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ツーリング中、救急車に乗った話

乗り物に乗るのは楽しい。

バイクはもちろん、電車や飛行機から遊園地のジェットコースターにいたるまで、座席がある乗り物には乗りたくなり、初めて乗る時は特にテンションが上がる。

でも、乗りたくても通常は関係者以外お断りな乗り物もある。
軍事車両や消防車両、警察車両などは関係者や容疑者にならないと乗る機会は少なそうだ。

私はそんな乗り物のうちパトカーと救急車には乗った経験がある。
今回は救急車に乗った時の話をしようと思う。
関係者としてではなく、患者としてだけど。




富良野のキャンプ場は、暖かい午後の陽射しに包まれていた。

私はバイクから降りると、長い時間同じ体勢で固まった身体をストレッチでほぐしながら積んでいる荷物を降ろした。

バイクで北海道を一周する計画を立てた私は、休暇を使って旅に出発した。

東京から東北道を走破し、青森港からフェリーに乗って函館へ。
函館から札幌に行き、そこから南下して苫小牧のキャンプ場で上陸最初の夜を迎える。

7月中旬だというのにその年の北海道は気温が上がらず、翌日は道央の最低気温が10℃前後まで下がっていた。
私は防寒着代わりの雨具を着込むと、GSX750Sカタナに跨がり日高地方へ舵を切った。


北海道の物産などには目もくれずバイクで走り続ける。
社会人になると学生の頃ほど自由に長い休みが取れないから、この旅のスケジュールはかなり厳しい。
それでも会いたかった競走馬と面会し、襟裳岬や釧路湿原、美瑛を観て中標津の直線道路を走ったり、それなりに北海道を満喫していた。

そして6日目、富良野ラベンダー畑を見物し冒頭のキャンプ場へ到着する。

キャンプ場は山を切り崩した斜面にあり、露天掘りのように段差がある広場になっていた。
広場を下から見上げると既に大半が埋まっていたが、一番上の段に空いてる場所を見つけ荷物を担いでそこまで上がる。
登るとテント2基分ほどのスペースがあった。

テント設営を始めると隣のスペースにライダーらしき男性が来たので挨拶を交わす。
夏の北海道のライダーたちは、同族意識というやつか皆すぐに仲良くなる。

テント設置しながら話をしていると、30歳前後の彼、エムさんは東京からフェリーで苫小牧に上陸してきたそうで、感じの良い人だった。

テントが完成し、日も暮れかけてきたので私が銭湯へ行くと告げると、彼はウィスキーのボトルをザックから出してきて、戻ったら一杯やりましょう、と笑顔で言った。


キャンプ場からバイクで5分ほどの近所に銭湯はある。
先客が数人いて、湯に浸かったり身体を洗ったりしていたが、洗い場も浴槽も広々として清潔感があった。

私も身体を洗い、広い湯舟に身を沈める。
銭湯とはいえ天然温泉のお湯は長時間のライディングでガチガチに固まった体を揉みほぐすように染み渡った。
私はしばしの間、温泉を堪能した。

もっとのんびりしたいところだったが、エムさんとの約束もあり、追加のビールやツマミを買って帰りたい。
そろそろ洗い場に戻るべく、私は湯舟から立ち上がり浴槽を跨ごうとした。


その瞬間。
ぷつり、と私の記憶は途絶えた。






意識が戻ったとき、私は大声で誰かに呼びかけられていた。

腰にバスタオルを巻いた体格のいい男性が2人、私に『大丈夫ですか!』と話しかけていたのだった。

私にも同様にバスタオルが巻かれ、脱衣所に寝かされていた。
周りを他に数人が心配そうに取り囲んでいる。

いったい何が起きたのか全然理解出来ない。

「あの、どうしてここに・・・」
私が聞くと、体格のいい男性の1人が
「あなたは浴室で突然倒れたのです。救急車を呼びましたからこのまま安静にして下さい」
と、きっぱりとした口調で応じてくれた。

私は何か大袈裟なことになってしまったと思い、『いや大丈夫』と上半身を起こそうとしたが、頭がふらつきうまく起き上がれなかった。
「どこか痛いところがありますか」
もう1人の体格のいい男性が質問してきた。
特に痛むところはない。

すると、周りにいた老人が
「あんたが倒れた時、この方達が咄嗟に受け止めてくれたから頭を打たずに済んだんだよ」
と、2人を指して言った。

私はぞっとした。
意識を失ったまま倒れ、固い洗い場のタイルに頭を打ちつけられたら恐らく無事では済まなかったに違いない。
この2人は大袈裟でなく命の恩人なのだった。

暫くすると救急車のサイレンが聴こえてきて、ほどなく救急隊員らしき人達が脱衣所へ担架を持って入って来た。

隊員たちは状況を説明しようとする2人の男性を見ると驚いた顔をして
「お疲れ様です!どうしたんですか」
と敬礼する。

すると男性の1人が、
「非番だけどさ。偶然、居合わせちゃって」
と、にこやかに救急隊員に言った。

なんと運のいいことだろう。
たまたま休日で銭湯を訪れていた消防隊員さんに私は助けてもらったのだ。
頭がほうっとしていて気がつかなかったが、これは奇跡のような幸運だ。

私は担架に乗せられ、救急車で富良野の総合病院へ搬送された。

救急車のサイレン音は車内では意外と気にはならなかった。
だが、残念ながら私には乗り心地を楽しむ余裕もなかった。

ベッドで点滴を打ちながら血液検査をする。
医師は
「カリウムが不足していますね」
と私に言った。
それが不足するとどうなるのかは解らなかったが、とにかくツーリング中はスポーツドリンク類をたくさん飲んで下さい、と医師は続けた。
要するにタイトなスケジュールで疲れが溜まっていたのだ。

また、点滴したから大丈夫だと思うが今夜は入院して行きなさい、とも言われたが、キャンプ場にテントは張りっ放しだし、バイクも銭湯に置いたままなのですぐに帰りたい、とお願いして無理やり退院させてもらう。

私の荷物は銭湯の従業員の方がわざわざ病院まで持ってきてくれたらしい。
そのおかげで病院着を着替えることが出来た。
しかも、病院の事務の男性がバイクを置いてある銭湯まで車で送ってくれるという。
この富良野の人達はどれだけ親切なんだろう。

銭湯へ到着した時にはもうすっかり夜になっていた。
私は病院の男性に礼を言い、銭湯に戻ってお詫びと感謝を伝えた。
それからバイクに乗りキャンプ場にやっと帰り着いた時、夕方にここを出てから4時間以上が経過していた。

エムさんは待ちくたびれて先に飲みながら、
「もう帰ってこないかと思いましたよ」
と笑った。
点滴のおかげか私も体調が戻っていたので一緒に飲みながら、事の顛末を話して聞かせる。
エムさんも驚きつつ、富良野の人達の優しさに感激していた。


ふと空を見上げると、その夜は月が出ておらず、都会では観られないような満天の星空が広がっていた。


私は寝転がって夜空を観ながら、今日出会った人たちに感謝した。

そして、残り数日となった明日からの旅はスポーツドリンクを絶対に忘れないようにしようと心に決めたのだった。



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