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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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#北海道

一心になる心

一心になる心

一心になる心は、子供をこしらえる時のようなぐあいに思い知れよ。

 金光教教典
 359頁
 鳩谷古市
 4

おはようございます。

鳩谷古市さんが一心についてお尋ねになりました。「一心と申すこと、はなはだむつかしきものと思います。拝みながら、いろいろのことが思われましたり、心の内がどさくさといたしますようにござりまするが、どういうものでござりましょうか」

このお尋ねに対するお言葉が上の御教え

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神様にも信心して、ほれこめ

神様にも信心して、ほれこめ

氏子、ほれるということは、じゃらじゃらしたことのようなが、これは実に結構なることであるぞ。ほれたとなると、ほれた人のためには、たとえ自分の命が果てるとも、火の中、水の中でもいとわぬと思うものであるが、たとえほれても、人の女房にはほれるな。

大工、左官、職人ならば、親方にほれよ。親方にほれたら、何でも親方の言うことをよく聞き、横着気のなきものなり。そうすると、親方もこれを見て、この弟子は実に横着気

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何事も届け知らせねばならぬもの

何事も届け知らせねばならぬもの

隣同士で、表口は別にして、裏は境あるといえども塀もなし、一所のようなる所、おりおりあり。

干し物する時に、「うちの裏にては足らぬ。今日は隣の裏を借りて干さねば足らぬ」と言うて、隣には今日は裏もいるまいぞと思うて、声をかけずに干し物をしたとする。

すると、ようしたものじゃ。声をせぬ時に重なるものなり。「うちの裏へ隣が今日は干し物をしておるような。隣は何か断りを言うて来たか」と家内にたずね、「いや

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黙りてすると悪いぞや

黙りてすると悪いぞや

普請作事するにも、何事も前々に神様へ向かいお願い届けすれば、お許しお聞き届けに相成る。黙りてすると悪いぞや。

「ここは広い所じゃ。お上にも使われぬ。じゃまにはなるまい」と思うて、つい少しの建物をしてみよ。巡査が見ると、とがめる。

使われず、いらぬ所と思うたら、払い下げにしてもらえ。それから堂々と建ててみよ。だれも、とがめる者はなし。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようござ

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汚れ不浄はおやめ、お許し

汚れ不浄はおやめ、お許し

親が死去して、四十九日の忌服(きぶく)ということあり。その四十九日の間に病み患いをいたし、それ医者の薬じゃ、または氏神にて勢祈祷と申した時、まだ親の忌服がすまぬ四十九日のうちならば、氏子一人と駒千匹ともかえとうもないと、例えにさえ申す氏子を、気の毒ながら見殺しにせねばなるまいがのう。

それゆえ、この金神は汚れ不浄はおやめ、お許しに相成っておる。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

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言うて聞かして、人を助けよ

言うて聞かして、人を助けよ

合点がいったら、人に言うて聞かして、おかげを受けさせい。お前は、ぼとぼと楽じゃから、言うて聞かして、人を助けよ。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

今日まで4回に分けて天地の道理や信心というものについてのお話がありました。
それに合点がいったらそのことを「言うて聞かして、人を助けよ」とおっしゃいます。

信心とは、お礼と御用に尽きます。
生かされて生きているこ

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月役は人間のできるもと

月役は人間のできるもと

女の月役(つきやく)を汚れ不浄と申しておるが、これは大間違い。この金神は、月役を汚れ不浄とは申さんぞ。

月役は人間のできるもとであろうがな。これが汚れ不浄なれば、女も男もみな、いつまでも汚れであるぞ。

ここをよく承り、合点しなされよ。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

月末を迎えさせていただきました。ありがとうございます。
北海道は3月の声を聞くとほっとす

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日柄方角、汚れ不浄ということをお廃し

日柄方角、汚れ不浄ということをお廃し

汚れ不浄ということも昔はあれど、ただいまにてはお廃しとなりました。

西の方から江戸まで行っても、関所ということもなし、また総門(外回りの門)ということもなし。

日本国はあけ放しとなり、お上よりご規則が変わりたから、金神様もご規則お変えなされ、日柄方角、汚れ不浄ということをお廃しとなりました。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

国の規則が変わったから、日柄方

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商売なら繁栄を願え

商売なら繁栄を願え

商売なら繁栄を願え。百姓なれば満作を願え。繁栄すれば金銀に不自由なし。それ、かかり物(公共負担金)じゃの、それ税金じゃのと申しても、さしつかえなく出せば戸長さんに叱られることなし。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

体の丈夫、商売の繁栄、百姓の満作。
当たり前のことを願う。そして、そのおかげを頂く。生きることの根本だと思います。恋愛は成就したいし、試験には合格

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好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい

好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい

好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい。下戸に酒を持って行っても飲まぬ。好きで食べれば、血肉になりて身が丈夫になる。丈夫になれば、神様に、痛いから治してくだされと言うことなし。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

鳩谷古市(はとや・こいち)という方は、今の岡山市の人。明治7年か8年の頃、教祖様のお広前にはじめて参拝しました。

この時、鳩谷古市さんは、自分は

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今日からは、双方ともに神である(続き)

今日からは、双方ともに神である(続き)

今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

「双方ともに神である」とは、人がそのまま神であるということです。今日は、このことについて求めていきます。

最初に申し上げておきますが、これは、わたしがこのように頂くということ

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今日からは、双方ともに神である

今日からは、双方ともに神である

今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

仁科志加先生が裸参りをしていくと、教祖様は「神に一心が届いた」とおっしゃいました。そのお言葉に続けておっしゃったのが、この御教えです。

神になるとは、夫であり妻である、それは

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神に一心が届いた

神に一心が届いた

今日は神に一心が届いた。寅の年の病気も、さっそく全快をさしてつかわす。その方は、まことに一心の定まる女である。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

自分の腹から練りだした信心をせよ、そうでないと夫の病気のことにつき取り返しのつかないことになると教祖様に言われて、志加先生はその帰り道、裸参りをしようと思い立ちました。

帰ってそのことを母親に話すと、母親は反対をし

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自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない

自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない

人に教えられてするような信心ではおかげにならない。自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

一心が足りないとあとで悔やむことになると、教祖様から御教えを頂かれ、志加先生は、いっそう信心に励まれました。

それでも、「まだ信心が足らない。二月八日が来るぞ」とのご理解があり、ある日、「一生懸命に信心しないと、取り返

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