見出し画像

ボスポラス海峡に消ゆ


もうかれこれ10数年前のこと。イスタンブルに連続1か月位滞在したことがあった。そのくらいの長さになると、毎日の食事もだんだんと適当になる。新しい街でもおなじみの場所でも、着いてから3、4日は散策しながら腹が空いたら雰囲気の気に入った店にふらっと入ってみるのだが、それ以降になると「この間あの店で食べた夕食、美味しかったなぁ」などと思い出してはまた同じ店に行って、もう街を離れるまで夕食はほぼ毎日そこへ通うということが私は非常に多いのである(ちなみに朝食はホテルのビュッフェに行くのがかったるいときは、前日にスーパーマーケット等で購入しておいたパンやチーズ、ヨーグルトを部屋で摂り、昼食は屋台やカフェの類で軽くというのが定番である。街や宿にもよるけれども)。

そのイスタンブル滞在時によく通ったのはスィルケジ駅周辺の飲食店。安くて庶民的で、中心部であるスルタンアフメット地区と比べればあまり観光客は多くないエリア。スィルケジ駅はかつてオリエント急行の終着駅として有名で、駅舎はとても風情があるけれど、周辺はあまり治安がいいとは言えなかったような覚えがある。この辺りのお店は美味しくて安いよと知り合った地元民に教えてもらい、一度だけある店に昼間に2人で入った。何を食べたのだか今となっては全く覚えていないのだが、とにかく美味しかったのだけは覚えている。その夜、考えるのも面倒くさいからまたその店に食べに行くかと周辺をうろついていたのだけど、その店が見つからない。私は極度の方向音痴な上、何か特徴を覚えていない限り(看板に何かの絵が描いてあるとか)、たどり着くのが難しいのだ。食堂ばかりある通りなので、この中のどれかだと思うが自信がない。もうほかの店でもいいやと思っていると、ある店の前で男性が手招きしながら
「うちの店にしない?そうしよう、決まりね!」と声をかけてきて、まぁ見た限り悪くなさそうだったし、お腹も空いていたので今日はここにするかと店に入った。あまり広くはない店で、店内には1、2組の人がいたくらい。テラス席の方が人で賑わっていた。ここは東西の交わるところ、イスタンブル。目の前の海の向こうはアジアなのだ。夜風に吹かれてき交う船を見ながら食事するのも悪くなかろうが、その日も、その後店に行ったときも、店内で食事をした。私は道行く人を眺めたりするのが大好きだし、東西の交差点にいるという気持ちに浸りながらする食事もさぞ良いものだとは思うのだが、一人だとテラス席は少しさみしく感じてしまうのだ。孤独。たまにはそういう気分に浸りたいときもあるのだけれど。

当時はヘビースモーカーだった私は、食事の後に何本か煙草を吸ってチャイやコーヒーを飲んでから帰った。店には何人かの調理人やウェイターがいたが、行く度にそのうちの誰かと話をした。滞在中、何回通ったか覚えていないけれど、3回目くらいにはもう店の誰もが私を知っていた。その中の一人に、何故だか今でも忘れられない人がいる。あの頃私は31歳になったばかりだったが、彼も多分同じくらいの歳か、少し上かといった感じで、色が白くてスラっとしていて、眼鏡をかけていてちょっと神経質そうなインテリっぽい顔つきの人だった。この店に来る客のほとんどはテラス席で食事をし、店内にいるのは私だけということもザラだったので、私はさほど気を使うことなく喫煙をした。紫煙を燻らせ窓の外に吐けば金閣湾とボスポラス海峡の間に消えていくような気がした。その神経質そうな兄さんは
「また煙草か、身体に悪いよ」とほぼ毎回私を見かける度に言ってきた。けど説教をする感じでもなく、煙いから止せという風でもなかった。私が「しょうがないじゃん、気分がいいんだから......」と答えると何とも不思議そうな顔をして
「へぇ、そんなこと言う人を初めて聞いたよ。何かイライラした時とか、辛い時に吸うって人はいるけどね。僕は吸わないから分からないけど」と言いながらチャイのお代わりを注いできた。

