見出し画像

画家ルノワール,こってり,つゆだくだくで注文したのはだれですか。

私の母親はピアノ教室を開いている。かれこれ10年以上はしていると思う。

私が小学生くらいの時から家ではずっとピアノが響いていて,同級生たちが家にピアノを習いによくきていた。

そんな母親は絵画も好きだ。実家のピアノ部屋の壁にはこの作品がかけられていた。
ピアノを弾く少女たち・ルノワール, 1892年の作品だ。

画像1


なんだか当時のわたしはこの作品をみるとなんともむずがゆく心地のいい感じではなかった。そもそもピアノ自体に特に興味を示さなかったし,なんだかこう作品に描かれる彼女たちはいかにも上流階級のような雰囲気をまとい,当時,競泳にのめり込んだぼくはそういう落ち着いた生活というのにすごく嫌悪感を感じていたのかもしれない。小学校が終わると夜の20:00くらいまでへとへとになるまで泳いで,疲労感まんまんの送迎バスにゆられて家まで帰り,用意されたご飯にがっつくという生活に,心身ともに満足感を得ていた。
そんなときにこの作品が目に入ると,なんだか居心地がわるい感じがするのだ。

そんな折に,画家である千住博さんのニューヨーク美術案内という本を読んだ。

大戦の暗い影の差す当時のヨーロッパにて,ちょっとここまで甘ったるい絵というのは描けないもの。..怒りや悲しみもすべてこのめちゃくちゃな甘さと言っていい世界観に置き換えていたのだとすると怖ろしくもあります。そう思うとこの作品を描いている巨人ルノアールが目に浮かびます。...すべてを超えて人々に何か難しいことで悩んでいるのが馬鹿馬鹿しい,と感じさせてしまうのですから。
ニューヨーク美術案内・千住博,野地秩嘉


そう,まさにこのこってりとした甘ったるさを感じていた。びちゃびちゃとしたつゆだくの甘いたれに溺れそうな感じ。その甘さは脳天をつくような不快なあまみだった。胸がムカムカするようなときに,目の前に生クリームたっぷりのショートケーキが置かれているような感覚といってもいいかもしれない。

そう思うとこの千住さんの指摘で見方がガラッと変わった。まさにわたしが少年期に感じていた違和感は巨人ルノワールによって狙われていたものだったのだ。すべてを超えて,作品だけの世界観を持っている。まさに大戦(学校・水泳での競争社会)真っ最中のわたしにとってその絵は不要のものであった。

やはり絵画の力はすごい。画家自身に思いを馳せることでさらに深い見方ができるのだ。少年時代からかれこれ20年かけて鑑賞体験を突きつけられているといえる。

では,あのころから,いままで,母はどんな気持ちでこの作品と毎日向き合っていたのだろうか。こんどの帰省の時にでも聞いてみよう。ルノアールの作品の下で。

この記事が参加している募集

私のイチオシ

こつこつ更新します。 こつこつ更新しますので。