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ずっとそばにいてあげる


子供のころ、夏休みなどに父の実家へ帰省すると叔母の家族と一緒になることが多かった。
叔母夫婦には私の1つ年下で由意という娘、要するに私の従妹が1人いた。
父の親戚で齢が近いのは彼女だけだったから、私たちはよく2人で遊んだ。
 
由意は身体が弱いと聞いていたけれど、夏休みには一緒に実家近くの貯水池で釣りをしたり、田んぼの畦道で蛍を探すなど意外と元気な様子だったので私は特に気にすることもなかった。

 
ある暑い夏の日、いつものように2人で日陰を探しながら散策していると、畑の先にある山の中腹に鳥居が立っているのが遠目に見えた。
山の木々に隠れてよく判らないが、どうやらそこには神社があるようだ。
「行ってみようか」
「うん」
私たちは真夏の午後の陽射しから逃れるように山へ向かって歩きだした。


 
雑草が生い茂る獣道のような細い登り坂を由意の手を引きながら登っていくと、やがて私たちは木に囲まれて拓けた場所に辿り着いた。
どうやら本道から外れた脇道を来たようで、ここが神社の境内らしい。
右手のほうには畑から見えた鳥居があり、左手には狛犬らしき石像と古びた小さな木造の本殿があった。
他にめぼしいものは何もなく、参拝者どころか人の姿もない。


くたびれていた私たちは本殿まで歩いて行くと軋む階段に並んで座り、持参していた水筒の水をキャップに注いで飲んだ。
 
「こんなところがあったんだね」
由意が周りを見渡しながら言った。
「うん、知らなかった」
「この中には何があるのかな」
振り返ってみると本殿の扉は閉まっていて内部は判らないが、特に鍵などは付いていないように見える。
ふだんなら中を覗きたくなるけれど、この日はそんな気にはならなかった。

 
ふいに遠くから地響きのような音が聞こえた。
「カミナリ?」
「かもしれない」
そう言っている間に、もうポツポツと雨粒が落ちてきている。
急いでここから退散しても、2人が山を下りきる頃にはずぶ濡れになっているだろう。
 
雷鳴は益々大きくなって、あれだけ晴れていた空をいつの間にか暗雲が覆っていた。
突然、空が一瞬明るく光り、数秒たって落雷の音が鳴り響く。

「ケイちゃん、怖い」
由真が私の手を強く握る。
大粒の雨が降り始め、本殿の庇では除けられないほど強くなってきていた。

私は立って階段を上り本殿の扉を押してみた。
木製の扉はあっけないほどすんなり開いた。
「由意ちゃん、この中に入ろう」


薄暗い本殿の中は2畳ほどの広さがあったが、しめ縄のような物と何束かの藁が無造作に置かれている他には何も無かった。
雨音は更に激しく聞こえてきたけれど、雨漏りはしていないようだ。
私たちは扉から離れた奥の床に並んで座った。

由意が身体を震わせた。
「ちょっと寒い」
「けっこう濡れたかも。大丈夫?」
「少しだけ。くっついてもいい?」
私を見つめる由意の瞳は大きく、その顔色はいつも以上に青白く見える。

いいよ、と言う前に由意の右肩と腕は私の左肩と腕に密着していた。
小学生の従妹とはいえ、女子とそこまで接近したことがない私の心臓は鼓動の音が聞こえるくらい高鳴った。

私は動揺を隠すための言葉を探した。
「雷なんてあと30分もしたら過ぎちゃうよ」
「ほんと?」
「ほんとさ。雷のしくみとか、本で読んだことあるから」
「よかった、帰れなくなるって思っちゃった」

そのまましばらく取りとめのない話をしているうちに、やがて雨音が静かになってきているのに気がついた。
「ほら、言ったとおりだろ。もう少ししたら帰れるよ」
「うん」
「怖かった?」
「ケイちゃんと一緒だから怖くなかった。ケイちゃんは?」
「オレは1人でもへっちゃらさ」
由意は私の左腕を掴んだままフフッと笑った。
 
「私がずっとケイちゃんのそばにいてあげる」

彼女が囁いたその言葉は、私の耳に長いあいだ残り続けた。







 
久し振りに会った叔母は、以前より少しやつれているように見えた。
「ケイくん、元気だった?」 
「はい、おかげさまで」
「毎回来てくれなくていいって言ってるのに」
「僕が来たいだけです。気にしないで下さい」

叔母夫婦の家を訪れるのは4年ぶりだ。
叔母に促され、玄関から一番手前の和室に足を踏み入れた。
そこはもうずっと仏間として使われている。



由意は中学に入学する前に亡くなった。
今年で17回忌になる。
以前から長くは生きられないだろうと医者に言われ、両親も覚悟はしていたらしい。
それでも叔母達にとって一人娘の死は相当な哀惜だったであろう事は想像に難くない。

もちろん私も悲しかった。
でも、その哀しさはすぐ別のものに変わった。

由意が亡くなったその日から、私の左肩と左腕が熱を持ち始めた。
まるで誰かが私の左腕を掴み、ぴったりと密着しているような温かさ。
それは、あの夏の日に神社の本殿で感じた由意の温もりと一緒だった



16年経った現在もその状態は続いている。
最初の頃は憑り付かれたと思い、お祓いなど試してみたが効果はなかった。
今はもうこの感覚に慣れてしまって怖ろしさは感じない。

雨の日も雪の日も、由意はこの16年間ずっと私の左側に寄り添っているのだろう。
まるで私を守っているかのように。


 
私は仏壇の前に座り、遺影を眺めて線香をあげると目を閉じ手を合わせた。
頭の中で彼女に問いかける。
”由意、君はいつ向こう天国へ行くんだい?”

懐かしい彼女の声が、私の耳に囁くように響いてきた。

”ずっと貴方のそばにいるって言ったじゃない”


目を開けると、遺影の中の少女が私に笑いかけているように見えた。




#ショートストーリー



 

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