その翌日か数日後か、いつものように店に行くと、テラス席に店の人が3人で座っていた。例の兄さんもいた。そして手招きして私に座るようにと言った。そして彼らのうちの一人が私に、宝くじの番号を選んでくれと言って紙を渡してきた。私は宝くじなど買わないのでよく分からないが、ロトというものであろうか、5,6つ私は適当に選んで鉛筆で塗りつぶした。私みたいな運に見放された人間に頼むのはよした方がいいと思ったが黙っていた。ただの旅人の私を幸運の女神として選んでくれたことがなんだか嬉しかったし。その日は店の中には入らず、そのままテラスで食事をした。もうこの頃には値段なんてあってないようなもの、どんなものをどれだけ頼もうと5リラだったり、これはサービスといって注文していないものを付けてくれたり。

食事が終わって、コーヒーを飲みながら海を見つめて煙草を吸っていたら兄さんがやって来て
「店のみんなが、君は僕の彼女に似てるっていうんだけどどう思う?」と言って財布から取り出した写真を見せてきた。どうみてもトルコ系には見えず、ラテン系の女性に見えた。それにどこら辺が私に似てるかは写真では分からなかった。しいて言えば目元かなとか、そんな感じ。彼女はグアテマラ人だって言っていたけど、口ぶりからするともうしばらく会ってない、彼女は今はイスタンブルにいないのではないかと思った。けれど色々聞こうとするほど私は野暮天ではないし、そんなに似てるかなぁ?というだけにとどめた。兄さんは写真をしまって
「アジア側に行ったことある?」と海の向こうを指して訊いたので「ないよ」と答えるとあちら側にはどんなものがあるかという話をしてきた。兄さんの英語は完ぺきではなかったし、私も似たようなものなのでところどころよく分からないところがあったけれどうんうん、と聞きながら、グアテマラ人の彼女とは何語で話しているんだろうかと考えてしまった。ああ、隠れ野暮天か......?私は。それとも......?

そのまた翌日か数日後か、あともう3日後には一人で自由に行動できなくなるというとき、いつものように店に行った。いつもの店のいつもの席。いつも同じ注文。そして食後にこれまたいつものように窓の外、金閣湾だかボスポラス海峡だかに向けて煙を吐きながら、ボーっとしているとテラス席にある植え込みのそばに兄さんが立っているのが目に入った。兄さんはポケットから煙草を取り出し火をつけた。この間、僕は吸わないって言ってたのになぁと思いながらその姿を見ていた。兄さんは金閣湾の方を見ながら2、3回煙を吸い込んでから、すぐに慌てて隠すように植え込みに吸殻を捨てていた。彼は私が見ていただなんて気づいてなかっただろう。煙草を吸っている間、彼はものすごく孤独そうな表情をしていた。それはまるで『華麗なるギャツビー』のギャツビーが対岸にあるデイジーの住む屋敷を見つめているシーンの様だったーーとてもじゃないけど声を迂闊に掛けられないような雰囲気が漂っていて、なんだか秘密を知ってしまったような、そんな気分だった。でも悪い気分じゃなかった。だから私はまた食事が終わってから何本目かの煙草に火をつけた。そのうち兄さんが店に入ってきたけどあの日に限っては私に「また煙草か」などとは言ってこなかった。「煙草吸わないって言ってたのに。見たからね!」などと当然私も言わなかった。兄さんは
「明日僕、仕事休みなんだ。よければ向こう側に一緒に行かないか?そう、アジア側にね。この間話しただろう?あそこから船に乗ってさ。もし来れるなら明日の朝10時にここで待ってるから来て」と誘ってきた。特に用事もなかったし、もう街の見たいところは見尽くしたし、未踏のアジア側のイスタンブルに行くのも悪くないなと思った。けど、即答は出来なかったし、兄さんもそれを求めてなかったと思う。

「もし、来れなかったらごめんね」と言ったけれど結局行かなかった。そしてあれから1度も会っていない。店のそばにも行かなかった。何故行かなかったのか?自分でも分からない。グアテマラ人の彼女に申し訳ないと思ったのは少しあるけれども、彼のことをあやしい人と疑ったからでもないし......本当は、行ってみたかった。行きたかった。ああ、けどそもそも彼は何故私を誘ったのだろうか。いや、考えるのはそれこそ野暮だ、今更だ......。私はともかくも行かなかった。それだけだ。

私はもう、8年半以上喫煙をしていない。けれどあの時の兄さんの姿は忘れられない。今度禁煙を破る機会があるとしたら、それはあの時のようにどこか異国の気持ちのいい夜の、得も言われぬ風景、情景、そしてそこにいる誰かに唆されてのことであってほしい。



この記事が参加している募集

#この街がすき

43,708件