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13歳のわたしと抱き合って泣く。

夢を具体的に考え始めるのは何歳の頃だろう。
進路を決めようとしたのは何歳の頃だろう。
変わりゆく体の変化と、周囲との関係に悩み始めたのは何歳の頃だろう。


私は自分の人生が、どんな人生かを知りたがっていた。
生きる意味を、人生のゴールを先に知って、安心したかったんだと思う。


そのために、自分を探していた気がする。
2023年まで。

たぶん、将来のことを考え始めてからずっと。


▶︎ 令和5年12月4日(月)

いつも通りの日常。
でも、今週は忙しくなりそうだぞ!
慌ただしくてなんだかイライラしてきたぞ!

▶︎ 令和5年12月5日(火)

朝方、しょうもない記事を公開。
ストックしていた記事だった。

タイトルから思いついて、面白くかけたかなとは思った。
でもなんかな、と思うところはあった。
ちょっとモヤっとしながら公開した気はする。

なんだか今日も忙しい!
色んなことが重なって久々にストレスマックス!

ビールを飲んでスッキリした気がするけど……?
何かがモヤってる。

朝、公開した記事が、胸に刺さってるっぽい。
なんでこんな記事載せたんだよ~、私〜!と思った。

書く作業は自分探しの一環だった。
自分も見つからないし、うまくも書けない。
考えても答えが見当たらなくて、なんで睡眠時間削ってまでこんなことしてるの?って気持ちにもなった。

なんか吐き出したくなって

その勢いのまま、記事を書いて公開した。

▶︎ 令和5年12月6日(水)

朝っぱらから泣いた。
なんとかやり過ごして、踏ん張れそうな気がして、踏ん張るんだと思った。
この三日間の出来事をきっかけに何か変われればいいなと思った。

いつだって、何かを変えたいと思うなら、自分が変わるしかないんだと思ってる。

そんな時に開いたのは、秋山ジョー賢司さんの「心を鍛える技術」

不安要素を取り除く方法。
自分の欲求を理解すること。
前向きに考えるメカニズム。

読み進めていって、スッキリした。
そして、生きる意味を知りたがっていた自分がいなくなった。
自分探しはもうやめようと思った。

自分の強みや大切にしていることを中心に、生きていく方法があることを知った。

▶︎ 令和5年12月7日(木)

まだnoteを書く気にはならなかった。
書くことが好きだけど、何を書けばいいのかわからなくなって本を読んだ。

田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」

すごく砕いて書いてあった。
わかりやすくユーモア満載で、読み物としても楽しく読めた。
学びも多かった。

楽しく書いていい。
自分のために書いていいと、正当化してもらった気がする。

書くことは楽しい。
白い画面に黒い文字が埋まっていく。
自分が考えたことが形になる。

普段考えていることと、自分でも気づかない無意識下の思考が混じっていくのが好きだなと思っている。

私にとって書くことはアウトプットであると同時にインプットでもあるんだな、と思った。
いちばん身近なひとり遊びかもしれない。

何より私自身を楽しませることができる文章を探していきたいと思った。

▶︎ 令和5年12月8日(金)

自分のためにnoteを書いた。

楽しんで書いて、読み返してもアホらしくて好きだった。
支離滅裂だけど、いい感じに回収できて満足できた。

ストレスフルだった今週の出来事を私なりに消化して、いい思い出に変えることができた。
完全に自分のための記事で、大袈裟ではあるけど嘘はなく読み返しても「がんばったね私」と励ますことができるだろうな、と思った。

自分に向けてのストーリーテリングが行えた気がする。

▶︎ 令和5年12月9日(土)

Xで田中泰延さんの対談を見つけた。

誘われるように対談相手の古賀史健さんと岸見一郎さんの「嫌われる勇気」を読んだ。

今週感じた私の自分探しの答えみたいなものを強固なものにしてくれた。

私は悩める青年だった。
いつまでたっても青二才だ。

尻に蒙古斑はないけど、右肩にちっちゃい青いあざがある。
これって蒙古斑かな?
だから青二才のままなのかな?

