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発達障害の苦しみに満ちた人生が、ヴィパッサナー瞑想の実践によって、劇的に変化した話。

妄想と精神的不調に苛まれた人生

私は発達障害(自閉スペクトラム症)である。20歳の時から強い被害妄想に襲われるようになった。現実との区別はついていたが、妄想の臨場感が強く、荒唐無稽な妄想であってもリアリティーが感じられた。

18歳で高校を卒業してからニートの期間と派遣の仕事の期間を繰り返していたが、仕事は長続きすることがなかった。妄想が強く、メンタルの調子は悪く、生活は不規則だった。

20代前半の頃、元々、生き方や人生に関する哲学に興味があった私は仏教に興味を持ち、お寺に座禅を組みに行った。週1で2カ月くらいの間、通ったが、怠けてしまって長続きしなかった。

仏教に関する書籍も読んだが、学者の書いたものは難解で私には理解することが出来なかった。スマナサーラ長老の本も何冊か読んだが、こちらの理解力が及ばず、やはり分かったという感覚は生まれなかった。

ヴィパッサナー瞑想のやり方も本やDVDで学んだが、当時は、少し試みただけで終わってしまった。ただその後も、仏教について理解したいという思いは続き、それはまるで執着のような感じだったが、そうかと言って勉強するわけでもなく、メンタルの調子は悪いまま、妄想も強く、ニートと派遣の仕事とを繰り返していた。

人生に訪れた転機|放てば手に満てり

しかし、転機が訪れた。2022年の3月(齢41歳)のある日、私はふと、「十二縁起、理解出来なくてもいいかあ」と、それまで抱えていた十二縁起を理解したいという執着を手放した。そしてなんとなく十二縁起についてAmazonで検索してみると、『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』という本を見つけた。レビューには十二縁起についての分かりやすい説明も書かれていて、「この本に書かれている十二縁起の解説なら理解出来る!」と思い、早速、購入し、読んでみたところ、書かれていることは7割くらいは理解することが出来た。

私は7割くらいの理解で満足だった。長年、理論的な理解を得たいと執着していたが、その執着を手放したら、理論的な理解を得ることが出来たのだった。禅の言葉に「放てば手に満てり」という言葉があるそうだ。

本を読んだ後、ゴエンカ氏の10日間のヴィパッサナー瞑想の合宿に申し込んだが、メンタルの調子が悪く、通院していることを理由に断られた。

その少し前の12月にとある瞑想教室があることを知って1日、通い、それからマインドフルネス瞑想を行うようになった。

マインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想を習い始める。

ゴエンカの10日間合宿を断られた後、さらに瞑想を学べるところはないか探したところ、先程とは別のとあるマインドフルネス系の瞑想を教えるサロンを見つけ、毎日、通い始めた。それからしばらくたってから、ヴィパッサナー瞑想を教えている先生のホームページをみつけ、その先生にヴィパッサナー瞑想を習い始めた。

瞑想後の変化

2021年の12月(齢41歳)に瞑想を始めてから、人間関係に大きな変化があった。良い縁がたくさんあり、嫌いな人から離れることが出来た。また、瞑想スタジオの方たちと仲良くなり、良い人間関係を築くことが出来、ヴィパッサナー瞑想を教えているところでは、法友が出来た。

さらに42歳の12月に新しく働き始めた職場には嫌な人が1人もいなかった。2カ月しか働けなかったが、その後、3月から始めた仕事の職場にも嫌な人は1人もいなかった。その職場も5月で辞めたが、すぐに別の仕事、工場の仕事を見つけ、寮に入り、不仲な父親と離れることが出来た。念願の自立を果たすことも出来た。瞑想を始めてから、その時までは、人との関わりが劇的に良くなったことを日々、実感していた。

私のそれまでの人生はあまり生きがいが感じられないものだったが、瞑想が生きがいとなった。瞑想を始めてからはこのように人生に大きな変化があった。

妄想に囚われることや、父親に対するわだかまりもいずれ乗り越えなければならないと思っていた。

工場勤務

工場では妄想でぼーっとしてしまい、仕事の説明をされているのに全く頭に入ってこなかった。そんなわけだから、他のみんなは仕事を任されているのに私は全然、仕事をもらえなかった。作業らしい作業をしないままひと月が過ぎた頃、ほとんど立っているだけだった為に足が痛くなり、早退や欠勤を繰り返すようになってそのまま退職。

入社して間もない頃に、同じ時期に入社した人のうちの二人に、私の寮で鍋パーティーをやらないかと誘われ、鍋パーティーをやらされ、また次の予定としてタコ焼きパーティーも約束する羽目になってしまった。

私には二人の人間としての精神性は高いとは思えなかった。で、そんな二人と関わりを持つのはどうなのかと思いヴィパッサナー瞑想の先生に相談したところ、先生は原始経典のブッダの言葉を引いておっしゃった。

