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短編小説『Hurtful』 第2話 「病院ルール、人情、煙草めぐり」

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午後、喫煙所に行くと、由美子さんが一人だった。ちょっと気まずかった。何か当たり障りのないごく普通の会話をしようとおもったはずなのに結局、「もう病気長いんですか?」と言ってしまった。
「足掛け十年」
と言って由美子さんは笑った。

由美子さんは会話をしている時、或いはただ何も言わずにぼーっとしている時、その大きな目はいつも虚ろだった。焦点が合ってないようにもおもった。

また、由美子さんの歩き方は普通の人の歩き方とは違い、どこか不自然であった。左右の脚の筋肉を同じように使っていないような印象があった。それが意識的なものなのか無意識的なものなのかは分からない。
例えば毎朝のラジオ体操の際、両手をクロスさせたり広げたりする動きと、両膝を曲げ伸ばしする動き、それを同時に行う運動では、手と脚のタイミングがバラバラになってしまっていた。
そして、口をモグモグさせている時があった。


元来私は、出掛けるに際して服装や持ち物の確認など何度やっても安心できない性質で、今日も早朝から起き出して、鞄にノート、定期、筆記具、タオル、文庫本その他の細々した雑多な物を鞄に詰めるが、五分ほど経つと、なんだかしっくりこない気がして、また中身を取り出して一からやり直すというようなことを繰り返しており準備はちっとも進まず、心は散々に乱れるばかりで、冷や汗まで出てきて朝からパニックである。

通常の場合ならば、毎日使うものはだいたい同じ鞄に入れっぱなしになっているので、荷物の準備などさして大ごとにはならないものだが、
上に申した性格に加えて、自分は数日前から精神科に入院しているのであって、かかる状況下ではひとの私物を看護師が所有しているというふざけた場合も多く、ちょっと貸してもらうにしても、貸してもらうっていうのがもうおかしいのだが、手が空いてそうな看護師を探して声を掛けたり、
紙に何か記入させられたりと、いちいち手間と時間がかかり非常に煩わしく、またせかせか自室に戻った頃に、
「あ、そうだ携帯も出してもらわなきゃだった」
と気付いてまたぞろ自室とナースステーションの往来で、
もうげっそりするわ準備は進まないわで、
自分が一人暮らしをしている家賃三万六千円のアパートの部屋を思い出し、六畳という空間に全てが揃ってるというのはほんとに素晴らしいことだよ、と、ふと思ったのだった。


おかしくなりはじめたのは一カ月ほど前だった。

それまでは毎日大学に通い、遅くまで油絵を描いている生活だった。
はじめは気力、体力がおもうようにならない日々が続くだけだったが、そのうち、ごみを捨てる、部屋を片付ける、食料品を買いに行く、顔を洗う、食事を作る、といった事柄のひとつひとつが、いちいち困難になった。
うつだな。とおもったが、それよりも自分は絵を仕上げなければならないわけで、時間がなかった。
また、絵さえ描けていれば他のことはそのうちどうにでもなるだろうとおもい、大学だけは毎日行った。

しかし或る日からは、ついに絵も描けなくなった。 

それからはうつもどんどん悪くなり、己の至らなさ、骨髄に徹し、眠れなくなり、体力がないのでもはやアトリエにも行けない、あがきが取れない、気持ちの休まる日がない、日増しに駄目になっていったのだった。

それで、なぜ、こんな早朝から鞄に物を入れたり出したりやっているかというと、今日は水曜日。大学の授業に行くのである。

私は前夜、看護師に縋るように念には念を押して、六時に起こしてもらえるように何度も頼み込んでいた。

大学三年時点で、まだ単位が幾つか残っていた。入院なんかしてみすみす単位を失ったりしたらそれこそ自分には未来がなくなるし、もし卒業できなくなったら病状が悪化して地獄の日々がやってきて、それに耐えられなくなって自死はなんとか免れたとしても、廃人になる。
それだけは避けたかった。
あらかじめ入院時に、「入院はしたいんですけど、水曜日だけで良いから二コマの授業に行かせてもらうのを条件に入院させてもらえませんか?」と、主治医の大久保先生にどうにか頼んで、なんとか例外的に了解を取っていた。

