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『美しい(!?)あの時 学生時代~私の中学・高校時代の【思い出】~』

最近、『X』で学校や職場でのいじめや人間関係の悩み、不登校や職場に行けない悩みについてのアカウントを目にすることが多く、こんなにも悩みを抱えている人が多いのかと驚いているのですが、同時に自分の学生時代のことを少し思い出している今日このごろです。今回は、私の学生時代の事を少しお話ししてみたいと思います。
私は、中学・高校と孤立していました。特に中学の頃は周りと比べて身体が小さく、動きもペースも人よりゆっくりで周りになかなかついていけず、それが男子たちからの恰好のからかいの的となってしまいました。特に1年の時には男子たちからのからかいや暴言がひどく『ブス』『妖怪』『汚い』『触るな』『近寄るな』と罵詈雑言浴びせられたり身体が近づいたり通り過ぎる度にまるで汚い汚物か何かのように身体を避けられたり、何をやっても何を言っも執拗に絡まれて、これには本当に困りました。無理やり合唱祭の指揮者を押し付けられ、案の定全くまとまらず結果など出るはずもなく、それを私のせいだと責め立てられた事もありました。突き飛ばされたりといったこともありました。親の悪口を言われたこともありました。そして、見た目やヒエラルキーを気にする年頃の女子たちからは、やはり異質に映ったのでしょう。ひたすら遠巻きに白い目で見られていました。先生たちも一生懸命注意してくれていましたが、そこは思春期・反抗期真っ盛りの怖いもの知らずの中学生男子達。1年の時の担任の先生は線の細い小柄な女性の先生だったのもあり、一生懸命注意しようとしたりしてくれていたのですがもう完全に舐められてしまって全く効き目が無く、事態は良くなりませんでした。
因みにその担任の先生は、その後私の在学中にはクラス担任を持つことはありませんでした。私は、先生が担任を持たなくなったのは私のせいかなぁ・・・とぼんやり思っていました。
中学時代のいじめというのは、時と共に標的が移ってくるものなのか、男子達からの執拗な暴言やからかいはだんだん軽減してきたような記憶です。
当時のクラスでいじめのリーダー格でガキ大将的な存在だった男の子がいたのですが、ある日その子の母親からいきなり謝罪の電話が来ました。担任の先生が話したのでしょう。(今思えば、こういう時うやむやにしてしまう加害者側の親も多い中、例え形だけだとしても謝罪の連絡をしてきたのは親御さん、偉いなと!)その時、私は余計なことは何も言わず「大丈夫です。気にしてませんので、もう気にしないでください。」と言いました。
今となっては、もう少し辛かった気持ちをぶつければよかったかな、と思ったりしています。
その男の子は、まぁ、彼の周りの人間関係も色々あったのでしょう。気がついた時にはだんだん影が薄くなり、やがて転校していきました。今どこで何をしているのか、知るべくもありません。
高校の頃は高校の頃でこれまたよく分からない日々で・・・専門学科の高校を選んだのは良かったものの環境や人がが合わなかったのでしょう。いわゆる【陽キャ】タイプの人が多くて陰キャで要領が悪く人付き合いの苦手な私はたちまち孤立。とにかく存在自体無視。もしくは腫れ物扱い。何とか話しかけてみてもまるで変な人に話しかけられてしまったかのような反応。遠巻きに私を見ながらあっちでヒソヒソこっちでヒソヒソ・・・
周りとコミュニケーションを取れないせいもあってか成績も振るわず、教師たちからも嫌われてました。唯一まともに会話をして褒められたのは専門学校に合格した時だけでした。『一番辛いのは嫌いよりも無関心』とはよく言ったものです。
いじめていた人達や白い目で見ていた人達を今恨んでいるかどうかは自分でもよく分かりません。別に不幸になっていればいいとか復讐してやりたいとかは思っていないけれど、ただもう少し皆と上手くやれなかったのか、出来たはずなのではないかと。一番良かったはずの青春時代の時間を、勉強にも部活にも行事にも打ち込めず無駄にせてしまったなぁと惜しむ気持ち、後悔が大きいです。だから私は、卒業アルバムをなかなか見ることができません。何だか辛くなって。
これが、私の中学・高校時代の【思い出】です。
今の中高生の人達には、今しかない貴重な10代の時間を少しでも楽しんで過ごして欲しいなと思います。学校に馴染めなければ別の自分らしくいられるコミュニティーを探しても良いと思う。今の時代なら沢山それがあると思う。勇気を出してぶつかって活路を見出しても良いし、逃げたって良い。それも一つの勇気。
後になって私のような後悔はしないで欲しい。



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