NO EGO , 脳 LIFE!
あの日、私はエゴの申し子だった。
飼い慣らしていたと思われたエゴモンスターが突如私の心をかき乱した。
エゴモンスターが暴れ出した原因は、私にもわかっている。
性と死に関する自分の体験についてエッセイにしてしまったのだ。
エッセイを書いたのは、実際にnoteに公開する数日前。燃え殻さんの「すべて忘れてしまうから」を読んだ衝動に動かされるように、私はエッセイを書いた。
燃え殻さんのエッセイはとにかくエモかった。平成の混沌とした感じ。その中をなんとか不恰好でも泳いで生きていこうとする登場人物たちに、私は胸を打たれた。世の中をすべてハイブランド、プチプラ、オーガニック、燃えるゴミと燃えないゴミ、プラごみ、いるもの、いらないもの、綺麗なもの、汚いもの、男、女、LGBT、大人、子ども、老人。そんな風にすべてにラベルを貼り、見える部分はすべて美しくあろうとする正義感あふれる現代において、人間は上澄みだけでは生きていけないんだよ、とでも言わんばかりの登場人物たちは、私の感情を刺激した。
エモいものを書きたい。
その気持ちだけで書いた。これまでの自分を振り返ってみても、大したエモはなかった。私は絞り出すように、そして手っ取り早く、直近の性と死に関するエピソードを引っ張り出してきて公開した。当然戸惑いはあった。公開していいものだろうか。公開ボタンが後悔ボタンになるんじゃなかろうか。しかし、読んでほしい、こんなものも書けるのよ、私だって綺麗ごとばかりじゃないことは知っているわ、と言わんばかりに私のエゴが公開ボタンを押した。
そして、自分のエゴに被爆したのだ。
今日はチートデイだから、ホールケーキ食べちゃうの!と自分の欲求を満たし続けた結果、胸焼けしまくったような土曜の朝を過ごした。
くそ!私はエゴの申し子だ!エゴモンスターめ!と思った私は、とりあえずエゴについての知見を深めるべく、kindle unlimitedを開いた。
1 ジル・ボルト・テイラー「WHOLE BRAIN」に出会う
エゴ(自我)で検索をしたんだろうと思う。
この本がヒットした。その本をダウンロードしようとしたところ、「すでにダウンロードしたことありますけど? またすんの?」的なポップアップが出てきた。全く記憶にないので、いつかの私がダウンロードだけして読まなかったんだろうと思う。
知らんがな。オレは今読みたいんだ。さっさとダウンロードしてくれよ、と思い、ボタンをクリックした。
本書についての概要はNHKのページがわかりやすそうなので貼っておく。
本書は脳科学者であるジル・ボルト・テイラーが脳出血に見舞われ、左脳が機能しなくなるという説明からはじまる。8年間のリハビリ後、脳卒中から得た経験、その後の研究の結果から、脳の働きについてわかりやすく解説してくれている。そしてどのようにして脳を動かせば、自分の理想の生き方を実践できるかということをまとめた本のようである。
脳卒中からの回復についての話は、TEDトークで話されていて、こちらが話題になったようだ。たぶんYouTubeにあると思う。
以前の私はこれを観て、この本をダウンロードしたんじゃないかなという気がしているが、全く覚えていない。
これだから、私の脳は信用できないのだが、まあ、それはさておき。
本書では脳の働き方を4つのキャラクターとして紹介している。
以下は、私が本書から受けた4つのキャラクターの印象なので、本当のところどう書いてあるかについて、興味がある人はご自身の目で確認してほしい。
このキャラクター分類は脳の解剖学的な根拠があるらしい。
脳にも科学にも全く明るくない私は、正直なところ、この記述が真実であるかどうかの精査をする知識はない。しかし、専門家が書いているし、面白いし売れてる本っぽいので、とりあえずそれが正しいとして進めていく。
