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父の日前夜
「お父さん、ムカつく」
パリパリに乾いた洗濯物を高校生の長男の部屋に届けにいくと、これまた乾いた声で息子は言い放った。
乾燥に耐えながら、
「でしょうね」と私は言う。
彼の父かつ私の夫は、沸点が低くすぐにキレる。
さらには言葉足らずで、自分が正しいと思っている。
そして、キレるのは自分に正当な理由があるからで、至極真っ当な行為だと思ってる(気がする)。
誰からみても、その沸点の低さは我が夫の短所である。
もちろん長所もあるが、とりあえずここで挙げるのはやめておこう。
思いつかない、とかではない。
私は夫の、その短所のおかげで、我慢強くなった。
夫の短所に呆れもするが、今では感謝する時もあるくらいだ。
例えば仕事でクレーム対応をする時、夫のクレームよりかわいいものだと思える。
色々な考え方の人がいると自覚することができたので、視野を広げてみる癖がついた。
相手を説得すると言うのは、途方もない無駄な作業だと知ることができた。
さらには、自分の考え方に穴がないのか、私や相手がどうしてそういう思考回路になったのか、本当に求めているのは発言の中にあるのかないのか、俯瞰で見るようになった。
そういう学びがあったとはいえ、いまだに感情的になることは当然多々ある。
私も元は夫と同じ傾向のキレやすいタイプの人間だ。
ただ、昔に比べるとキレることは減ったのではないかと思う。
まだまだ失敗もたくさんあるが、相手に反省を求めることが減り、自分に向き合うことができるので、伸びしろは十分にあると考えている。
あと60年くらい生きるなら、60年後には仙人レベルに到達しているのではないかとウキウキしている。
ただ、息子にそれを説明するのか?
私は好んで夫を選んだが、息子がそんな我慢をする必要があるのだろうか。
我慢すると成長できるよと、息子に説明をする必要はない気がする。
息子が夫に腹を立てたのは木曜日のことだ。
「もう、父の日にプレゼントやらんでいいよね」
彼は怒っている。
「好きにしたらいいよ」
私は、そう返した。そして私は続ける。
「父親というのは、高校生くらいの子どもにとっては、煩わしい存在なんだよ。お母さんのことも鬱陶しいだろうけど、なんか、お母さんとは違うんだよね」と。
かくいう私も高校生の頃、父が鬱陶しかった。
断捨離で処分した日記にも、父に対する愚痴が書いてあった。
そこに母に対する愚痴はなかった。
父と母、それぞれと喧嘩をすることはあったはずだが、日記には父のことしか書いてなかった。
そんなもんなんだろう。多くの人が通る道なのではないか。
ということを、息子に伝えた。
私はどちらかというとファザコンで、結婚前は映画を一緒に見にいったりしたし、高校生までは父に憧れて同じ職業に就きたいと思っていたくらいだ。
息子も私が父と仲が良いと思っているはずだ。
「だから、心配しなくても大丈夫だよ。そのうちにちゃんと仲良くできるって。君なら大丈夫だ」と伝え、齋藤孝さんの上機嫌の作法を渡した。
さらに私は最初のページを開く。
不機嫌さは「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」
というフレーズを伝え、部屋を去った。
あたかも、すぐに不機嫌になりキレる夫に何らかの能力が欠如している、という意味にも取られかねない発言だけを残して部屋を去ったことを少しだけ反省したが、まあ、もうどうでもいいやと私は居間に戻った。
その後、長男は部屋から出てきた。
そして家の外で最近の日課である縄跳びを始めた。
しばらく跳んだ後、玄関を開けて戻ってきたかと思ったら、
「おかあさん!!ヤモリがいた!!捕まえてくるね!!」
と、お前まだ小学生かよと言いたくなるような発言をして、可愛い顔でヤモリを見せてくれた。
とりあえず、自分の機嫌を取ることができたようで、母は子の成長を喜んだ。
明日は、父の日だ。
今日の昼、息子がこっそり耳打ちで「父の日のプレゼント、明日買えばいいかな」と聞いてきた。
「父の日は明日だよ。お父さん喜ぶね」と伝えた。
いい子に育ったなあ、と嬉しくなる父の日前夜。
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