まあいいや。
海も空も青いなら、私も青いままだっていい。
(好きなの。このフレーズ。お気に入り)

この三冊は、またゆっくり読み返そうと思う。
開く度に新しい発見がある気がする。

文字が読めてよかった。
本を買うお金があってよかった。
踏ん張ってよかった。
そんなふうに思った。




2023年の年始に、自分が何をしたいのか、何が本当に好きなのかを知りたい、知りたいことを探す、と言う目標を自分に掲げた。

目標を定めるのは、毎年のことだ。
完璧主義な私は年末が近づくにつれて焦っていた。

今年の目標は達成しなさそうだ。
もしかして自分探しは来年に持ち越さなくてはならないのだろうか。

それが嫌で、なんとなく後付けで「これかな?」「あれかな?」なんて、自分っぽいものを探しては捨てて、捨てては探した。

何かに勝手に意味を見出して、それを私の運命だと決めつけて人生を進めようと思っていたのだ。

自分のやりたいことを見つけて、完走することこそが、正しい人生のあり方じゃないかと信じていた。
かっこよく生きている人たちの背中が、私にはそんな風に見えていたのかもしれない。

母親になってから、30代を過ぎてから、そういう生き方を好んでしてきたような気がしている。
ロールモデルを見つけて、それを模倣する人生。

母親の私、働く私、妻の私。
理想を肌の上から羽織った。
憧れるものが増えれば増えるほど、私の肩は重くなった。

そのおかげで筋力はついた気がするけど。
亀仙人が背負ってる甲羅みたいなもんだ。
いつの間にか鍛られているやつ。

気づかないうちに強くはなったけど、
要領もよくなったけど、
でも、私自身がわからなくなってしまっていた。

見た目ばかりにこだわって、皮が厚くなって、厚めに皮をむいて、中の種を取り除いたら、可食部がほんの少ししか無かったみたいな、あんまり甘くないメロンみたいだなって思った。

すっからかんみたいな気がした。


皮を剥いたら、結局13歳の頃の私のままのような気がした。

何も成長していないみたいで虚しくなった。
それで、もう一度新しい自分を探したくなって、まだ成長できるんじゃないかと思って、目標を立てたんだ。

でも、この一週間でやりたいことも、生きる意味も探さなくていい、と思った。

見た目だけ整えて、カッコよさそうな、みんなに自慢できるような、胸を張って人生を全うできたと言えるような、そんなものを選びたがっていたんだと思う。

私が読んだ本には、そんなことしなくていいんだと書いてあった気がした。

今回選んだ本は、たまたま目についてkindleで買ったり、数珠繋ぎで買ったりした本だ。
でも、読み終わって最小公約数があることに気づいた。


「わたしを生きる」


「わたし」は探しに行くモノじゃない。
どこにも落ちてないし、拾えない。
ずっと側にあったのに、身近すぎて見えてなかったのかもしれない。


横山やすしの「メガネメガネ……」状態だ。
ちょっと違うか。


私がそこに注目して読んだから、そう思ったのかもしれないけど。
メガネを見つけたら、視界がクリアになった。

ぼんやりとしていたことが、文字になって私の中に入ってきて、それでいいんだと思った。
ピントがあった気がした。


スキップしながら、鼻歌歌って、鼻ほじって脱線しまくりの私でも、楽しくって仕方がないって言えるように生きていきたいな〜なんて思いながら、また、本を読んだ。

自分探し終了の締めくくり。


▶ 令和5年12月10日(日)


古賀史健さん「さみしい夜にはペンを持て」


この本は13歳の子どもたちに向けて書かれている。
日記を書くことで、自分と向き合って自分を好きになることができるということをストーリーを通じて教えてくれている。

悩める思春期の子どもたちに向けて書かれた優しい自己啓発本だ。

絵本のような海の中の世界は、優しくやわらかく描かれているが、時に冷たい海のように私が通ってきた13歳のあの頃と何も変わらないようにも思えた。

読み終えた時、じわっと胸が熱くなって、涙が止まらなかった。


43歳の自分探しをやめた私と13歳の頃の悩んでばかりいたわたしが、この本の中で再会したような気持ちになった。


13歳の頃の日記はもうどこにもないけれど、きっといつかこのnoteを読み返した時、今よりシワと白髪の増えた私が43歳の私を抱きしめてくれるような気がしている。



ということで、noteさんの末永いご活躍を祈念しております。













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