辿り着く資質
最近noteを始めた後輩と一緒に何か同じテーマについて文章を書いてみることにしました。
今回のテーマは
「頭の良い人と悪い人、どっちが幸せか」
です。とはいえ、この表現は精確ではありません。適切でもありません。修辞技法として敢えてこのような表現を用いました。
頭の良し悪しというのは、学歴云々ではありません。端的に言えば深く考える人、浅く考える人をさします。つまり、頭のいい人はある意味ではめんどくさい人、机上の空論家で、頭の悪い人とは行動力のある人、或いは得てして考えないように過ごす人のことを指します。
私の場合は確実に頭の良い側、つまり面倒くさい部類の人間に入ります。
頭の良い人
頭の良い人の強みとしては綿密に計画を立てることができるので、高い打率を保つことができる、つまりは失敗することが少ない点にあるのではないでしょうか。とはいえ、頭の悪い人に比べて挑戦することを避ける傾向にあるので打席自体は少なくなる傾向にあります。したがって、トータルのヒット数でいえば頭の悪い人に劣ってしまう場合も多々あるのではないでしょうか。
次に挙げるのもその関係に内包されることにはなるのですが、頭の良い人は挑戦をするハードルが高い代わりに忍耐力が高く、瞬発的ではないという意味で慢性的に自己投資をすることができます。上手くいけば着実に自己保存を進めていくことができるのです。
頭の悪い人
頭の良い人について考察したうえで頭の悪い人を偏(ひとえ)に定義するのであれば、頭の悪い人は実際的な人間です。頭の悪い人は非常に高い行動力を有しており、その意味で実際的な経験を積むことができます。
一方で、その経験値を十分に活かすことができていない人も多くいるのではないかと予想します。その豊かな経験をベースに日々の自己投資の方向性を定めることができるのであれば人生を豊かにする公算も圧倒的に高まります。
⇔
結局、○○の方が幸せ、と画一的に評価を与えることができないからこそ哲学的な話題が生まれるわけですから、今回の場合においても一概に結論を設けることはできないのかもしれません。
しかし、二つの性質はトレードオフの関係であり、相互補完的な関係にあります。頭の良い人は忍耐力があり、着実に努力をすることができる。ただし、経験値に乏しいのでその方向性は正しいとは限らない。対する頭の悪い人は溢れんばかりの行動力に起因し、経験値を十分に蓄えてはいるものの、目先の快楽に囚われやすい。統率された意思のもとに二つの資質を使い分けることのできる人が幸せに近づくことができるのではないでしょうか。
或る寓話
地下深くに眠る金鉱を求める二人の男がいます。
一人はひたすらに毎日穴を掘り進め、次第に地下世界の全体図がつかめるようになってきました。しかし、その男の持つシャベルは手入れを怠っているためにサビており、なかなか掘り進めることはできません。また、最終的な目標である金鉱のおおよその座標を割り出せているのにもかかわらず、手が届きそうな場所に銅や銀が眠っていることが発覚したのなら、すぐに飛びついてしまいます。
もう一人は、日々のシャベルの手入れを怠らずに、最短で金塊にたどり着くために地下世界の情報収集を日々進めていました。しかし、その計画が具体的になるまで時間がかかり、満を持して掘り進めたところで、多くの人々が地下世界を開拓していたために、彼の作った地図は既に時代遅れの紙くずになっていました。
一人の男は銅や銀をそれなりに手に入れ、不自由のない生活を送ることはできましたが、金塊を得ることは終生叶いませんでした。
もう一人の男は、金塊のありかを突き止めることはかなわなかったものの、洗練されたシャベルによって、強大な採掘能力を持っていたので、金塊を探る過程の中で副次的に銅や銀を獲得することができました。とはいえこの男も金塊を得ることはなく鬼籍に入りました。
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