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「自分らしさとはなにか」中高生と対話をしてみた。

福岡県みやこ町で行われている「三四郎の学校」に参加してきた。ここは、中学生・高校生が、答えのない「問い」に向かって、話し合う対話の場だ。

毎回テーマが変わるんだけれど、今回は、「ワタシらしさと、アナタらしさと。」だった。ゲストは田崎智咲斗さん。性的マイノリティとして、ひとりの人間として「自分とはなにか?」に向き合ってきた田崎さんのお話を伺うことで、私たちはどう変容していくのだろう。

■対話のはじまり

「自分らしさ」についてグループで話しはじめると、”仕事”や”趣味”が自分らしさを表すものなのではないかという言葉が出た。たしかに、これらは自分の一部を表すものであるけれど、「自分らしさ」全体を示すものではないように感じた。
しかし、そもそも「自分らしさ」全体を示す概念などあるのだろうか…?
どうにも表現できず、沈黙の中、グループのメンバー全員が自身の脳のさまざまな箇所に回路を伸ばす。

この時点で私は、「自分らしさ」とは、「好きなものを選択し続けた結果」ではないかと考えた。Y字のように分岐点があった場合、自分が好きな方、快を感じる方を選んだ結果が、自分を形づくるという考え方だ。

■「自分らしく生きる」を求めて

続いて、田崎さんの半生を聞く。

幼少期〜小学生までは、男の子も女の子も関係なく遊んでいたという。
自分のことを振り返っても、この頃は男子のあそび、女子のあそびを、そんなに区別していなかったように思う。私は虫を追っかけて大量のエンマコオロギを飼うのが趣味だったし、友達とは里山に入りひたすら秘密基地を作った。

田崎さんも、この頃はそこまで大きく男女の差を意識することはなかったという。
ただ、弟が買ってもらっていた青い靴をうらやましがったら、「女の子なんだから」とたしなめられた思い出があるという。そこで、「あ、自分は女の子なんだぁ」と感じたそう。

男女差が気になるようになったのは、思春期の頃。中学生くらいから、男子・女子でグループがきっぱり分かれるようになる。
(いまはもっと早いかもしれないけれど、)恋愛的な交際もスタートする時期だ。一般的には、制服でも男女の差がしっかりと示される。

田崎さんは、生物学的に女性性である自分と、精神的に男性性である自分を、少しずつ認識するようになる。

高校にいってもそう。特に女子校に進学していたので、「レズっぽいよねー?」という、なかなか強烈ないじりやいじめに生きにくさを覚えていった。

自分への攻撃を和らげるために、田崎さんが行なっていた2つのこと。お話を聞きながら、映像として鮮明に浮かび上がりすぎて、息苦しくなった。

1つめは、「いやいや〜! ◯◯ちゃんの方が女の子好きっぽいやろ〜!」と、ほかの人に話をそらす。
でもこれって、友達からの攻撃を一時的に回避できるかもしれないけれど、自分で自分を攻撃している。新たなターゲットになったクラスメイトの後ろには自分が立っていて、自分で自分を殴っている。だから、決して心は楽にはなれない。

2つめは、「そうそう! 私、◯◯ちゃんだーいすき!」とおちゃらけてみせる。道化になることで、友人からの攻撃をやわらげる。
しかし、田崎さんもおっしゃっていたがこの方法でいじりがやわらぐのは一時的だ。
トランポリンを思い出してほしい。布とバネで衝撃を吸収するも、弾みがついてより物体は高く跳ね上がり、落ちてくる際には一層大きな負荷をもたらす。おちゃらけたリアクションをすることで、田崎さんへのいじりやいじめもどんどんエスカレートしていった。加害者側の子たちは、「遊んでいただけだよ♪」と思っているだろうが。

この話を聞いて、幼児が遊びながら、バッタなどを殺してしまう姿が思い浮かんだ。子どもには殺すつもりなんてサラサラない。ただ、楽しくバッタを捕まえて遊んでいる。しかし、バッタは少しずつ弱っていく。そして、いつの間にか動かなくなる。
「人はそう簡単に死なないから!」とよく聞く。それもまた真実だけれど、単なる暇つぶし的な遊びが誰かの心を殺しているのもまた真実であると思う。

「自分らしくを生きる」ことは、攻撃を受けるということを意味する。だから、どんどん自分を消そうとする。「ふつう」と呼ばれる規格に自分を押し込める。
これは、LGBTだからというわけではないと思う。多くの人がそうした経験を経て、「ふつう」になろうとしているのではないだろうか。私も含めて。

