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日記 2021年5月 僕たちが生きる「デタラメ人間の万国ビックリショー」の世界。

5月某日

斜線堂有紀のオールナイト読書日記」なる連載が始まっていた。
 紹介文の中に「1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。」とあって、読んでる量が多い=偉いみたいな感じの語り方をされていて、少し複雑な気持ちになる。

 そういえば、斜線堂有紀って幾つだっけ? と改めて調べてみると、1993年4月1日とあって年下かぁ。
 読書って量じゃないよね、とか本を出版したことがない僕が言っても負け惜しみにもなっていない。

 と思いつつ、そういえば、他にもめちゃくちゃ読んでいる若い作家がいた気がして、調べたら阿津川辰海だった。
 阿津川辰海は「ミステリ作家は死ぬ日まで、黄色い部屋の夢を見るか?~阿津川辰海・読書日記~」であらゆるミステリーを紹介していて、面白かった。
 ちなみに阿津川辰海は、1994年生まれとあって、誕生日は書かれていなかったけれど、斜線堂有紀の一つ下か……となる。

 音楽、漫画、お笑いは、ユーチューブやサブスクのインターネット環境によって、古今東西の作品に触れることができて、優れた作り手になる人は、優れた観客でもある、という図式が成り立っている。
 小説も斜線堂有紀や阿津川辰海といったミステリー界隈で、本当に多く読んでいる人はいるけれど、なんとなくの空気として読まなくても書けるよね、という空気を感じる部分もある。

 けれど、小説を読まない小説家なんて、売れないし読まれない。

 津原泰水がツイッターで「「魔法のiらんど」から“ホムペ”消え1年 小説投稿急増、新規2.6倍に」というネット記事を引用して、

「書きたい」人は増える一方。

 と呟いていた。
 そして、「がむしゃらな自己表現や模倣から入って、古典や第一線のプロの技術力を実感し、本格的な読書習慣がつき……という道順を辿ってくださることを祈ります。」とも書いていた。
 本格的な読書習慣。
 結局、それが小説家になる一番の近道なんだろうな。

 単純な話として、そういう読書習慣が身についた人が小説家にならないと、小説というジャンルの中で積み上げてきたものが無かったことになってしまう。
 僕はそれを望まない。

 5月某日

 本棚にあった「FRUITS BASKET」という吉本ばななの対談本を手に取った。その中で高橋源一郎と以下のようなやりとりがあった。

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 高橋 つまり文芸誌って商業誌か非商業誌かわかんないんですよね。
 吉本 そうですね。誰が読んでいるかもわかんない。もしかしたら読んでないのかもしれない。
 高橋 だから、非商業的なものを商業的であると錯覚している弊害が一番悪いんですよ。いつもわかりやすいものを書く必要はないし、ときには思いっきり難しいことも必要なんだけど、そのかわり、見える読者がいるときは、その読者に向かって書いたほうがいいと思うんですよ。

 僕が文芸誌を買う理由は、これに近いものがある気がした。
 文芸誌ってめちゃくちゃ売れたいって言うモチベーションで作られていなくて、届く人に届けば良いと思っている感じがする。で、届かないなら届かないで良い。
 実際、数年前の文芸誌とか開くと、分かるようになっているってこともある。
 なので、買った当時の僕には届かなかった言葉が、今になって届くってことはある。

 文芸誌というスタイルにまったく問題がないとは言い難い。書き手のハラスメントが発覚した際や、時事に対する対応が必ずしも適切だったとは言えない場合もあったが、二十代の大半を文芸誌と共に過ごした身としては、これからも続いて欲しい媒体だった。

 5月某日

 ゴールデンウィークということで、休みだった。
 初日の一日、続く三日、四日と職場のあるビルディングでコロナの陽性者が見つかったとメールが届く。営業マンをしている友人が濃厚接触者になって、PCR検査を受けに行った。
 陰性だった、と友人は報告してくれた。
 陽性か陰性かって、そんなにすぐ分かるんだ、と変なところで驚く。

 四月三十日の深夜に倉木さとしと映画対談の編集としての電話をしていて、朝の五時過ぎにベッドに入った。起きたのは十二時過ぎで、トーストを二枚焼いて食べたら、口の中を火傷した。
 ゴールデンウィークの間、口の中はずっと痛かった。

 小説を書くと決めていたので、パソコンに向かう。
 書き始めると、本当に他の小説が読めなくなる。とはいえ、読まないと駄目になるので、エッセイなどを騙し騙し読む。

 地の文で、「おまえらデタラメ人間の万国ビックリショーに巻き込むじゃねぇ!!」というハガレンのヒューズの名言を入れたくなって、忍ばせる。

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(ヒューズってホント、良いキャラだったなぁ)

 小説は掌編を一本、長編の冒頭を一本書く。
 原稿用紙換算で50ページも書けていないと気づいて絶望する。

 5月某日

 三宅香帆が新しい連載を始めていて、タイトルが「書きたい人のための「名場面読本」」で、第一回が「《出会い》の名場面:北村薫『空飛ぶ馬』から見る「重要人物だとさりげなく気づかせる」技術」だった。

 編集者の説明文は以下のようなものだった。

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者、新連載がスタート! 第1回は「出会い」の名場面について……

