私が考える「優しさ」とは何か
毎日、いろんなことを言葉にのせてエッセイに形作る毎日。物書きとしても、ひとりの人間としても。私は常に「優しい人になりたい」と思っている。
思ってはいるけれど。「佐藤ささが思う『優しさ』って何?」と、私は疑問に思った。なんだか、過去の自分の投げたブーメランが今の自分に返ってきたような気分だ。
過去のメモを見返していたら、「優しさ」について考えたものが出てきた。それを噛み砕きながら、私にとっての「優しさ」をあなたに伝えようと思う。
そもそも「優しい」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。
他人への思いやり(気配り、気遣い)。
相手に何かをしてあげたい!という気持ち。
私が考える「優しい」は、こんな感じ。もちろん自分自身への「優しさ」も大切だけれど、私は他人に対する「優しさ」を思い浮かべる。自分の他人に対して湧き出る気持ちが、「優しさ」へと繋がっているように私は思う。
もっと深掘りすると、こんな感じだ。
相手の立場に立って(相手の気持ちを汲んで)、物事を考える。行動する。
人に譲る精神。
特に前者は、子供の頃からそうだと自覚している。良くも悪くも。相手に喜んでほしくて、自分から行動することもあれば。その場の空気に耐えきれなくて、自分から動き出してしまうこともある。でも、相手が喜んでくれればそれでいい。
後者については、公共交通機関を利用する時にとりわけ発揮される精神だと個人的に思っている。たとえば、目的地で乗り降りする時に順番を譲る、とか(割り込みにはそれ相応の対応をするけれどね)。
私が考える「優しさ」には、必ず相手がいる。他人に対する想いが常にある。ということは、私にとっての「優しさ」とは「相手を想う心」なのだと思う。
毎日文章を書いていると、「私は書くことが好きなんです!」「今日はとにかくこれを伝えたいんだーーー!」という気持ちがつい先行してしまう。
しかし、言葉の壁を隔てて向こう側には、相手がいる。私をフォローしているかどうかに関わらず、読んでくださるあなたがいる。
その意識を片時も手放すことなく、言葉を紡いでいきたい。言葉を紡ぐ時間から離れている時も、「相手を想う心」を常に持ち合わせておきたい。人々がそういう心を持っていれば、私たちが生きる世の中は今よりも、優しさで満ち溢れるだろうなぁ。
世の中が、今よりも優しさで満ち溢れた社会になりますように。
そのためには、小さなことからコツコツと。まずは私が「優しさ」を言葉にのせて、あなたに届けるところから始めよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後も私が書き続けるために必要なものの調達に使わせていただきます。