「自分と同じかそれ以上の者と歩めないなら、ひとり犀の角のように歩め」

先生のインストラクションを受けた私はその二人とは関わらないことにした。

瞑想はというと、一人暮らしなのだから結構、出来そうなものだが、初めの頃は妄想多発の為に、あまり集中出来なかった。そこで断っていた薬を再び服薬し始めると妄想が和らいできて、少しは瞑想に集中することが出来るようになってきた。しかし、退職する1週間くらい前からは、工場で知り合った先ほどの二人とは別の方を毎日のように寮に呼んで鍋を食べていたので、瞑想する時間はほとんど取れなかった。

ブレイン・プログラミング|引き寄せの法則

実家に帰ってから職探しを始めた。ある工場の仕事を見つけて1LDKの寮に入った時には、1LDKで一人暮らしが出来るようにとアラン・ピーズのブレイン・プログラミングを行っていて、願望実現が果たされた。

ブレイン・プログラミングというのは「引き寄せの法則」を科学的に説明したもので、アラン・ピーズという人が書いた本のタイトルでもある。「引き寄せの法則」とは、簡単に言えば願望を実現させるのに使える法則だ。

私はニート生活を続けていた為、生活基盤を整える必要があった。生活が出来ないと瞑想も出来ない。ブレイン・プログラミングはあくまで、瞑想修行、ヴィパッサナーヴァーヴァナーを行うために使ったのだった。自分の欲を達成させるためにブレイン・プログラミングを使うことは、原始仏教の教えからすれば逸脱しているが、私の場合にはこのような理由から必要だろうと考えたのだった。

今回は、天職が見つかるようにブレイン・プログラミングを行った。何が天職かは、分からなかったが、希望のWeb制作やSNS関連の仕事を探した。また、私は万年筆が好きなので、万年筆の仕事も探した。なぜ私が万年筆が好きなのかというと、実はジャーナリングが関係しているからだ。

自分の心に光を当てるジャーナリング体験

2022年の5月頃から、私はジャーナリングを行っていた。ジャーナリング(書く瞑想)というのは、紙にペンで自分の思考を書き出して、可視化するやり方だ。文字にするという段階を入れて可視化された思考を読み返すことで、客観的に観察することが出来、その結果、自分の思考の癖や思考パターンを明らかにしようということだ。

私のジャーナリング体験を少しお話ししたい。ある時、私は瞑想中に妄想に囚われてしまった。サティが入らなかった。ジャーナリングで書いたものを観察してみると、サティが入らない自分を情けないと思っていることが分かった。

「サティ入らなくても、まあいっかあ・・・」
 
私はサティが入らないことを受け入れた。すると自分のことを情けないとジ
ャッジしなくなった。自分を受容することが出来た。

万年筆との出会い


2022年の6月頃に高級筆記具でジャーナリングがしたいと思い、Parkerというブランドのソネットいうボールペンを買っただった。その後、10月の誕生日に友達から万年筆のインクとコンバーターをいただいた。コンバーターとはインクを入れる機器で、万年筆に装着して使う。元々、万年筆を1本持っていたので、それ用に買っていただいた。

使ってみると、書き心地がそれまで使っていたカートリッジ式というものよりも格段に良くなり、そのことに私は驚いた。こうして私は万年筆に興味を持つようになった。万年筆専門店に試し書きが出来るよう、置いてあったグラフ・フォン・ファーバーカステルというブランドのアネロというシリーズの万年筆を使ってみると、そのあまりの書き心地の良さに驚き、感動し、私はそのシリーズの色違いの万年筆を購入した。以後、万年筆の沼にハマっていくことになった。

ブレイン・プログラミングで果たした願望実現


話をブレイン・プログラミングを使った職探しに戻そう。万年筆やWeb制作の仕事を探していると、万年筆の通販サイトのデザイン、バナー制作、SNS発信の仕事の求人が見つかった。好きな万年筆の仕事で、しかも希望のWeb制作とSNS発信の仕事だったので、すぐに応募した。結果、その仕事に決った。退職してからひと月くらいのことだった。ブレイン・プログラミングによる願望実現だと思われる。まさに「引き寄せの法則」どおりだった。

引っ越し、一人暮らしを始めた。その頃、ヴィパッサナー瞑想の先生から「会社、職場の人たちに慈悲の瞑想を行うように」とインストラクションを受けた。

退職

しかし2ヶ月経った頃、専務から社会人としての基本がなってないだとか、仕事の進みが遅いだとか、職場の人間に認められることが重要だが認められていない、といった指摘を受け、このままでは雇用の継続は難しいと言わてしまった。直属の上司は入社当時から私に冷たかった。私は会社側はもう私を雇う気がないのだと踏んで、退職することにした。コーディングの仕事は3日しかやらなかったが、バナー制作の仕事は3回くらいやった。あとはPCを使った単純作業だった。

この職場で働き始める前、先生から慈悲の瞑想をやるように言われていたが、私は慈悲の瞑想があまり上手く出来ない為、ほとんど慈悲の瞑想を行なっていなかった。
  
「慈悲の瞑想を行なっていれば、職場の人間から嫌われて退職することになどならないだろう。これは慈悲の瞑想を実践するように、という天の計らいかもしれない」というようなことも、先生から言われた。

