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#1 一通のメール

それは、一通のメールから始まった。


2005年6月18日

けいへ

今、どこで何をしていますか?

大事な話があるのですが、いいですか?

心をしっかり持って、聞いて、またはメールを読んで欲しい。


けいも、もう子どもの親だし、どんな話を聞いても、知っても、

乗り越えていけるよね、大丈夫よね。

ダメなら、ダメと言ってね、

母より


ーお父さんが死ぬー

直感だった。


いいや、そんなはずない。

お父さんの病気はただの”膵炎”だと聞いている。


ていうか、私が

「ダメ!」

って言ってどうなるわけ?

じゃあダメやからやめとくね、って終われるメールか?!


「電話してみたら?」

夫は静かに言った。


私は条件反射のように、母の番号を鳴らしていた。


父の病気は”膵炎”ではなく、”膵臓ガン”だった。

そして、末期で手術もできないという。


「ずっと黙っていてごめん。本当に悪かったと思いよる。」

母の言葉が耳の中を通り抜けていく。


私は魂がどこかに行ってしまったような感じで、

声も出ず、黙ってただ聞いていた。


告知を受けたのは、1年前の5月だったという。

「あと3ヶ月と思ってください。」

母は3日間、涙が止まらず、仕事も手につかなかったという。

当たり前だ。


「主治医の先生が、あまりにも急なことやけん、

 本人には告知せん方がえいって言うがよ。

 お父さんも自分がガンっていうことは知らん。

 

 今ね、お父さんと東京の病院に来てる。

 東京なら、治療をしてもらえる病院があるがよ。


 だけど、東京の病院の院長先生にも、治療を続けることは無理だろう。

 できるだけ早く、故郷に連れて帰った方がいいって言われてね…。」


「え?何で院長先生なのに、そんなこと言うが?

 意味がわからん。」


「どうしてわからんの?考えなさい。治る見込みがないってことよ。

 東京でもしものことがあったら困るし、お父さんやってイヤやろうけん、

 故郷でゆっくり過ごした方がいいんじゃないか。

 って、言うてくれようがやんか!」


母は怒っていた。こんなこと口にしたくないのに。

普通、察してくれるだろう。と言いたげに。


だけど、遠回しに言われてもわからない、わかりたくない。

母は1年も前からこの日を覚悟してきたのだろうけど、

私はたった3分前に聞いたばかりなのだ。


頭の中がぐちゃぐちゃで、

すぐそこまで来ているらしい父の死が、リアルに想像できない。


「はい、そうですか。」

と答えられない。

「なんで?どうして?」

が増えるばかりだ。


「とりあえず、明日東京に行く。

 お父さんにガンのことは言わんけん。

 顔を見るだけにする。」


そう言って、電話を切った。


頭の中はまだ全然納得できていないが、これだけはわかっていた。

ーお父さんが、死ぬー



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