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留学して気づいた、他人と自分のアイデンティティを比較しなくなる方法

留学で得られることってたくさんありますが、一番自分が影響されたことの一つが、「みんな違ってみんないい」ということです。

私は小学校を卒業して、オーストラリアのメルボルンで学生生活を過ごさせてもらいました。寮を経験し、ホームステイを経験し、現在一人暮らしをしています。

まず来て思ったのは、「メルボルンってほんと多国籍だなあ」ってことです。

オーストラリアという国は、特にメルボルンは、他の国と比べてもかなり異質です。
もともとアボリジニの先住民の方が何万年も住んでいた土地にイギリスからの流刑者や貴族出身者が植民地化し、ゴールドラッシュや第二次世界大戦でアジア、イタリアやギリシャなどから大量に移民が移り住み、現在メルボルンには200以上の民族別のグループがあります。

なので、学校や大学で会う友達もステイ先のホストも、肌の色に関わらず、ハーフやクオーターの人ばかりでした。
もともとオランダから移住してきた寮母さんやハンガリー人の血を引く同級生、中国系オーストラリア人の先輩。勉強のために留学してきて、最終的にオーストラリア人になったモーリシャスからの大学講師。

そんな人々に囲まれていると、自分のアイデンティティについてもっと知りたくなったり、自分の周りの人を人種のレンズを通さずにみられるようになった気がします。

そこからもう一歩先に行くと、人種だけでなく、宗教の違いや文化の違いも当たり前になっていきます。

カトリック系の高校に通っていたのですが、宗教の教科の一環で仏教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、ヒンドゥー教、それからシーク教を調べて、それぞれの寺院に行ってみるという課題がありました。

今思ってみると、なんてラッキなー課題だったんだろうって思います。まず身近にそんなにいろんな種類の寺院があるだけですごいんですけれど、何よりも「どんな宗教を信仰していても、みんな基本的に優しい」ってことを肌で感じられたことで、自分の物の見方が少しオープンになった気がします。

みんな違うっていうことを自分が受け止めると、自分も周りと違っていいんだって思えるようになる、といった感じですね。

だから、昨今のメディアで人種や宗教を一緒くたに非難する人をみかけると、「いやいやそれは誤解の種だよ」って思っちゃったりします。日本で就活で皆同じ格好をしている様子をニュースで見ると、いろんな疑問が湧いてきたりします。

自分らしさってよく言われますけど、結局は周りの人々をありのまま受け止めて、それぞれの個性を受け入れるところから始まるのではないでしょうか。


最後まで読んでくださってありがとうございます!明日は海外の高校の美術の教科について書こうかなと思ってます。スキしてくださると明日も頑張るぞって気にさせてくれるのでよろしくお願いします ^_^

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