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「うつ」に優しい眼差しと理解を

今年最後の三連休を経て、何とか無事に仕事を終えることができた週末。
本来なら解放感やら何やらでホッとしたいところだが、少々モヤッとした気分で過ごしている。

うつ病に対する好奇の目

ある日の「夕方のこと。自席で複数台のパソコンのセットアップ作業をしていたら、前方の席にいる先生(男性)が、何かの雑誌を読んでいた。そこに載っていたのは、うつ病に関する記事。
先生は、それに軽く目を通しながら、少々物珍しげな感じでこんなことを口にしていた。
「こんな病気にかかる人いるのかな~」
「小学生の頃、担任の先生から『あなたはうつ病にはまずならないわね』と言われた」
私は黙って聞いていたが、ちょっと違和感を覚えた。

無気力だけど、どうにか生きてる

半年前に母が他界し、十数年にわたった認知症介護が終わりを告げて以来。
いや、正確にはその前から。
私は、時に無気力な状態になることが珍しくない。

一応、仕事はバリバリ(?)している。毎日普通に出勤しながら、一所懸命仕事をしている。
言われたことだけを淡々とこなすというのではなく、状況を見ながら今すべきことを自分なりに考えて行動している。
「こんなことができたら」「ああいうこともしたいな」と、職場を離れても仕事のことを考えるくらい、今の仕事には没頭している。

ただ、仕事から離れ、独りで過ごす週末には、無力感に襲われることがある。
母の遺品を整理する以前に、私自身が過ごす空間の片付けもままならない。片付ける気力が湧いてこないのだ。
よくテレビでゴミ屋敷の住人が紹介されるが、こんな境遇になるとそういう人達の気持ちが理解できるような気がする。

「一生この仕事だけで終わるのは嫌」「自分の可能性を試したい」と思っていた20代・30代の頃ならいざ知らず、齢五十を過ぎると夢なんてない。希望も、わずかにある程度。
先の展望が明るいとはいえない中で、どうにか自分の気持ちをやり過ごして毎日を送っているのが今の自分だ。

人間って弱いもの

人間誰でも、ちょっとしたことがきっかけでうつ病やそれっぽい感じになることはあり得る。
振り返れば、私にもそんなことがあった。
職場で私ひとりだけ終電帰りの日が続き、昼休み中に訪れた飲食店の窓から見えるお濠を眺めて「ここに飛び込めば楽になれるかな」という気持ちが一瞬頭をよぎった30代半ば。
全くの異業種の世界に飛び込んだものの環境に馴染めないでいたところ、外部研修で受けた講義の内容が恐ろしく感じられて思わず耳を塞いでしまい、翌日から家で終日寝込む羽目になりそのまま退職となった40代の末(母の認知症を長年診てくださっていたクリニックの先生には、『適応障害ではないか』と言われた)。

件の先生は、その辺りを理解しているのだろうか?
自分の周りにも、それの一歩か二歩手前の人間がいるかもしれないということに、想像が及んでいるだろうか?
もし同僚や生徒など周囲の人がそういう病気を患ったとして、うつを軽視する発言によってその人がお医者さんに診てもらうことを躊躇わせかねないことに気づいているだろうか?

謝ってほしい訳じゃないけど

私自身、その先生との関係性は特段悪い訳じゃない(親しくはないけど、いがみ合ってもいない)し、謝罪を求める気持ちなど毛頭ない。
でも、いい気分はしないし、聞き捨てならないな、と思った。

その先生の経歴は詳しくは存じ上げないが、簡単にまとめるなら「公務員という安定した身分で、社会人経験は学校のみ。家庭を持って、子供がすくすく育っている」といったところだろう。
一方、私は「非正規雇用で、転職を繰り返し、家庭もない独り身」。
「だから何だ」といわれればそれまでだし、決して苦労自慢をする訳じゃないが、人生一筋縄ではいかないことや人間は脆い存在であることは私のほうがわかっていると思う。

人生いろいろ、いろんな人がいて当たり前

いずれにしても、
「学校といえども、中にはいろんな人がいる」
「うつ病は誰でもなり得る病気」
という認識は、先生方には持ってほしいと思っている。


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