あるとき、田崎さんはお母さんに、
「結婚はしなくてもいいけれど、子どもは産んどきー」
と言われた。
これは、お母さんが子どもを産んだ幸せを感じているから、そして、我が子に幸せになってほしいから言った愛のアドバイスだ。
愛情ある言葉で深く傷つくことがある。そんなこと思ったとき、私は本当の意味での「生きにくさ」とはこういうものなのだと理解した。悪意による言葉よりも、愛情による言葉の方がきっと傷は深い。

社会にでた田崎さんは目立たぬように、生き続けた。
しかし、転機が訪れる。障がいを持つ子どもたちの支援をする仕事のなかで、自分は「性同一性障害」なのだと認識したのだ。

「自分の状態」を正確に知ったことで、田崎さんは心も体も男性として生きようと決意する。そして、性を転換する手術を受ける。胸を取り、子宮など出産機能を摘出した。現在の日本では、生殖機能を切除することが戸籍の性別欄を変更するための必須条件なのだという。

体も男性になると決めたとき、お母さんにカミングアウトした。すると、「あんた、十分男っぽいから手術までしなくても大丈夫よ」といわれた。それから、折にふれて手紙を書いたが返事はこなかった。
子宮を摘出手術の際にも手紙を書いた。ようやく返事がきて、「この日がくることは、あなたが中学生の頃からわかっていた。やっと男として認められるんだね」と書いてあった。

田崎さんは生きにくさを痛烈に感じながらも、なぜ生きてこられたのか?

田崎さんは、小学校の頃の先進的な性教育の授業が自身の根底にあったからだと語っていた。あくまで私の解釈だが、「命はそれだけで、尊いものだということをその授業で学んだ」ということなのかもしれない。「人間はそのままで価値がある」ということを知っていたから、乗り越えてこられたのかな。

加えて、高校時代ただ一人だけカミングアウトした友人に「やっぱり、あんたって面白いなぁ。よくわからないけれど、私に話してくれてありがとう」と言われたこと、職場の方から言われた「あなたは幸せになるために生まれてきた」という一言…そうした性別という区分けを超えた存在価値を分かち合う言葉も、きっと大切だったんだろうな。

■先天的な自分らしさ、後天的な自分らしさ

田崎さんの話を聞いて、さて、私たちの「自分らしさ」はどう変容したのか? …実のところ、「わからなくなったよね」がグループでの第一声だった。(笑)
私が考えていた「自分らしさ」は、「自分が好きな方、快を感じる方を選んだ結果が、自分を形づくる」というものだった。これはつまり後天的な自分らしさである。しかし、田崎さんの男性性は先天的なもの。つまり、自分らしさには後天的なものと先天的なものの両面がある、ということなのかもしれない。

後天的な自分らしさとは、関係性の中での自分らしさと言い換えられそうだ。最近読んだ『私とは何か―「個人」から「分人」へ』にもつながるものであると思う。家族の中での自分、恋人といるときの自分、仕事関係者との自分というように、ひとりの個体はいくつもの分人を持っている。

ある人が、田崎さんの話を聞いた後に、孤島にいれば「自分らしさ」を感じることもないと発言した。この考えは、分人主義に少し近いのかもしれない。

では、先天的な「自分らしさ」の正体とはなんだろう? そもそもそんなものはあるのだろうか? よくわからない…。

■贅沢な私たち

ワークショップの最後の最後に、同じテーブルの高校生が言った。
「よくわからないけれど、『自分らしさ』を真剣に考えられる私たちって贅沢ですよね」
生きることに必死ならば、「自分らしさ」を追究している場合ではない。「自分らしく生きる」よりも、「ただ生きる」ことが優先される。たしかに、そうだ。

また、他の人が言った。
「明日大学入試だと言っていた子がこの三四郎の学校に来ていて、これこそ『自分らしさ』だと思ったんだよね。もしかしたら、親や先生からは入試前日なんだから家で追い込みしなさい、とか言われているかもしれないけれど、自分で何年後、何十年後に役立つ、この三四郎の学校に来ると選択した。これ、すごく自分らしさだよね」

「自分らしさ」の答えはまだしばらく出そうにない。私はもう少し(いや、かなりかな)この「贅沢」な悩みを続けていくのだと思う。入試前日に三四郎の学校へ参加した高校生の彼女に触発されて、これから「あ、今『私らしい選択している』」と思える決断を積み重ねていけたらいいな。

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