筆者のジル・ボルト・テイラーは左脳が機能しなくなり、左脳のキャラクターであるA子とB美を失った。左脳は自我を象徴する部分であり、左脳が機能しなくなるということは、当然右脳の機能だけに頼ることになる。左脳が機能しなくなることで、自分と他人の区別がなくなり、かなりの解放感と宇宙との一体感があったようで、幸福感に包まれていたとか。しかし、左脳が機能しない状態では社会性が全くないし、自分自身というものを認識できない。言語や過去の記憶などについても一切の記憶を無くしてしまったと書かれてあった、気がする。
本書を読み進めていくと、それぞれのキャラクターに意味があり、どれかのキャラクターに偏りを持たない方がいいと書かれている。バランスよく意識的にそれぞれのキャラクターに活躍してもらうことで、より自分の理想とする人生を謳歌することができるとも書かれていた。
筆者は最終的にD老師をメインと置くことをお勧めしているように見えた。D老師をメインに置くことにより得られるものの記述を読んでいると、私は仏教における解脱や悟りに似たものを感じた。
若干スピリチュアルな匂いを感じないでもないが、純粋に本人が経験した右脳での多幸感を追求するとそうなるのかもしれないな、と思うと同時に、ビジネス臭がしなかったので、特に違和感なく読み進めることができた。
4つのキャラクターがどのようなタイミングで主役として外に現れるか、そしてその際に他のキャラクターがどのように表にでたキャラクターと関わっていくのが望ましいかについても解説されている。突発的に出てきたキャラクターを主役にするのではなく、その状況に合わせてベストなキャラクターを外に出しながら、うまく自分を乗りこなしていこう、ということについて啓発している印象を受けた。
また、対人関係においては、当然、対峙する相手にも自分と同じように4つのキャラクターある。各キャラクターとの相性を踏まえ、どのキャラクターを主役に置いて対応するかによって、より円滑な人間関係が築けるということも書かれていた。
基本的にどのキャラクターにも意味があり、エゴがなくなるということは社会性を失うということである。社会で生きる動物である人間としては、エゴを失うことにより生きにくくなることも出てくる印象を受けた。一番ネガティブなでやっかいなB美に至っても、自分を守ろうとして出てくるキャラクターなので、彼女がいなければ無鉄砲でやりたい放題になる可能性もあると書かれていた、気がする。
やっぱりうろ覚えだな。1回読んだくらいじゃ覚えられん。まあ、そんなもんだな、私の脳は。ニューロン不足。知らんけど。そもそも、ニューロンってなに?あったかそうね。
本書では90秒間の呼吸をすると各キャラクターを一旦落ち着かせることができると教えてくれる。突発的な感情で、たとえばB美が出てきてしまってトラブルになる可能性がある時は、90秒間の呼吸ののち、4つのキャラクターで脳内会議を行い、どのキャラクターを表に出すかを決定する訓練を行うことが効果的と書かれてあった。
正直なところ、難しそうな話だが、訓練をすれば無意識のうちにできるようになるとのこと。脳内会議については、ディズニー映画のインサイド・ヘッドをイメージしてもらえばいいのだろうと思う。観てないけど。
そんなこんなで、俯瞰的、科学的に自己理解が進む本だった。自己啓発本ではあるけれども、単純に経験からくる心情に訴えるだけのものではないので、個人的には興味深く読み進められたように思う。
というか、めちゃくちゃ好みで面白くて、一気読みした。いちいち文体に合わせてクールぶって書いているが、そんなことをしていると私の中のC太が楽しくないぞ!と邪魔をする。
2 エゴを受け入れ、自分の価値観をリセットする
私はエゴは排除すべきものだと思っていた。
だって、邪魔くさい。
いちいち主張してきて、うまくいかなかったら勝手に落ち込む。
全然前向きじゃないし、エゴに注視していたら何も進まない。
いらん!いらん!そんなもの!
