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0.000002%の確率の感動。BEPPU Projectでの中山晃子さんの作品に思う


地球が大好きだ。

スケールの大きさがあまりにも手に追えず,生かされる者としてそこで活動する。46億年の歴史の中で100年という人生はあまりに短く,だからこそ100年をかけて地球のことを知りたいなと思う。

いま石油を採る仕事をしているのも,エネルギー安定供給に貢献したいとかじゃなくて,地球の深いところからでてくるどろっとしたまっくろな液体の美しさにやみつきになっているからか,なんて気もしてくる。

そんなことはこんな記事やこんな記事にも書いていた。

石油掘削という点で地球を相手にしていると,(宇宙関連の方も近い感覚なのか!?)数千年の歴史はNothingです。数百万年とかのスケールで話をしないといけない。
(かっこいい太陽光パネルが欲しい。)
ピンと張り詰めた静寂。自然むきだし。地球むきだし。足の裏で大地を踏み進む感覚。早朝5時の暗闇。全てが私の命に差し迫ってくる感覚を求めている。
(なぜ山に登るのかに対するFUSEの回答)

ふとそれがアートに結びつくTwitterが目にとまる。


一瞬でこころをもっていかれた。

山に登っているような興奮。地球の内部が我々の目の前にあらわれて,ふつふつと短い人間の生活を嘲笑しているような感覚。

でも中山さんの作品にはその地球と人間を仲介する役割を担っていて,スムーズに心地よく没頭した鑑賞体験へと結びつけてくれる。

BEPPU ProjectでのArtist in Residence (作家さんがある期間,その土地に滞在しながら短期で作品を制作する仕組み)を終えられたとのこちらのnoteが流れてきた。

KASHIMA Artist in Residence での新しい作品のタイトルは「Drawing」と仮に名付けているけれども、不失花(うせざるはな) という世阿弥の理念がぴったりと寄り添っている。この言葉とともに、自分のパフォーマンスとインスタレーションをはじめて繋げてくれる作品となった。
...
都市に戻り、荷ほどきをして、ひとつき過ごした一軒家との対比で自分の巣をまったく狭いなと感じるけれど、春の温さのなかに体を馴染ませて眠るうちに窮屈さは和らいでゆく。一つ身体の体積を変えずに細胞が入れ替わり立ち替わり代謝することにのびのびと内に広がる自由を感じて、まだ知らない世界をあたらしく受け入れる準備をしてゆく。

地球と対峙できるからこそこのような優しい言葉が流れるように綴られているのかとなんだか安心したような気分になる。

私のパートナーの地元は大分県。
BEPPU ProjectによるAnish Kapoorの個展にも訪れた。
別府には不思議なちからがある。
そういえばあの時,Kapoorは来日できずに会うことができなかったんだ。

地球の歴史の中の0.000002%の時間しか生きられない私たちの人生で,こんなにも感動的な作品に出会った。地球を介して表現された作品だからこういうふうに気づかせてくれたんだろうし,出会えたことがほんとうにうれしい。

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