセット代!そして新しいラジカセ!レコードも!
何よりもそして……武道館ライブ!

全てはチャゲアスのために — おっさんのチラシ屋で、わたしは猛烈な勢いで働いた。

パワーストーンのおっさんはいつもクルクル回るイスに座って、背中を長い棒のようなものでかいていた。
たまに現れるパンチパーマや金髪のバラエティ豊かなおじさん/お兄さんたちは、
わたしを見ると一瞬ギョッとした顔をして、
お菓子やジュースをそっと置いていってくれた。

事務所内にはよくわからない開運しそうな雰囲気の置物がところ狭しと置かれており、
全体のイメージカラーは金と灰色であった。

チャゲアスの武道館ライブも目前に迫っていた頃、
グッズ代を貯めるためせっせと配達前のチラシを折っていたわたしに
パワーストーンのおっさんヤニで黄色くなった歯をむき出しにしながら、

「あのさー、絶対それさー折った後、配ってないでしょ? その辺に捨ててんでしょ」

はい?

「だって、いつも戻ってくるの早いじゃん、異様に最近」

それはわたしのチャゲアス愛がそうさせているのであり、
おっさんが背中をかいている間にわたしはおそるべきチラシ配りマスターとして進化を遂げていたのである。

おっさんはそれからもネチネチ因縁をつけ始め、
腹が立ったわたしは無言でチラシを折り続け、配達にいってきますといってそのまま家に帰った。
それきりであった。

なぜか持って帰ってしまった500部の謎の健康器具のチラシは、飼っていたうさぎの小屋に敷くシートとして活用されていた。
うさぎの名前はブイブイちゃんといって、真っ黒で夜中に足をパーンパーンと床に叩きつけるのが特徴のすこしスピリチュアルな雰囲気のあるうさぎであった。余談である。

運命の日は来た。
電車賃とジュース代と、もちろん我が憧れのチャゲ&飛鳥の武道館ライブ「NOT AT ALL」のチケットを握りしめ制服のまま駆けつけたわたしは遠くにみえる豆粒ほどの大きさの2つの物体を見て涙を流した。

チャゲと、飛鳥だ……!

ビデオやテレビで見たとおりの間隔に離れて、
並んでいる、チャゲ&飛鳥がいるううう!!!!

ロケットの樹の下でからの、

やっぱりセイイエス!
そしてヤーヤーヤーでわたしは完全に昇天していた。

YAH
YAH
YAH

抜け殻となったわたしは
横浜あたりで終電を逃し、そのままなぜか伊勢佐木町をさまよった。

まぁっ中学生が制服で繁華街を?! と眉をしかめる貴婦人方の顔が浮かぶが、
あまりにも堂々と歩いていると不審な人物は寄ってこないようだ。
むしろヤーヤー言いながら深夜に歩き回るわたしの方が不審だったのか、
ほぼモーゼ状態で伊勢佐木通りはわたしのものであった。

ポツンと開いていた謎のリサイクル(がらくた)店に入ってみる。
店頭にあった紫のキックボードがどうも気になって、
値段を聞くと「この鍋と一緒なら1000円でいい」と化粧のとけた中国人のおばちゃんが言う。
いや、鍋はいらないからキックボードだけ500円で、
としばらく無理だお願いの問答をくりかえし、
結局おばちゃんは500円で鍋もキックボードも売ってくれた。
鍋はやっぱりいらないと思ったがおばちゃんの誠意をむげにしない。
わたしは鍋をリュックに詰め込んでパンパンのまま明け方の伊勢佐木町を紫のキックボードで駆け抜ける。

足は自然と海の方へと向かった。
風が吹いている。
風だ。
わたしの心は燃えていた。


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