と思っていた。エゴを悪だと捉えていたのだろう。
しかし、この本ではそれも自分と受け入れて、どうコントロールするかが大事と語っているような気がした。
誰しも人は、いろんな面を持ち合わせている。この本を読む前、私の中で人間は、多面的であろうとも、一つのアイデンティティを持った生き物という印象が強かった。性格や趣味嗜好は、ひとまとまりの個性なのだと。
そんな考え方を持つ私にとって、本書は脳の機能としてだが、自分を4つに分けるという新しい価値観を提供してくれた。それに脳のキャラクターとしてエゴい部分が必ず存在しているのであれば、エゴがあって当然、と非常にスッキリした気分になった。
noteを書いていて気づいたのだが、私はその日によって、文体も違えば書く内容もかなり違っているような気がしている。詩を書いたり小説を書いたりエッセイを書いたり。まあ、思いつきで好き勝手書いているだけなのだが、あまりのバラバラさに自分自身、統一性がないなあ、と思っていた。自分の温度差に風邪を引き、自分の高低差に耳鳴りがする日々を送っているとかいないとか。
しかし、脳が4つのキャラクターを有していて、そのシーンごとに主要なキャラクターが入れ替わるということであれば、文体や書く内容が異なるのも納得できる。
今回、エゴモンスターであるB美と、好奇心旺盛で無鉄砲なC太こと、リュシータ・トエル・ウル・ラピュタが突如顕になりnoteを書いたわけだが、それも私の中の一つのキャラクターであると考えたら、意固地になってエゴを否定する必要もなく、そっくりそのまま容認できるような気がした。
もちろん、エゴモンスターになりたいわけではないので、基本的にB美には大人しくしておいてもらいたい。しかし、エモさが人の感情を揺さぶることだと考えると、エモいものを読んだり観たりして感情が揺さぶられ、感情をキャッチするキャラクターが動いてしまうのも、当然のような気がしている。エゴを持つからこそ、エモが生まれるのだ。
しかし、エゴに乗っ取られることなく、エゴを乗りこなさなければ、健全に生きていくのは難しいような気もする。それについては脳の仕組みを知ることで、自分を俯瞰的に見て、自分の状態を理解できれば、無駄な葛藤を避けることができるような気がするし、対処方法も案外簡単に見つかるような気がした。
自己理解については、時代背景も理解しておくことが望ましいと感じている。本書の第12章では100年間のテクノロジーの変遷とそれに伴う脳の変化についても触れてあり、かなり興味深い。
世代ごとに右脳主導か、左脳主導か、それとも全域を使用しているのか。時代背景によって当然異なってくるようだ。テクノロジーが進むことによる弊害なども危惧されていてる。世代間ギャップについての理解や自分の思考回路についての理解も深まるような気がした。
子育てや仕事をしていると、どうしても世代間ギャップを感じてしまう。それはどの世代においても当然のことなのだろうと思う。自分の時代と全く背景の異なる時代を生きる子どもたちや後輩たちに、自分の経験がどのくらい役に立つものだろうか、と悩ましくもある。
しかし、脳の構造を通して自己理解が進み、自分をコントロールすることができるという魔法のような手法をとることができれば、時代を選ばずに効果的で健全な人生を送ることが可能になるかもしれない。
今、私の中のにある価値観を一度リセットして、新しい価値観のもとに行動してみたいと、本書を読んだ好奇心旺盛なC太ことリュシータ・トエル・ウル・ラピュタが私に囁いた。
3 noteの活用方法
私は特にnoteにビジネス要素を持たせていない。日記や自分の思考を整理するため、そして思いついたことをアウトプットする場所としてnoteを利用させていただいている。
2023年中は自分を掘り下げるためにnoteを活用していた。今年に入ってからは、付きものが落ちたように自分の内面には興味がなくなった。そのため、美味しかったものや思いついた楽しいことを自由気ままに書いている。
さらには今回の記事のような、日常生活ではなかなか人に話すことのない内容をアウトプットできたりする喜びもあったり、共感や共有によるコミュニケーションがとれるのもおもしろい。誰かの記事で新しい価値観を知ったり、面白い知識を手に入れたり、人の日常を覗き見たり、単純に趣味として満喫している。
今回、エゴまみれのnoteを書いたことで、自分のエゴモンスターについて考えるきっかけができたことは非常にいい機会だったように思う。
社会生活を送る上で、私が脳のキャラクターとして主要に活躍してほしいのは、A子とD老師だ。どうしても感情手動で動いてしまうと、理性的でないと感じてしまうし、周りへの影響も計り知れないと考えてしまう。
可能な限り冷静で、最短距離で解決策を見出して、人生を謳歌していきたいという欲求が私にはある。
しかし、それだけでは面白みには欠けるし、エモくもないし、楽しくもない。感情を動かさずに冷静に過ごすという生活では、私の中のB美やC太は満足しないだろう。noteの世界やプライベートな時間は、無邪気に子どものように泣いたり笑ったり、体を動かしたりして、自分の感情をしっかりと動かしたい。
その上で、様々な経験をし、より一層豊かな人生を送れたらいいな、なんてことを思ったりしたのだった。
ということで、NO EGOな人生ではなく、NO EGO,脳 LIFE!で豊かな人生を歩んでいきたい。
ということで、NO EGO, 脳 LIFE !に代わる、新たなキャッチコピーを発表したいと思います。
それは……!!!
NO BEER ,NO LIFE !!
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