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自信、ついちゃった。

こんばんは。
みなさんご存知、かつてメンタルがお亡くなりになっていた私ですが、
みなさんご存知、今はたいへん元気になって少しずつ肉付きも良くなっております(それは止めたい)。
そんな私がここまで元気になるまでの間に、
「これは良い気づきだ」「これすごく重要なことなのでは」
という価値観や考え方がいくつかありまして。
しかし話す機会も言う機会も今のところなさそうなので、気まぐれで書いてみようかなと思います。

では、スタート。
第1話「自信、ついちゃった」

何を隠そうこの私、小さい頃からずっと自己肯定感が低かったんです。
それはもう、バットに変なかすり方をして回転しながら地を這うソフトボールの球のごとく。
いやそれ逆に難しいじゃん、飛ばすより難しいじゃん。
という、地面をゴリゴリ削りながらの低空飛行をしていました。

「誰も私となんか話たくないはず」
「私は愛されてないんだ」
「愛されるためには”良い人”にならなきゃ」
「だって自分は他の人より生きる価値が低いんだから」

今思うと、
「何の根拠でそんなぶっ飛び思考?!」と思いますが、当時は当たり前にこう思っていたんですね、不思議。
(まあ原因はわかっているのですが、あえてそれには触れないでおくとして)
そんな、かつての私。
自分が嫌いなので、当然自分に自信もない。

そんなことないよ、大切に思われているよと言い聞かせてみても上手くいかない。
「そんなわけないじゃん、調子に乗るなよ」の無限ループです。
でもある時、ふと思った。
「もし本当に、みんな私のことなんか好きじゃないんだとしたら」
「もし本当に、みんな私のことが嫌いなのに、私まで私のことが嫌いだったのならば」

「私、あまりに気の毒すぎる」 

突然の第3者視点が発動。
すっごい他人事なんですね。
なんか他者視点で見た時の自分があまりに哀れでならなかったために、自分に対して無性に庇護欲がかきたてられたという謎すぎる歴史的瞬間。
「世界中が私を嫌いで何かにつけて責め立てたとしても、じゃあ、私だけは私の味方でいてあげなきゃ!」
それから、とにかく自分を慰めてみる日々が始まりました。
「たしかに空気読めないとこもあるけど、そんなとこも私は好きだよ」
「今日はみんなに迷惑かけちゃったね、でも私だけは許してあげましょう」
「私はいわゆる仕事できるタイプではないよね、でもまあ良いの良いの、私はそういう子なんです」
「あの人またなんか言ってたけど気にしませーん、私は生きてるだけで120点なんですー!」
今思うと、これが究極の自己肯定なのではと。

そうやって考え始めてから、少しずつ心が軽くなりました。
大切なのは、他人ではなく自分自身が自分を受け入れてあげること。
だって、そうじゃなきゃ可哀想じゃないですか、私。
一生懸命な人ほど自分を責めてしまいがち、その気持ちも非常によくわかる。
でも、もうすでに頑張っている自分自身に「あなたはよくやっているよ」を、
一番はじめに言ってあげるのはいつでも自分でいたいんです。

私は私のままでいい。
これこそ”自信”なのではないでしょうか。
自分が他人より優れているとか、誰それに認められたいとか、そんなのどうでも良いんです。
出来ない事がいくつあっても、誰かに馬鹿にされてても、自分はそんな自分をいつも受け入れている。
これが自信だと言いたいし、
これを自信と言ったとしたら、もっと簡単に人は幸せになれると思うんです。
他人の目は気になるけれどもいったん路肩にでも置いておいて。
自分の好きじゃないところに対して一つずつ、
「それでいいんだよ」を言ってあげるところから自身の種は育っていくんじゃないかなあ。

と、そんなお話でした。
またするかもしれないし、しないかもしれません。
読んでくださった皆さま、ありがとうございます。


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