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連続投稿78日で閃く,ぼくに対する不思議。

noteに連続投稿して78日目になった。

特にキリもよくないこのnote記事でなぜこんなことを宣言するかというと,今まで書いてきたnoteに対して,なんでこんな言葉が出てくるんだろうという不思議が強烈に問いかけてきているからだ。

それがいま,78日目というこのタイミング。

なんで今までの記事を書いたのか,書くことができたのか,しかも特別なことばで。

我思うゆえに我あり,というところまで昇華できそうだが,もうちょっとゆっくり考えたい。トップ画にもしたがこんな写真が出てきた。

ぼくが幼稚園のときの写真だ。

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どうぶつをテーマに作品を描こうという課題で校庭にみんなの作品がならんでる。
冷静にこの写真をみてみると,しまうまのしまをなかなかよく表現している。そして悩ましげになにかを考えているようにみえる作者の顔である。

これをなぜぼくは描こうと思ったんだろう。


次の写真。かえるに向き合うわたし。この瞬間も鮮明に覚えている。祖父のいえだ。

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祖父の家には温室ハウスみたいなのがあって,いろんな植物を育てていた。そんなときにまぎれこんだカエル。

ぼくはちいさいころから虫や爬虫類がとても苦手だった。

それでも久しぶりにあった祖父にそんな弱い自分をみせたくなかったときにとったのがこの距離感だ。後ろ向きのカエルを30cmの距離を空けて興味がありそうにみる。安心である。

かえるこわい,という感覚はなぜうまれたんだろう。
そもそも「ちいさいころから苦手」のちいさいころからっていつだろう。


ああこの写真も鮮烈だ。サンフランシスコのディズニーランドでのパレード中。母が撮っていた。

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撮影日時をみていただくと2002年3月16日。

お気づきだろうか。

ニューヨークでの同時多発テロが2001年9月11日。

その後わずか6ヶ月後にアメリカにいた。私の父は,9.11の当日アメリカに単身赴任していた。テロ発生後しばらく電話は通じず家族全員が不安だった。その不安を補填するかのように日本にいる我々は渡米した。渡米を選択するとはなかなかの判断とおもう。

前置きが長くなったが,この女の子。当時は私(9歳)と同世代くらいだ。
パレードの一員ではなく一般人である。奥の沿道にならぶ方々は皆パレードがやってくる方向を向いている。

この女の子は私をみて,と言わんばかりにがらんとしたパレード道に飛び出したのだ。

違う髪の毛の色,顔のかたちをした彼女が,人前に立った,その情景は当時の私にはあまりにショッキングだった。異国のひとはあまりに遠い存在のように感じた。


最後の写真。あるとき家族旅行に行った時の写真。祖母が感心していた。チェックアウトの時浴衣を自分で畳んでいたという祖母の驚きの写真。

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この瞬間もぼくは鮮明に覚えている。丁寧に畳んでいた。
ホテルのひとが一生懸命に働く様子をみて,すこしでも楽になるように思っていた。それで祖母が温泉に入りに行っている間に着替えて畳んだ。
ホテルの方を思いやる気持ちはいつ醸成されたのか。

私に対する不思議。

根源がどこかはわからないけれど,その美意識はいまも生きている。それだったらこれからもフルに六感を開放しながら生きていきたい。
いつかの自分が,その時の自分に驚くように。

こつこつ更新します。 こつこつ更新しますので。