それを聞いた私は、慈悲の瞑想を行うことにした。余計な妄想が湧いてきて、なかなか出来ない慈悲の瞑想だったが、実践に努めた。スマナサーラ長老の慈悲の瞑想のフルバージョンをYoutubeで見ながら一緒に念じていると、心が暖かくなった。

退職する旨を会社に連絡した日、Web制作会社のオンライン面談があり、その日のうちに採用が決まった。

瞑想

この万年筆の通販サイトの仕事の期間、瞑想はというとあまり集中できず、帰ってからは疲れてしまい、また妄想も多発しており、あと気概が足りない為、あまり質の高い瞑想を行うことは出来なかった。頻度も少なかった。

オンライン瞑想スタジオで週3回くらいはクラスを受けていたので、全く出来なかったというわけではなかったが、坐る瞑想は週1時間かそれ以下、歩きの瞑想はほとんどやっていなかった。瞑想スタジオで行われている「動きの瞑想」という坐りながら、比較的ゆっくり上半身を動かしつつ、その感覚を観察するものは、週1時間かそれ以下の頻度で行なっていた。

ジャーナリングはしばらく効果が感じられない日が続いていたが、再び、効果が現れるようになった。

ジャーナリングの効果

「いつも心のもやもやを解消しようとジャーナリングを行なっていた。だが、心のもやもやは晴れないことがほとんどだった。私はジャーナリングを行う動機が『心のもやもやを解消しようとしていること』だと気づいていなかった。だが、そのことに気づくと、心のもやもやが晴れた。」

無自覚だった自分の心を自覚することで上記のことが起こった。

ありのままに見る。|消えた妄想。

妄想だが、何ヶ月か前に、それまでは、妄想をジャッジして嫌悪し、排除しようとしていたことに気づいた。気づいてからは、妄想をジャッジせず(価値判断せず)、ありのままに見ることが数回出来た。ありのままに見ると、数回とも妄想が1秒くらいで消えた。それは私にとってはかなりの進歩だった。妄想をジャッジして嫌悪していることに気づいたばかりか、妄想を価値
判断せずありのままに見ることが出来た。

ジャーナリング講座の開催と成功

その後、Web制作会社の仕事を辞め、人生の流れが悪くなったが、再び良くなってきている。ジャーナリング講座を開いたところ、受講してくださる方がいたし、Instagramでは、念願のタイアップ投稿を獲得することが出来た。しかも1件ではなく、立て続けに2件獲得することが出来た。

ジャーナリングを教えようと思ったのは、「私にも出来るだろう」と思ったから。それまでにも友人ふたりにジャーナリングを教えたところ、ふたり共、習慣化し、ジャーナリングの効果を得ることが出来た。

実際、教えてみたところ、これが良い体験となった。受講者にも喜んでいただけたし、私も講座がうまくいって、嬉しかった。

瞑想後の変化

瞑想を始めるようになってからの変化だが、瞑想スタジオや、ヴィパッサナー瞑想を一緒に習っている方々から「変わった」と言われるようになった。「明るくなった」「人に接する時の表情が柔らかくなった」「大らかになった」「メタ認知しているようになった」「メタ認知が高まった」といったことを言われた。

他には、ニート生活をやめ、再び働くようになったことや、一人暮らしをするようになったこと、瞑想ライフを送るようになったこと、法友(共に瞑想修行をする仲間でしかも親友のこと)が出来たこと、瞑想スタジオやヴィパッサナー瞑想を一緒に習っている方達との良縁に恵まれたこと、ヴィパッサナー瞑想の先生という尊敬する師が出来たことだ。

ヴィパッサナー瞑想や原始仏教の教えを実践した生き方をしていると、円滑現象というものが起きるらしい。これは、人生の流れが良くなるというものだ。科学的な理解の領域を超えているが、原始仏教の因果論や輪廻転生の教えが腑に落ちている私にとって、なんら受け入れるのに抵抗は無い。

ヴィパッサナー瞑想を続けることによって円滑現象が起きたり、たくさんの気づきを得ることが出来た。無意識の意識化がたくさん起きた。九段階ある禅定の段階の内、無色界の禅定に入ることも出来た。

ボランティアスタッフとして働く。

今では、ヴィパッサナー瞑想を教わっている所で、ボランティアスタッフとして働いている。
瞑想を始める前は、生きがいや生きがいを感じる気持ちが少なかったが、今は瞑想が好きで、瞑想が楽しく、瞑想が生きがいである。

ジャーナリング講座の紹介

最後に、私が開いているジャーナリング講座のWebサイトを紹介しておきたい。ジャーナリングについて詳しく書いてあるばかりでなく、MOSHやcoconala等で開いている私のジャーナリング講座への申し込みページのリンクも載せてある。
2024年6月29日の時点で、講座を受けてくださった方は、累計11人となった。大変ありがたいことだ。幸い、評価もほとんどが星5個である。

以上が、私がマインドフルネス瞑想やヴィパッサナー瞑想を始める前と、始めてから後の変化を綴ったものである。

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩みや苦しみが無くなりますように
生きとし生けるものの願うことが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

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