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こんにちは。satomiです。 このnoteは、80代の母の文章を代筆しています。 …

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こんにちは。satomiです。 このnoteは、80代の母の文章を代筆しています。 母は、長年看護師として働いてきました。 家庭のことをしながら夜勤をして、精神科の患者さんに寄り添い、70代まで看護師人生を走ってきました。 そんな母が書いた文章が大変面白いので見てください。

最近の記事

私の東京物語

スカイツリー。 『東京と言えば、やはりここでしょう』と言う孫娘に誘われて登塔をすることになった。 世界で1番高いこの塔は、足元は三角形、しだいに円錐にかわり、すらりと伸びて地上に現れ出る。見る方向によって『そり』と『むくり』を見せるという姿は、イブニングドレスを着た貴婦人のようだ。電波塔の役目が大目的で造られたというのに、ときどきドレスの色を変えて、時世に合わせたメッセージを送ってくれるという優しい塔である。  スカイツリーを中心にして、足元につくられた 5階建ての巨大な

    • 青い目をした人形

      K新聞、ある日の夕刊で 『青い目の人形・平和問う』言う見出しを見つける。 (『青い目をしたお人形はーー』歌になったあの人形?) 私はむさぼるようにして先を読んだ。 ーー昭和初期『青い目の人形』と呼ばれる 約12,000体ものアメリカ人形が日本に贈られた。両国の友好の架け橋として子どもたちにかわいがられたが、太平洋戦争が始まると一転、敵勢の対象として次々と破棄させられていった。 京滋に今もわずかに残る人形は、平和のあり方を私たちに問いかけてくる。とある。 時代背景や、贈り主

      • 一人で、、、初めて、、、

         子供も4年生になれば交通機関を利用して一人歩きができるようである。  少し遠くに住む孫がこの春休み、バスと電車を乗り継いで1人で我が家に遊びに来た。  挨拶もそこそこに『おばあちゃん、次、うちに来る時のバスに乗るとき、これ使って』 と紙幣大の紙をくれる。 『『大人の半分の料金だと思って間違えて100円を入れてしまいました』と運転士さんに言ったら『これから気をつけてね』と言ってこれをもらったの』 『投入金額預り証明書』であった。 金額20円上記金額をお預かりしたことを証

        • パフスリーブ

          (今年のポイントはお袖だな)  流行に疎い私にも判るほど、この夏の女性上着は、袖に多くの変化がある。  ドロップショルダースリーブをはじめ、ラッフルスリーブ、ノースリーブ、ドルマンスリーブ、パフスリーブなどに加え、肩山だけが大きくカットされたものなど種類が多い。  素材に合わせて優雅なものや、奇抜なもの、 キュートさを強調したり、スポーティーで若さが溢れているものなど、千差万別である。 袖の横中央に切り替えを入れ、レースを挟んだものは昔も、あるにはあった。しかし、今はレース

        私の東京物語

          大漁日

           この正月、お笑い芸の大好きな孫息子が東京からやってきた。中学2年生、高校受験までちょっと間があり、今は自由奔放に過ごしている。 『本場のお笑いを見に、吉本漫才劇場行かへん?帰りに串カツ食べて帰ろうよ。』母親である娘と私に声をかけてくる。 『行く、行く!』 彼を惹きつけているお笑い芸の魅力はわからないが、一緒に行くことで何やら楽しいことが共有できそうな気がして、二つ返事する。  近鉄難波駅地下道なんばウォークを経て、一歩地上に出ると、そこは道具屋筋。 土産物屋、食べ物

          大漁日

          雪の日の勇気

          この頃、とみに思うことだが親切にするということがなくなり、受けることがやたらに多くなった。 乗り物に乗れば、『どうぞ』と言って立ち上がり、私を座らせてくれる。遠慮する暇もなく礼を言って厚意に甘えている。『座られますか?』と一言かけて立ち上がろうとする人には 『いえいえ、大丈夫ですから、、』とちょっと辞退するが、それでも結局は代わってもらうことになる。 写生旅行に行けば、全員同じだけ道具を持ち運びしなければならない。それでも若い人が一緒だとすかさず、私の荷物を担ぐようにして運

          雪の日の勇気

          歌、甦る

           戻り梅雨のような雨が降ったりやんだりしていた。  京阪宇治駅前から南へ緩やかな上り坂を行くと、木立を背にした高台に宇治キリスト教会がある。この日、礼拝堂で『男声3人、独唱会』が催されるのだ。曲名を見た時から、ぜひ聴いてみたいと楽しみにしていた。独唱者が、私と同時代を生きてこられた人たちだと言うのにも親近感が湧く。  2時オープニング。 『小さな空』に始まり『君に口づけを』『千の風になって』『出船』『わすれな草』へと続く。 (あぁー、私はこの歌を知っている。あの時、あの人と

          歌、甦る

          温もりのおすそわけ

           とある田舎の大型スーパーが、会員を招待して売り出しをしている。招待券をもらったこともあって、私たち夫婦も出向いていった。  最終日のためか、広いフロアに、商品と人が溢れかえっている。 (きっと安いのだろう)店員の勇ましい掛け声が早くも買う気充分の私に拍車をかけた。あれも必要、これも欲しいと次々買い物かごに入れていく。 安いものもあるが日ごろの値段と変わらないものも大多数である。しかし、私の感覚はみな売り出し所商品と同じであった。 『何でそんなものを、こんな遠いスーパーで

