マガジンのカバー画像

アートを知りたい

30
人生に必要な「要素」としてのアート
運営しているクリエイター

記事一覧

コロナ時代の僕たちはなにかを失ったのか:欠けた器を金継ぎながら思うこと

「コロナ以前の生活に戻る」使い古されたこの一文からは,多くのヒトが違和感を覚えるようになった。 元通りの生活を再現するのではなく 「with コロナ」 「新しい生活様式」 といったキャッチーなスローガンが標榜され しかしどんな価値を付加していくべきか 見通しは冴えない。 この6ヶ月間は間違いなく 私の小さな自分史のなかに 大きなインパクトを残している。 自分史上には,もう一つ思い出される衝撃が刻まれている。 2011年の東日本大震災。 自粛ムードが漂う中,掲げられた

おうち美術館の効用

おうち美術館 しばらく箱の中に眠らせてしまっていたアート作品を、おうち改革のタイミングで引っ張り出してきました。 この作品,実はアートオークションで入札したものでした。 大切にしすぎて,なかなか飾る勇気もなく,箱の中におりましたが,ようやくおうち改革で飾ることを決意しました。 腰窓のしたの,木箱のうえ。 本当は作品には直射日光はよくないのですが,展示してみて思わずその美しさにしばらく見とれてしまいました。 そしてもう一枚のペインティング。 これは大学生のときにベ

オンラインで感性を養って,おうち時間が楽しい

オペラ観ました。「魔笛」 おうちで。 今までのオペラの印象はこんな感じ。 オペラ.. おもしろいのかな.. チケット高そうだし.. え,どんな服きてけばいいの.. そんな印象とは全く異なり,今回は, オペラおもしろ! これ無料なの! パジャマで見ているわたし そこで気づいたオペラの良さをまとめてみたい。 まずは.. 1. 広画角による視線のあそびなんといっても劇場ひろい!舞台美術もかなり凝っていて,視線がうごく,はねるように! 舞台上の全てが動いているので自分が

アートのない世界で人は生きられるのか

在宅では新たに見えてくるものもあるし,見えなくなってくるものもある。 そんな生活のさなかで,こんな記事が目に止まりました。 アートのない世界で人は生きられるのかタイトルだけ見てからの,私なりの答えは,「生きられない」です。 ここは私なりの解釈なんですが、アートはなにも絵画や彫刻といった芸術作品のみに限りません。たとえば、まちなかのゴミばこのデザインにもアートは宿っていると思うし、ある友人の人生観とかにもアートは宿っていると思います。 ここで私が解釈した「アートの世界」とは、

画家ルノワール,こってり,つゆだくだくで注文したのはだれですか。

私の母親はピアノ教室を開いている。かれこれ10年以上はしていると思う。 私が小学生くらいの時から家ではずっとピアノが響いていて,同級生たちが家にピアノを習いによくきていた。 そんな母親は絵画も好きだ。実家のピアノ部屋の壁にはこの作品がかけられていた。 ピアノを弾く少女たち・ルノワール, 1892年の作品だ。 なんだか当時のわたしはこの作品をみるとなんともむずがゆく心地のいい感じではなかった。そもそもピアノ自体に特に興味を示さなかったし,なんだかこう作品に描かれる彼女たち

連続投稿78日で閃く,ぼくに対する不思議。

noteに連続投稿して78日目になった。 特にキリもよくないこのnote記事でなぜこんなことを宣言するかというと,今まで書いてきたnoteに対して,なんでこんな言葉が出てくるんだろうという不思議が強烈に問いかけてきているからだ。 それがいま,78日目というこのタイミング。 なんで今までの記事を書いたのか,書くことができたのか,しかも特別なことばで。 我思うゆえに我あり,というところまで昇華できそうだが,もうちょっとゆっくり考えたい。トップ画にもしたがこんな写真が出てき

現代アーティスト3人とわたしの関係

前回記事では,ぼくの人生に大きくかかわったクリスチャン・ボルタンスキーをとりあげた。 今回のnoteではボルタンスキーを語る上で欠かせない2人の作家を紹介することで現代アートの人生における意義みたいなところを深掘りしていきたいなと思う。 このnoteの意図は先のnoteと変わってない。 もちろん私のnoteだけでは読者のみなさんのこころに突き刺さるとは思っていない。なぜなら実際の作品があるから,このひとつのnoteで突き刺さってたまるかという作家への畏怖にも近い尊敬があ

