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アートのない世界で人は生きられるのか


在宅では新たに見えてくるものもあるし,見えなくなってくるものもある。
そんな生活のさなかで,こんな記事が目に止まりました。

アートのない世界で人は生きられるのか

タイトルだけ見てからの,私なりの答えは,「生きられない」です。
ここは私なりの解釈なんですが、アートはなにも絵画や彫刻といった芸術作品のみに限りません。たとえば、まちなかのゴミばこのデザインにもアートは宿っていると思うし、ある友人の人生観とかにもアートは宿っていると思います。
ここで私が解釈した「アートの世界」とは、「人々が対象を美しいと感じる心を持っている社会」です。
「アートのない世界」というのは、「生活のなかで直感的にいいな、とか美しいな、と思う感覚がない世界」、ここでは人は「生きられない」です。

そんな時にこの長谷川さんのコメントに共感。

長谷川:やっぱりおもしろいのは、アートは、すごく自由なんですね。特に、ビジュアルアートって、サウンドを使っても構わないし。そこらへんに生えてる草を取ってきてもいいし、家を建てちゃってもいいし、なんでもありなんですよ。
その自由さの中で、「めちゃくちゃやってるじゃん」と思わないで。その自由の中で、自分なりに他の人とコミュニケーションする。そこでコミュニケーションするためには、インパクトやきっかけ、つまり美しさや珍しさなどが必要。人の心を打つために、自分は形に対する1つの認識をどう変えていくのか。それを見た人がその人の中に何を構築するのか。


まさにアートはコミュニケーション。自分とはかけ離れた何か関係ないものと認識するのではなくて,そこに「なんでなんだろう」とか考える余地を持つ。

じゃあ,先に出てきた絵画や彫刻,はたまた現代アートはどう捉えていくべきなのか。そういったものがない世界で人はどう生きていくのか。

中野:「この人は今、何を考えているんだろう?」「この人たちは今どんな状況下にいるんだろう?」。その中で、クールで、かっこよくて、一番いい位置を占めるのはどういうところなんだろうということを一生懸命、総合的に考えて判断しようとする領域です。現代アートは、ただの「美しい」という価値よりも、そっち側を刺激するものだというトレンドにあるんだと解釈することができる。
そうすると、「今ある社会のあり方ってどうなんだろう?」という疑義を前提にした上での新しさだったり、みんなが当たり前のように思っていることを「冷静に見るとおかしいよね?」と切り込んで見せたりというものが、それを汲んでいるポイントということで評価される。コンセプトを重視する傾向にある現代アートの中でもいい位置を占めるための1つの重要な要素ですよね

現代アートを通して,社会との対話ができます。そこにあるのは「気付き」。気づくことでコミュニケーションすることができて,今目の前に映るあれこれと無限の対話を繰り広げることができる。

そんな公共財としての中立性を保ったアートに強く惹かれるのです。アートが私にとって必要ということを再認識して刻んでおくnoteでした。

この記事に関連する過去記事はこちら。時代に応じて具体的なアーティストがどのように社会と関係性をもっていたか,気になる方はぜひです。


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