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ひまわり

列車に乗るとすぐにスマホの着信音が鳴った。嵯峨野線二条駅の近くに住む従姉妹からである。
「ーーーー二十時の列車で帰るんでしょう。先ほど田舎の家に電話したら教えてもらったの。

二条駅でいったん下車してよ、ホームで待っているから」

車内のこともあってすぐに電話は切れた。



亀岡にはいつも夫とともに車で行く。嵯峨野線に乗って、一人で行くのは久しぶりのことであった。妙な開放感と、ちょっとした里帰り気分を味わう。満たされた一日の終わりに乗る夜汽車はノスタルジックで、懐かしい昔をつぎつぎ思い出された。中でも、今日電話をくれた「華ちゃん」は、私の青春時代の思い出の中に色濃く残っている。

子供時代を私は、亀岡の田舎で過ごした。
4、5年生になるころから華ちゃんと私は山陰線(現:嵯峨野線)を利用してお互いの家を行き来するようになる。

「お城に行こうよ」「次は御所ね」と、彼女はいつも誘ってくれる。


そのころ。京都の街
には路面電車が通っていたが、二人はどこへでも歩いていった。たわいないおしゃべりが遠さを感じさせない。たまに訪れる楽しい1日、それでも充分友情は深まっていった。

「いい映画は大人になっても心に残るわよ」

映画館に勤めていた叔母の奨めもあって、高校生になると私たちは映画を観始める。
『哀愁』『赤い靴』『小鹿物語』『ミスター・ロバーツ』などは、大人へのとば口に立つ二人の心を震わせた。

現か幻か、観てきた映画に酔いしれて、いつも遅くまで話し込むのは帰りの駅舎、二条駅の隅であった。

時が過ぎて叔母も他界し、互いの生活がじょじょに変わっていった。しかし、映画の糸だけはなかなか切れず『風と共に去りぬ』が近くで上映されると知れば、約束しあって映画館に行く。
現実の慌しさからぽっとぬけだし、映画を観るときだけはいつも、乙女のままの二人であったように思う。



列車が二条駅に着いた。
彼女を探す先に、すっかり変わった高架のホームが目に入る。幾本もの太い鉄骨の柱に支えられた高いドーム型の天井。レールの上まで両翼を伸ばして夜の空に黒々とある。街の明かりが下に見え、以前の喧騒はとどかない。
(あっ、これは。。。)と、思ったとき彼女がゆっくり歩いてきた。微笑んでいる。
「思い出すでしょう。あなたと一緒にこれを見たくて下車してって言ったのよ」
イタリア、フランス、ソ連の合作映画『ひまわり』のラストシーン、ミラノ駅を思わせる佇まいがそこにあった。

私たちは『ひまわり』を何回も観た。


地平線まで広がるひまわり畑の美しさを、人恋うる辛さともの哀しさを、そこに流れる音楽を、そして
「戦争とは、残酷なものだ」
としみじみ語りかけるマルチェロ・マストロヤンニ扮するアントニオの台詞を心にしみこませた。


ーーーミラノ駅から長距離列車が発車する。

ジョバンナ(ソフィア・ローレン)一人をホームに残し、モスクワに向かって・・・。

「大人の別れよね。私たち、あんな大人になれたかしら?」と彼女が微笑む。
「さぁ〜」暗いホームで話す昔話。

思い出に思い出が降り積もっていく。小さな旅が呼びさました時間はどれも優しい。

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