現代アーティストChristian Boltanskiがわたしの人生において果たす役割。

2019年5月1日の日記を呼び戻してきた。 そこに刻まれたChristian Boltanskiという男。ぼくの人生に対する価値観を変えたひとだ。 (Christian Boltanski photographed in his studio, 1990) もちろんこの私のnoteだけでは読者のみなさんのこころに突き刺さるとは思っていない。なぜなら実際の作品があるから,このひとつのnoteで突き刺さってたまるかという作家への畏怖にも近い尊敬がある。でもその世界に飛び出し

アートと社会のなめらかな関係

1. アートってそもそもなんだ? まずはこの絵画をごらんください。 どなたの作品かわかるでしょうか。 あるいはいつの時代の作品でしょうか。 ルネサンス?はたまた近代? 日本人が書いたのか,あるいは,アメリカの作家? ピカソはこんな絵書くかなあ.. 岡本太郎ぽい.. そもそも著名な作家が描いた作品なのか,子供の殴り書きなのか!? 答えはこの方です!! ------------------------ (京都大学霊長類研究所HPより) そう。 チンパンジーのアイちゃ

10年前の感情がやっといま岡本太郎の爆発で言語化された

本を読んでいた。 岡本太郎・自分の中に毒を持て ことばのチョイスに感動。 僕は若い頃から「出る杭は打たれる」という諺に言いようのないドラマを感じた。 ... この平たい世界からどうしても情熱を燃やすと飛び出してしまう。出ていく運命というものを感じてならなかったのだ。「出る」のは固くて冷たい釘ではない。 純粋な人間の,無垢な情熱の炎だ。 (岡本太郎・自分の中に毒を持て) 本を読んでいるともう少し前に出会っておきたかったなと思うことがある。この本もその一つ。 中学生の

0.000002%の確率の感動。BEPPU Projectでの中山晃子さんの作品に思う

地球が大好きだ。 スケールの大きさがあまりにも手に追えず,生かされる者としてそこで活動する。46億年の歴史の中で100年という人生はあまりに短く,だからこそ100年をかけて地球のことを知りたいなと思う。 いま石油を採る仕事をしているのも,エネルギー安定供給に貢献したいとかじゃなくて,地球の深いところからでてくるどろっとしたまっくろな液体の美しさにやみつきになっているからか,なんて気もしてくる。 そんなことはこんな記事やこんな記事にも書いていた。 石油掘削という点で地球

存在の確かさと見ることの危うさ 光の館で現代アートに泊まる

天井に穴の空いた館。 それが今回訪れた新潟県十日町にあります。 光の館。 昼間は一般にアート作品として公開されていますが,夜は一棟貸しの宿泊施設になります。 自然光と人工光を調和させ、「陰翳の美」を創り出す。そこに、空の青、壁の金、床の間の赤、浴槽の緑、そして全体を覆う黒い色調が微妙なコントラストを与えている。それは「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」日本の文化への、西洋の文化を背景としてきた私なりのアプローチであった。これま

瀬戸内の風と建築とワイン

瀬戸内に浮かぶ島々 しまなみ海道沿いにその島はあります。 大三島。 この大三島でワイナリーを立ち上げたのが, 大三島みんなのワイナリー ここ大三島は移住者が多い島です。 移住者の方々によって支えられているので みんなのワイナリー。 ラベルデザインも素敵です。 醸造所も新しくできました。 代表は建築家の伊東豊雄さん。 ほかにも 大三島みんなの家 伊東豊雄ミュージアム などあるので近く寄られた際は ワインを含みながら建築を眺めてみては。 しまなみ海道 車でいきま

からっぽ,からっぽ,なんもせん。何もないという贅沢。小屋場只々での滞在。

徳島県,大津島に その宿はあります。 小屋場只々 こやばただただ 山陽新幹線で徳山駅まで向かい,徳山港からフェリーで30分程度。 一棟貸しでスタッフの方が2名いらっしゃるのみ。 暖かいおうちのようなサービスで,夜はスタッフの方々も宿を離れるため静かな一棟となります。 部屋からは海に沈む夕陽が美しい。 お料理はスタッフの方が今朝,目の前の海から採ってきたという真鯛。 日本酒は,その土地の悲しい歴史にも紐づく名前をとった回天という日本酒で。 部屋のインテリアは,ものづくり