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短編小説『Hurtful』 第6話 「嫌われたくない性格と煙草事件」

第1話前話「禁煙が退院の条件」になった鳴宮さんは、時たま喫煙所に入室しては、副流煙を吸いに来るようになった。
みんな一様に気まずい。だってそりゃそうだろう、口には出さないものの、

「煙草、いいなぁ。俺も吸いたいなぁ。誰か、一本、くれないかなぁ。
いや、あくまで俺が言うんじゃなくてね、そちら側の誰かがね、「あ、鳴宮さん、キツそうだね!一本どう?」なんて言ってね、そういう気ごころがないのかなぁ君達には。副流煙なんて、おいしくないに決まってるじゃない。
僕としてはね、副流煙を求めてここに来ている体(てい)だけれども、そろそろ君達が僕に恵んでくれないかなぁと思ってるんだけどね。気付いてくれるかなぁ」

などと考えていることが、皆、ひしひしと分かるからであった。
その場に居合わせている何人かの喫煙者は、無言でニコニコしたり、更にもう一本新しい煙草に火を付けてもいいかどうか思い悩んだりしながら、お互いに、

「可哀相だけれどここはあげちゃダメ。絶対に」

というような無言の緊張感を携えつつ、なんとかやり過ごすのであった。

しかしとうとう、その「最初の一本」は執り行われた。
誰かが沈黙に耐え切れずあげてしまったか、鳴宮さんが媚びたかして、彼は久々にその一本を吸ったのであった。

それからは、「俺、貰い虫になるから~」なんてわざわざ言って、ニヤニヤしながら何人かに度々貰いに来るようになった。無論、私にも何度となく、
「さとみちゃん、御免…一本だけ」
と、例の一対一方式でやって来た。私は、「あ、いいですよー」とか言って、毎回あげてしまうのであった。
自分は途中までは、まぁべつに煙草の何本かくらい、そこまでデメリットでもないし。と、余裕に構えていた。

しかし、鳴宮さんのこういった態度、及び行為に嫌悪感を抱く人々の輪が徐々に形成されていった。
杏ちゃん率いる、『ECO・わかば一派』である。

「鳴宮さんもさぁ、吸うんならもう自分で買えよって感じじゃない?親がなんで禁止してるのか知らないけどさぁ。笹野さんにもたかったんだって。笹野さんにだよ?あんまり喋れないのに。断れないに決まってるじゃん?私、生活保護受けてて高い煙草買えないわけ。我慢してECO吸ってるんだよ?それなのに、こっちにたかる?普通」

杏ちゃんは露骨に、鳴宮さんの薄汚さをなじった。そして、

「私、最初の頃、鳴宮さんカッコよくてちょっと好きだったの。でももうないわ」

なかなか衝撃的なことを普通に言った。


『ECO・わかば一派』や、生活保護を受けている身からすれば、煙草を無条件で人にあげるということは、その人の現実生活を脅かす重大な問題なのであった。

あれ。ちょっと待てよ。

私は自室で考えあぐねていた。

杏ちゃん達は本当ならば、「高い煙草」も吸いたかったりするわけだよね。そして、ひょいひょいと人にあげたりできないという現実。その点、私は鳴宮さんにひょいひょいとあげちゃってるわけ。
やっぱり、薄々感づいてはいたけれども、杏ちゃんも、私に対して含んでいるものがあるってことよね、つまりそれって。

しかも、私は大学にも通っていて、言わば大学という居場所がある。あまつさえ、このへんの進学校を卒業したことも杏ちゃんは知っていて、「さとみは頭良いからなぁー」なんて言われたりもしてる。
そしてこの入院における、私の個室部屋。四人部屋じゃない、個室。個室料金。ベッド差額代。
水曜日に私が大学に行こうとする際は、ふてくされた子どものような素振りになる。

つまり杏ちゃんにとって、私は杏ちゃんが持っていないものを沢山持っているのだった。
杏ちゃんから、嫉妬・妬み・それゆえの軽蔑・金持ってるイコール苦労知らずのアホんだらぐらいのことをおもわれていたとしても致し方ないことであった。

そうおもわれても、まぁ仕方ないけどね。って思ってるんならそれはそれで堂々としていれば良いものを、私の悪癖がそうはさせてくれなかった。
基本、万人に好かれたい。初対面の人だろうが杏ちゃんみたいに仲良くなった人であろうが、媚びへつらい、機嫌を取ったり、私の言動によってその人が気持ち良くなってくれるのなら私にとってもそれがメリットで、なぜ、それがメリットかというと、その人に、「なんて良い人」とおもわせることができるからであって、そんな風にして私の心はねじ曲がっていて、要するに、嫌われたくないのである。

そんな感じで軽く混乱に陥り、杏ちゃんや由美子さんが考えていそうなことを考えてビビっている間に、だいぶ時が過ぎてしまったらしかった。
ウチの家も、ほんとは金ないのに。


