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『死への憧れ、生への執着』

(過去記事で最も読まれているものをトップに固定しました2020.05.02追記)
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※今、ぼくの大切な友達が、ガンと闘っています。ずっと生きていてほしい。
もしかしたら、このタイトルや、これからぼくが書くことは、その気持ちと矛盾するかもしれない。そして、不快にさせてしまうかもしれない。けれど、ぼくの、あくまでもぼくのこととして、ほんとうのことを書くね。

・死にたいと、ずっと思っていた。今でも、思わないことはないよ。

「死にたい」というよりは、「生きていたってしかたないじゃないか」という方が近い。

生きることへの諦め。そして、綺麗なまま人生を逃げ切り、夭折を遂げた人々への漠然とした憧れもあった。

前の記事でも触れたことだけれど、僕は物心がついた頃から、生きることの難しさを感じていて、あまり長くは生きたくないと感じていた。
中学生にして遂に諦めて、20代で死のうと決め込んだ。

けれど、これも前にも書いたことだけれど、堕落さえ上手にできなかった。
手放すものは何もないのに、逃げることさえ、できなかった。

それはいずれも、「生への執着」とも言えると思う。

漠然と「死に憧れ」て、しかし、体は、気持ちよく生きることに執着している。しんどいことなんか、我慢できない。
身体的な苦しみを伴う堕落への道は僕には歩めなかった。

・この間ね、その、ぼくの後も先もない、らちのあかない、堂々巡りの人生…と言ったら少し大袈裟だけど、まぁ、そんなような話をする機会があった。

こんな話を聞いてくれる人がいることに、感謝しないといけないよね。ありがとう。
ぼくは恵まれている。

そこで、話を聞いていてくれた彼女に言われたんだ。

「むしろ、これからのあなたの人生は希望に溢れているような気がするなぁ」って。

・こんな五行歌があるのを思い出した。

どんな
微細な光をも
捉える
眼(まなこ)を養うための
くらやみ

岩崎航さんという方の歌だ。

死へ憧れることがあっても、その根っこにあるもの。きっとぼくは、しあわせになりたいだけなんだと思う。




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