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短編小説『Hurtful』 第5話  「鳴宮さーん」

第一話前話
ハピネス・ウィル・サンクチュエール精神科病院。五階・西病棟。
今日も鳴宮さんという男性患者が、デイルームの一番後ろのテーブルの席に座り、足を組み、腕を組みしてテレビを観ている。

鳴宮さんはサッカーのユニフォームを着用していることが多い。

普段はクールな印象の鳴宮さんだが、今日はテレビでサッカーの試合がやっているので楽しそうである。

鳴宮さんは三十二歳らしい。
「ちなみにマサ兄は三十歳だよ」
由美子さんが教えてくれた。


鳴宮さんと初めて喋ったのは喫煙所で、私が入院して三日ほど経った頃だった。

「あの、相原さとみと言います。どうぞよろしくお願いします」

私がぎこちなく挨拶すると、

「あー鳴宮です。よろしくお願いします」

その人は言った。

鳴宮さんはなんだかこの場所に似つかわしくない、結構まともそうな人で、何か話を続けようという親切心から、

「相原さんって、意外とあんまりない苗字だね」
と、爽やかな笑顔で言った。

私は、初対面の人とは必ずそうなんだけれども、何を話したら良いか分からないというか、まあ、可愛く言えば人見知り、だけれどもそのくせ人の心に上手く取り入ろうとする浅ましい心の持ち主で、すると会話はどうなるかというと、素直に出てくる言葉を保留し、どんなことを言えば気に入ってもらえるか、一旦考え込む訳だから、そのことによって会話に間ができ、こんな間を作ってはならん、と急に焦りだし、アホなことを言わないように考えた挙句、
「鳴宮さんというお名前も、鳥っていう漢字が入っていて珍しいし、なんだか憧れます」
などと馬鹿馬鹿しいことを言ってしまったのであった。


鳴宮さんは基本的に優しい人で、気分が落ちている日を別にすれば、性格的にバランスの取れた人であった。
加えて、一般的にかっこいいと言われるような、端正で華やかな顔立ちをしていた。

しかし、敢えて心を意地悪くして観察をするとすれば、某名門大学出身というのを鼻にかけてるのか、そんなにベラベラと人と喋るという訳でもなく、ちょっと離れたところから周りに居る精神病患者達を軽く、あくまで軽く見下している感もあり、いつも足を組み腕を組みしているところを見ると、本人は余裕そうである。

ちなみに、「某名門大学出身というのを鼻にかけてる」と、陰でコッソリ言っていたのはマサ兄である。





或る時から、鳴宮さんは喫煙所に来なくなった。

喫煙所を出るとデイルームのいつもの席に座った鳴宮さんと目が合った。

「最近、どうしたんですか」
と、気になっていたことを聞いてみた。

「いやー、俺ね」

鳴宮さんは落ちていた。

「退院予定日が一応決まりつつあったんだけどね。俺の親が、『退院するんなら煙草やめろ』って言ってて。それで、主治医とも、煙草やめるのが退院の条件みたいになっちゃったんだよね」

「そうだったんですか」

個人的な事情をそれ以上掘り下げる気にはならなかった。


それにしてもずっと吸っていた人がいきなり一本も吸えなくなるのって、相当キツいだろう。むしろ病状悪化しそう。


そしてこの日、『鳴宮・煙草事件』の火蓋が切って落とされた。
それは私の、悶絶苦悩の日々の始まりでもあった。


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