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モノを永く使える人になりたくて。#未来のためにできること

買い物はどれにしようか、選んでるときがいちばんわくわくする。
そしてあんなにキラキラ輝いて見えたのに、手に入った途端にゴミのように思える。
そんな経験、誰にでもあるんじゃないだろうか。




もともと私はモノに対してこだわりがない方だ。
「エルメスのバッグを買うために毎月ちょこちょこ貯金してようやく買った」なんてエピソードを聞くと自分には絶対にできないと思う。

そんな「ずっと欲しかったもの」なんて、ない。



所有欲については自論がある。

所有欲とは、見たもの、聞いたものから生まれ出ると思う。

テレビで紹介されていた老夫婦がやっているカツ丼が名物のレストラン。
ラジオで好きな芸人が愛用していると言っていた香水。
インスタの広告で見た話題のインフルエンサーが紹介していた化粧品などなど。 


それを見るまでは、頭の片隅にもなかったのに、急に「あ、これ欲しい」と思うその感情。
ぜんぶ、他人からインプットされたもの。


自身の経験から、情報を遮断すれば物欲というものは自然となくなってしまうとわかった。
所有欲とは本来他人が欲しがっているものを、自分が欲しいものと勘違いしているだけである場合が多いんじゃないか。




「なにいってんの?やっぱり変人だね」と元カレには言われたが、この自論は正しい部分もあると思っている。



そんな自論を持ち、モノにこだわりがない私は、モノを大切にできない。だからこそ、長年同じものを使っている人に密かに憧れていた。




大人になれば勝手にそうなる、ずっとそう思っていたけど、30歳を超えてもそうならない。
どうやったら「長年愛用しているもの」を生み出せるんだろう。



そうだ、人との繋がりをモノに込めよう。



我ながらすごく妙案だとおもった。
早速、誕生日に夫に財布を選んでもらったり、魔法瓶の水筒を親友とお揃いで買ったりしてみた。よく使うものは自分で選ぶのが好きなので、人に任せるのはちょっとこわかったけど。



使ってみると財布はちょっと大きい。
魔法瓶は食洗機不可なのがめんどくさい。

小さい不満をあげればキリがないけど、どうも今までみたいに安易に「じゃあ変えようか」とならない。むしろ欠点も愛おしい。「大切にしてる自分」も好きだ。



「買ってくれたものだから」
「お揃いだから」




人が込めた想いって、思った以上に重い。
でもその重みが心地良い。
使っても眺めても気分が良い。




これが「長年の愛用品」が萌芽する瞬間なんじゃないかと、ふと思った。

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