朝、私がいそいそと身支度を整えたり、自室とナースステーションの行ったり来たりを繰り返したり、喫煙所に行っても一本吸い終えないうちに出て、たいして人と喋らないまま鞄にノートなんか入れたりして、これから向かう現実との闘争に精神を集中していると、

「気を付けてねー、頑張ってねー」

向こうに居る杏ちゃんが大きく手を振りながら近づいてきた。

「うーん、行ってくるよ」

なぜか憂鬱さを誇張するような言い方になった。
 杏ちゃんは私の支度を真横に立って見ている。そして、
「さとみが居ないと一日淋しいよ」「淋しくなるなぁ」
などと、気が重たくなるようなことを言ってくる。

いやでもね。夕方にはどうせ戻ってくるしね。
というよりさぁ、杏ちゃんにばっかりかまっていられないのよ。私には私の現実があるしね。というか、目的はあれだよ、つまりここが、現実から逃れられる、言ってみれば非現実的な場所なわけ。で、私は現実の日々をまた上手く過ごせるように、この非現実的な場所に一時的に身を置いているわけで。だから、こんな風に思って悪いけれども、ここに居るあなたも私も、虚像なわけ。
「はぁ」杏ちゃんの溜息。

「今日は憂鬱な日になるなぁ」
って。自分の憂鬱を私の行動のせいにしないでよ。私もいっぱいいっぱいなんだよ。重いよ。自分の感情は自分でなんとかするべきで、それが出来ないからここに人がいっぱい集まっているわけだけれども、しかしね、

「大丈夫だよ。すぐ戻ってくるね」
などと言って私は、見送ってくれる杏ちゃんが見えなくなるまで手を振って、自分の汚い思考を隠蔽した。

ここ、ハピネス・ウィル・サンクチュエール精神科病院では禁止されている事柄が幾つかある。
まず持ち物でいえば、刃物、及び鋭く尖った物の所持は論無く却下である。あとはガラス製品、土器、瀬戸物品なんかも素材の性質上、割ったらひとを刺せるので持ち込み禁止である。手鏡なんかも同様である。

更にはアイブローとかペンシル状の化粧道具を削る鉛筆削り、風呂で使う女性用剃刀、男性ならば電気シェーバー以外の髭剃り、ピアスなどのちょっとでも尖っているアクセサリー全般、ベルトや紐類、プラスチック製以外のコップ、ライター、マッチ、その他少なからず危険が起こり得る可能性を孕んでいる物々は危険物と見なされ、初日の荷物チェックで没収されることになる。
それでも必要な物、私の場合だと、出掛ける前に化粧をする場合があるのでその道具とか、外出中に使うライターだとかは、使用時以外は看護師に「預け」ておくかたちになる。看護師の許可が出れば一時的に出して貰って使うことが許される。

携帯電話やスマホも、メールや電話のやり取りが精神的トラブルに繋がり得るため、外出時以外は「預け」だ。

ちなみに喫煙所には、背の高い灰皿にチャッカマンが一つだけマグネットでくっつけてあり、これをみんなで回して使うようになっているので、自分のライターは手元に持てないようになっている。

他にも、行為として禁止なのは金の貸し借り、煙草の貸し借りと言ってもその実貰い煙草、男女間での抱擁、食事の一部をあげたり貰ったり、パピコの分け合い、二人一緒の外出、メモのあげ渡し、ひいては誰かが退院する時の「短い間だったけどありがとう」みたいな手紙類全般、これらのひょっとしたらモメ事になりそうなやり取りは全て、看護師或いはヘルパー達によって手抜かりなく監視されている禁止事項であった。

違反が発覚した際、それが目に余る場合には私物全部が没収になったり、担当医に報告された後、隔離や病棟移動にされるなど、即ち酷い目に合う。
中でも、看護師がいやらしく目を光らせている事柄があった。
「依存」である。

