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関係悪化の理由(第6話)

SNSで大反響だった実話
小5と余命宣告」続編(第6話)です。

父ひとり、子ひとりの家庭で育った娘が
小5の時に、その父の余命宣告を受け
その後の覚悟と成長を描いた実話。

脚色は一切なし。
むしろ、各方面に配慮し
わざわざ抑えて書いているくらいです(笑)

ということで、
これは長~く続く連載ものです。

初めての方は、1話からどうぞ。





さて、前話でボロクソ書いた
自分勝手な老人の名誉挽回?のために
一応、捕捉説明をしておこうかな。

彼は、決して悪い人では なかった。


人間や動物を思いやる心も
挨拶や食事の大切さも

それまでの間に
ちゃぁんと教えてくれた。

「さようなら。の後は
 気をつけてね。って言うんだよ」

なんて、相手を気遣う言葉とかね。



料理。というほどのものではなかったが
食事はちゃんと用意してくれていて
洗濯も、中1くらいまではしてくれたかな。


他人やモノに感謝する心も
彼がわたしに教えてくれた。


「昔は、ご飯を食べたくても、
 食べれない人はいっぱいいたんだよ」

「今も、外国では、食べれなくて
 死んじゃう人もいっぱいいるんだよ」

「だから、米粒ひとつ残さず感謝して食べなさい」


彼の教育は
私の中にも根強く残っている。


今振り返っても
いい教えだったと思う。


一番身近な家族に感謝する心は
見せてくれなかったけどね。。。


当時、流行っていたドラマ

「家なき子」とか
「高校教師」に出てくるような

酒癖が悪くて暴力を振るう父親とか
娘に手を出すような父親

では、決してなかった。


50歳で私が産まれる前は、

そこそこ名の売れた
アルトサックスの奏者でもあり
有名な歌手のバックバンドとして
TV出演などもしていたらしい。



そう!つまりは

「我慢とか、忍耐が苦手で
 自分のしたいことを、
 とっーーてもしたい人」


だったのだ。


心配もしてくれていたのだと思う。

愛されていたのだと思う。

それは、今でも感謝している。

たーだ!

「自分のしたいことを
 ただひたすらにしたい人」

だったのだ。。。


そんな 自分勝手
自由奔放な父親と過ごしながら
ある疑問がよぎる。

「こいつ、なんで、生きてんだ?」

すっかり忘れてたけど、
小5で、あと1~2年だったら

もう死んでてもおかしくないよね?

計算合わない。。。

しかもなんで
こんなにピンピンしてんだ?!

って。

「余命」って
全然アテにならないよ。

すっごい元気だったもん。


地元の音楽仲間?といっしょに

「生バンド演奏の
 ダンスパーティーを開催する!」

と言って、
たんまり借金をつくったと思えば

「これからは、ハーブの時代だ!!」

って、目をキラキラさせながら
ネズミ講にハマってゆく。

堅実さのカケラもない。。。


酒代のツケの額なんて
聞きたくもない!


傍から見れば、

背が高くて、オシャレで
ダンディーなイケオジ。

実年齢より10歳差し引いても
そう見えてしまう若々しさがあった。

年齢の割には
白髪もほとんどなくて
社交的でトークが面白い。

一緒に、飲む分には、
きっと楽しいオジサンだ。


スポットライトの当たる
華やかな世界を過ごしてきたオーラを
隠したくないようだった。


彼の洋服や、帽子、
靴が山のように
部屋中を埋め尽くす。


新しい靴を買う金があるなら

電気代を払ってくれよ。。。

優先順位が、私とは違った。



中学生にもなると
彼と自分の違いを
認識できるようになった。

違うんだ。。。

彼と私は、違うんだ。

大事だと思うことも、

見ているものも

全部違う。

彼と私は、別々なんだ。


甘える とか 甘えないとか

頼る とか 頼らない とか

そんな発想すら、もうない。

とにかく!!

自分のことは自分で
ちゃんと考えているから

構わないでくれ!

邪魔しないでくれ!

干渉されるだけで
どんどん嫌悪感が増していった。


有り余る時間を持ち、
自分の不安定さや
娘が心配で仕方ない気持ちを
ぶつけてくる父親と

今とこれからのことで
精一杯の娘が

柔らかく交わることは


一切なかった・・・




学校からの特別許可(第7話)

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