私は落ちながら自室を出た。
マサ兄は、下を向きながら廊下を行ったり来たりしている。マサ兄もまた、落ちているのだ。
ハピネス・ウィル・サンクチュェール精神科病院の患者たちというのは昔から不思議なもので、落ちるとなぜか廊下を歩きはじめる。
私の個室があるあたりの廊下の一番隅っこから始まり、15mくらい歩くとカクっと曲がる。そのままデイルームの前を20mくらい歩き、またカクっと曲がり、更に15m歩く。これをまた逆バージョンから始めて、ひたすら繰り返す。訳が分からない。

誰かが言うに、「うつを紛らわす」「体を動かして心を元気にする」らしいが、効能の程は知らない。少なくとも私はうつの時、わざわざ体を動かすなんて努力はしたくない。

喫煙所に鳴宮さんが居たら嫌だな、とおもったが丁度彼はおらず、登郷さんがひとり居るだけであった。
私は会釈して奥まで行って座った。

登郷さんは紙と鉛筆を傍らに置き、空中にポワポワ何事かを呟きつつ、いきなり笑ったりしながら煙草をふかしていた。相変わらず軽い挨拶もない。いまの登郷さんにとって私などはただの現象でしかない。ここに私は存在すらしていない。勿論、「じゃ、また~」なんて愛想のひとつもないまま、そうやって急に出ていく。

私は二本目の煙草に火を付けた。二本目に手を出さなければ良かったのだ。
鳴宮さんがやって来た。

「さとみちゃん、御免…また一本だけ…」

「あ、いいですよー」

どちら側にも、そろそろ決定的な変化が起こり始めていた。
鳴宮さんは連日の貰い煙草のせいで、なんかもう、申し訳なさそうにするのが疲れたというか、神経がすり減ってやつれているようにも見えた。
そのくせ、もう俺は罪人なのだから仕方あるまい。俺はこんな人間なのだ。どうだどうだ、見たまえ諸君。というような開き直りの、腹を据えた表情でもあるように感じられた。
もうこうなったら、行くとこまで行くしかない、みたいな超然とした目つきであった。

私はというと、もうそろそろうんざりし始めて、色々考え込むようになっていた。
鳴宮さんは悪いことをしている。貰いすぎである。それは明確な事実である。
しかしながらそれについての一種の不快感を顔に出さないように努めて、あ、いいですよーなんて言っている私はなんなのだろうか。
その偽善者ぶりに私は疲れたのである。
人にいい顔するからこうなる。
嫌われることがイヤなために、ノーと言える強さがないのだ。

その点、杏ちゃんはどうだろう?いつも露骨に嫌な顔をしているではないか。彼女達のほうが身を切って善悪をやっているぶん正しい人間なのだ。鳴宮さんは困っている。そこへ私が助けてあげる。鳴宮さんにとって私は善人になる。
結局全ては自分のためだったのではないか。偽善者め。
私はうなだれて自室に戻った。
そして、以上のようなことを自室で更に一時間悩み、決意を固めた。



夕食後、喫煙所で、鳴宮さんと一対一になるのを待っていた。私の心臓は鋼のようにカチコチになりながらも、激しく波打っていた。作り笑いの準備をするが、もう顔面はヒクヒクと異様に動くだけで、これを人に見られたらさぞかし奇妙に見えて、もう誰からも話しかけてもらえないかもしれない、なんてなことをやってる途中、鳴宮さんがやって来た。

「さとみちゃん…」
と、切り出される前に言おうと決めていた。

「鳴宮さん、あの」
と言って私は自分の真新しい煙草を一箱、差し出した。

「私、もう煙草あげられないんです。だから、この一箱を差し上げます。ほんと、色々ごめんなさい」
私はもう半泣きだった。

「いや、でも、あの」
とかなんとか鳴宮さんが言うのを待たず、私は外に出た。御免。
扉が閉まった途端、私は声を上げて泣き出した。鳴宮さんにも多少見られていたかもしれない。

自室に戻ると、ベッドに突っ伏して、泣いて、それから自分の言動をなじり、私という人間の自我を苛め倒し、祈ったり謝ったり、訳の分からぬ言葉をぼやいたり、しまいには泣き疲れて能面ような顔になりながらも、「二十世紀美術概論の授業のレポート急がなきゃ」と、急に思い立ち、都合の悪い部分は一旦忘却されることでなんとか我を保った。

二十三時。就寝時間をとうに過ぎているが、看護師から許可を貰って、ナースステーションの灯りが一番照らされるテーブルの前に座っている。

レポートなんてものは、あたら出鱈目に手を出したところで完成できるかというと、そうではない。まずは全体の計画、見通しを立てることが大事である。私は課題文を読みながらノートに段取りを書き出していた。
すると突然、鳴宮さんが目の前にぬっと現れた。


「さとみちゃん、俺、やっぱこれ貰えないよ」


鳴宮さんはそう言って、私のセブンスターの緑の箱をテーブルにそっと置いた。

「色々ほんとにごめんね」



鳴宮さんは実に弱弱しく笑い、それ以上は何も言わなかった。そして、踵を返して暗い廊下へ消えていった。一瞬、ナースステーションの灯りが彼の頬や鼻の骨格を綺麗に照らし、もともとの端正な顔立ちをこちらに思い出させた。


これにて、『鳴宮・煙草事件』は収束した。
静かな夜であった。



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