精神科病棟にも、友情は生まれる。しかしながら仲良くなりすぎると、その結びつきは依存と呼ばれ、何かしらの対処がなされる。

確かにいくら仲が良い者同士でも、調子が悪い時は一人で居たい、そっとしておいてほしいとおもうのは普通で、そんな時にベタベタされ過ぎると負担になって疲れてしまうものである。
また、相手から期待していたような反応を得られなかったほうの患者も、嫌われた、などと感じて具合が悪くなったり、結果的にどちらの病状も悲惨なことになる場合があるにはある。
だから医者はそれを忌み嫌っている。おそらく治療の妨げになると考えているのだろう。
友だちのいない医者が考え出した嫌がらせかもしれない。

看護師達は常日頃から、半ば暇つぶしに依存している患者を探していた。そして、看護師の誰かが、
おやこれは?とおもうなどすると、申し送りかなんかで状況の確認・報告。あれちょっといき過ぎじゃね?って話し合うと、裏取って担当医に報告。

で、担当医、「最近仲良くしている人は誰ですか?」なんて白々しいことこの上ない質問を人工的に診察に組み込むことで当人の最近の精神状態の変化とともに「Kさんに依存」とかカルテに特筆。
担当医の指示により別日、他の患者達に見られ過ぎていると暴動が起きるかもしれないので、看護師は時間を見計らって、依存者を別病棟へと秘かに送り込む。
恐ろしいことである。

私も今までの過去三回のハピネス・ウィル入院によって、どうしたらヤバいことになるか分かっていた。みすみす愚かなことはやらかすまい。
そして他の患者達も、まあ色々と上手くやるもんである。

誰かが、外出時間外になっちゃったから煙草が買えない。と言う。
或いは、その当人は外出が禁止されていて、家族からの差し入れがないと煙草は手に入らないんだけれども明日の面会まで、もう煙草ないんだよね。と言う。普通に、お金なくて煙草が買えない。と言う者も居る。
或いは、ハピネス・ウィルにはなぜか理由は分からないんだけれども、「一日、十本」とか、本数制限をされている人達が結構居て、吸いたい時はいちいちナースステーションまで貰いに行かなければならない。その人達は夕方頃になってくると、もう今日の煙草ないんだよね。と言う。

ちなみに私は、自分の煙草を常に自分で持っていることが許されていた。
このように何かしらの理由で、「もう煙草ないんだよね」となってしまった不運な人達は、他の誰かと一対一になるまで喫煙所の前でそわそわし始め、一本くれそうな誰かが入った途端自分も入り、他には誰も居ないというのにやけに小さい声で、
「悪いんだけど、一本だけ…御免」
と、バリバリに申し訳ない時のジェスチャー満載で、外からでも逆に目立つのだが、看護師が見ていない時を見計らいながら、しかも、ドアの外からはかなり見えにくい死角ポイントで、貰い煙草をするのであった。

なぜ、一対一を見計らってそのようなことをするのかというと、単に、貰い煙草をしている自分の卑劣さをあまり人には知られたくないという当人の気持ちもあるし、なかには貰い煙草が目の前で行われていただけで自分は関与していないというのに、黙認のプレッシャーに耐え切れず看護師に密告する者もいるには居るし、
「え。あの人にあげたんなら私にも頂戴よ」
とか考える浅ましい輩も居るし、
「…あの人、頂戴って言われて、ふつうにあげてたよ。駄目だよねぇ、あげたら」
とかなんとか、煙草を呉れてやった側の人間が悪口を言われることになったりして、貰い煙草とは人に見られると何かと都合が悪いからである。

そんなこんなで愚行非行、極悪非道とまでは言わないまでも、毎日、ちょっとした事件が起こったり、誰かが別病棟送りになったり、誰かが半狂乱になったり、七夕で昼ご飯が三色素麺になったり、まあ、色々であった。

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