          温もりのおすそわけ

          ひまわり

          列車に乗るとすぐにスマホの着信音が鳴った。嵯峨野線二条駅の近くに住む従姉妹からである。 「ーーーー二十時の列車で帰るんでしょう。先ほど田舎の家に電話したら教えてもらったの。 二条駅でいったん下車してよ、ホームで待っているから」車内のこともあってすぐに電話は切れた。 亀岡にはいつも夫とともに車で行く。嵯峨野線に乗って、一人で行くのは久しぶりのことであった。妙な開放感と、ちょっとした里帰り気分を味わう。満たされた一日の終わりに乗る夜汽車はノスタルジックで、懐かしい昔をつぎつぎ

          ひまわり

          野ねずみ

          バス停に行く道の横に、手入れの行きとどいた 貸し農園がある。美しい畝に季節ごとの野菜がほぼ一年中成長をみせている。作り手の、そこはかとない野菜への思いが感じられ、立ち尽くしてつい眺めてしまう。  四月中旬、隆々と、紫紺の葉を突っ立てた玉葱は土から白い両肩を見せつつ、取り入れのときを待っている。見ているだけで包丁を入れたときに飛び散る乳白色の汁とともにツンと目鼻にくる辛みまで感じられる。エンドウ豆は花盛り。じゃがいもの芽も出揃った。 そんな畑で、最近よく野ねずみに会う。体調が

          野ねずみ

          靴とA君

           階段の上り下りや、坂道を歩くとキクッ、と 左膝の痛みが走り一瞬歩けなくなる。平坦な道では平気なのでエスカレーター、エレベーター、手すりをフルに利用して何とかしのいでいた。体が膝をかばうせいか外出後の疲れがひどくなる。  歳をとるということはこういうことかと思ってみたり、もう、歳だしどこか悪くなるのは仕方ないと諦めてみたりの毎日であった。そんななか一度、整形外科を受診してみようと思い立つ。 膝や腰のレントゲン撮影を済ませて診察室に入ると、ベットの端に座り両膝を出すようにいわ

          靴とA君

          うちのカレー

          私は、料理にすじ肉を使うのが好きである。 値段が安いうえに、食材としての使い道がいろいろあり、出来上がったものも美味しいと言われるのがうれしい。 同じ炊くのならと、いつも多めに買ってしまうのだがすじ肉料理は、根気と時間がかかる。 店頭では、それをすっかり忘れて、酒好きのあの人、歯が悪くて、、、と言うこの人の顔が浮かんで1キロ2キロとなる。 最初たっぷりの水を入れた大鍋で十分ゆがき、笊にあげて流水の下で、力いっぱい揉み洗いする。ぬめりや牛脂を落し、きれいになったものを、再び真

          うちのカレー

          電車の好きな子

          午後2時前後の近鉄電車をよく利用する。 強い日射しに反比例して、車内は涼しく快適である。到着までの30分間、私はゆったりと過ごせるこの時間が好きだ。 その日は、1両目車両の優先席に座った。運転席のすぐ後ろである。読みかけの本を取り出したとき、3歳ぐらいの男の子が後方から走ってきて向かいの座席に駆け上がった。 『シュッパーツ、シンコウ!』 真剣な眼差しで前方を見つめ、指差しをしながら叫んでいる姿は、なんともほほえましく、一目で“電車の好きな子“だと判った。 『ガタン、ゴトン

          電車の好きな子

          白いレース

          『ーー"シミチョロ"と言う言葉を知っていますか? 知らないだろうなぁ』 テレビのトーク番組で唐突に言っているのは、 さだまさしである。 思わず聞き耳をたてた。しかし、テレビの中のスタジオ参加者は若者が多く、みんな怪訝そうな顔をしている。当然話題はそれまでであった。 今では死語になってしまったシミチョロと言う言葉が生まれたのは、戦後がやっと落ち着き、女性がそろってスカートをはきだしたころである。洋服の下にはかならずシュミーズという肌着をつけていた。正確な呼び名がなまってシミー

          白いレース

          槌の音

          『節分』といえば昔から1番寒い日だと思い続けていた。子供時代を、亀岡盆地の山裾で過ごしたせいかもしれない。 愛宕おろしのからっ風が、ピューピューと唸りながら駆け抜ける。深い霧が吹き飛ばされたあとに顔を出す太陽は弱々しく、子供らの影も作らない。   節分の日の夕方にする厄払いの儀式は子供の役目であった。藁を束ねて縄を巻きバットの様に仕上げた槌を地面に叩きつけながら家いえを回る。その屋の厄を追い払うのだ。 『鬼はー外、福はーうち。亥の子のぼたもち祝いましょ。あっ、そーれっ!一つ

          槌の音

          おばあちゃんの人生ってどんなだったの?

          こんにちは。satomiです。 私の母(80代)は看護師人生を走り切った人です。 隔離病棟から小児科から、精神科へ 大病院を勤めあげました。 やめてからも精神科の患者さんのために、 患者さんの憩いとなるよう自宅に招いて、 サロンをやったりしていました。 その頃は画期的だったとおもいます。 ずっと看護師人生を走り続けてきた母ですが、 元々、本が大好きなようでした。実家の本棚には本がぎっしり。 疲れてるのに、よく読めるなぁと思ったほどです。 そんな母が文章を書き始めたの

          おばあちゃんの人生ってどんなだったの?