 もう絶対に面白いじゃん。
 というか、第一回に北村薫『空飛ぶ馬』を選ぶのが、分かってる。

出会いって難しいよね。ベタに走りすぎると「食パンくわえてぶつかる女子高生」「クラスにやって来たかっこいい転校生」みたいな、どっかで見たような場面になってしまうし。しかし、出会いがさりげなさすぎると、そもそも「面白くなさそう……」と思われて、読み続けてもらえないし。
そう、物語の始まりは、ぐっと読者を引き込むものじゃないといけない。

 そんな前提から始まり、「北村薫なりの「パンをくわえた女子高生」場面の翻案」を『空飛ぶ馬』から斬り出して見せる三宅香帆には拍手しかない。
 
 ちなみに第二回は「《関係性が変わる》名場面:島本理生『ナラタージュ』に見る「好きだという気づき」の描き方」で、起承転結の「起承」の間くらいに位置する内容を解説してくれていて、本気で一から小説の書き方を書評家の視点から教えてくれようとしているだ、と感動した。
 小説を書こうと思っている全ての人が読むべき連載だと思う。

 5月某日

 カクヨムで僕は郷倉四季という名前で作品を載せていて、一番読まれているのはエッセイなのですが、一応小説をメインとしてアカウントを作った。
 作った日が2018年の5月1日。
 カクヨムを始めて三年が経ったんだと思うと、それによって僕の日常というか世界は変わったし、書く内容も変わった。
 なんとなく、視野が広がった気がする。

 そんな三年経過のご褒美なのか、先日交流を少し持たせていただいている星都ハナスさんから、作品を紹介しても良いか、と打診をいただいた。
 ぜひお願いします、と返信し、その紹介エッセイが先日公開された。

 紹介いただいたエッセイの説明文は以下のようなものだった。

カクヨムにはちょっとエッチな作品もあるんです。
でもエロいだけじゃない。胸キュンして下さい!
ジーンとして下さい! 
ただただ感じちゃって下さい。
また、怖い作品にも触れちゃって下さい。😱
 
生きてるって素晴らしい! 感動した作品を堕天使ハナスがみなさまに教えちゃいます。

 なるほど!
 僕の作品は「ちょっとエッチな」訳ですね。
 それは嬉しいし、そう言えば、エッセイか何かで僕は官能小説を書くって約束し、「官能小説用語表現辞典」なる本まで買ったのだった。

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 確か、あいみょんがラジオで紹介していて、更に文庫本の解説が重松清という、あらゆる点でガチな一冊だった。
 辞典ってことなのだけど、「用語表現辞典」で、しかも官能小説なので、肉体的な刺激を与える表現を如何に工夫するか、っていうことを突き詰めていった集大成なので、日本語ってこんな表現力あるんだ、と感動すらする。

 いや、「官能小説用語表現辞典」は良いとして、紹介していただいた作品は「あの海に落ちた月に触れる」だった。

 ちなみに、冒頭は「彼女が十人いる男が最初に連絡をするのは十番目の女だ。」というもの。
 なんとなく、今でもこの一文は気に入っている。暴論だなぁ、と。

 官能小説っぽいな表現で言うなら、本命が特別すぎるが故に、セックスの相手は他の子であるべきなのでは? と考えている少年が、中二病な喋り方をするクラスメイトの女子、兄貴の遊んでいる風の彼女、病院を抜け出す女の子を巡ってエッチなことをしたり、しなかったりする話かな。

 いや、全然っぽくなかった。
 なんにしても、星都ハナスさんのエッセイは本当に素晴らしいので、これだけでも読んでいただければです。
 あと、エッセイ内で紹介されている切り株ねむこさんのレビューの内容もすごく良いので、そちらも注目していただけたら、です。

 5月某日

 朝、職場に出勤すると、僕たちの部署がミーティングと言うことで会議室に呼び出された。
 ひとまず、一番後ろの目立たない席を選んだ。
 そこで、僕の異動が説明されて、全員がコントみたいに振り返ってきた。
 ちょっと面白くて視線を逸らした。

 同期の女の子に
「え、何で言わなかったの? ってか、よく黙ってたね」
 と言われる。
「いや、黙ってろって言われたです」
 と言い訳する僕。

 その後、同期と後輩に何だかんだイジられたり、残念がられたり、金を要求されたり(なぜ?)した。
 もう辞めるテンションの絡み方だったが、異動になる部署は殆ど隣なので、席も近いし、顔は毎日合わせる。
 ただ、今後の部署の仕事がちょっと大変になるので、その辺の八つ当たりだったのだろう。
 甘んじて受ける。

 5月からエッセイから小説をいっぱい書く方針に切り替えてからの、部署の異動だったので環境変化の時期のようだった。

 こんなニュースを見かけた。

世界保健機関(WHO)の関係者も最近の本紙取材に、「新型コロナが完全に終息するには1年以上の時間を要する恐れがある」と分析し、感染者は今後も増加する」とのこと。
 とりあえず、僕の29歳から31か32歳まではコロナの年になるようだ。あと1年ないし2年間は死ななければオッケーという意識で生きて行こうと思う。


サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。