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優しい時間の過ごしかた

#いい時間とお酒


気がつけば世間は忘年会シーズン真っ只中で、クリスマスと相まって週末の夜になると繁華街は仕事帰りの会社員やアベック(死語)たちで溢れかえる。
ほんの1年ほど前までは流行り病コロナで自粛ムードが漂っていたから、ようやく本来あるべき年末の姿になって喜んでいる人は多いだろう。

かく言う私もそれなりに忘年会関連のお誘いが来てはいるのだけれど、ここしばらく予定外の予定に振り回されていたこともあって、特別なお誘い以外は遠慮させて頂くことにしている。

そうすると、ふだん自宅ではあまり飲まないものだから(今年の夏はけっこう飲んでいたけど)この2週間お酒を一滴も口にしていないという事に気付いて我ながらちょっと驚いた。
禁酒してるわけでもないのに。

もともと依存してるのはアルコールよりむしろニコチンなので特に問題ないのだが、明らかに「飲みニケーション」(これも死語)が不足している状態であり、早急に何らかの手を打たねばならぬと思案している今日この頃だ。



最近楽しく飲んだ記憶となるともう2ヶ月近く前の話になる。

大好きな友人と銀座で食事をし、2軒目に行こうかと飛込みで入ったのは昔ながらの雰囲気を醸し出すバーだった。
かつてバーテン(バイト)をしてはいたが、銀座のこういう店は敷居が高いというか気後れするので普段は滅多に入らない。
仙台の国分町こくぶんちょうにある薄汚れたバー(元バイト先)とは訳が違う。

重厚な扉を開けて中に入ると目の前に木製の長いカウンターがあり、その奥には数人掛けのボックス席が見えて意外に店内は広かった。
カウンター内では3人のバーテンがにこやかな笑顔で私たちを迎える。
客はまだ数人程度のようだった。

カウンターに並んで座ると目の前にはおつまみ程度しか書いていないフードメニューが置いてあるだけでドリンクメニューは見当たらない。
こういうオーセンティックなバーはメニューなどという無粋な物は無いのが当たり前なのか。
高級なお寿司屋さんの『時価』みたいに。

おそらく大抵の酒なら頼めば出てくるのだろうが、お値段もそれなり銀座価格になるに違いない。
知らんけど。

バーテンの背後に並ぶ数十種類の酒瓶を眺めながら、私は昔から飲み慣れたウィスキー、友人はビールを注文した。
マスターらしき人が無駄のない動きでオーダーした酒を作り始める。
店内の落ち着いた空間を時間がゆっくり流れているみたいに感じた。


私たちは小さく乾杯して、食事の時とは違ったトーンで会話を楽しんだ。
こうしてたまにしか会わない友人とグラスを傾けながら語り合える時間が、今の私にはとても心地よく思える。
きっと私にとっての”優しい時間”とは、こんなひとときのことを言うのだ。
友人がどのように思っていたかは判らないが。


2杯目のウィスキーが空になる頃、周りを見渡すと店内は満席に近い状態になっていた。
外国人の客が数組いて、彼等もそれぞれに素敵な時間を過ごしているように窺われる。
此処にはそんな時間を求める人たちが集まっているのかもしれない。

店のピークが来る前に退散することにした。
お会計が『時価』だったのかどうかについては覚えていない。

私たちはバーを出ると挨拶を交わし、お互いの家路に向かって歩きだした。

歩きながら私は機会があればもう一度あのバーを訪れようと考えていた。
年内にまたこのように誰かと過ごす時間が来ることを願いながら。



しばらくぶりに書いたこの記事で2023年最後のnote投稿になりそうです。
今年もお付き合い頂いたすべてのクリエイターさんへ御礼申し上げます。

皆さま、良いお年をお迎え下さい。


BAR FOUR SEASONS


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