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汚れ不浄はおやめ、お許し

親が死去して、四十九日の忌服(きぶく)ということあり。その四十九日の間に病み患いをいたし、それ医者の薬じゃ、または氏神にて勢祈祷と申した時、まだ親の忌服がすまぬ四十九日のうちならば、氏子一人と駒千匹ともかえとうもないと、例えにさえ申す氏子を、気の毒ながら見殺しにせねばなるまいがのう。

それゆえ、この金神は汚れ不浄はおやめ、お許しに相成っておる。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
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おはようございます。

忌服の時は神様へのお参りをしてはいけないことになっていました。ですから、その時に病気になったら神様にお参りしたいと思ってもお参りはできません。

願ってこない氏子は助けようがないとおっしゃる神様ですから、忌服だからと言って参って来ない氏子が歯がゆくてなりません。
だから、汚れや不浄は言わないのだとおっしゃいます。

「汚れだ不浄だと言わずに願ってきてくれ」というのが、神様の悲痛な願いであるように感じられます。

氏子が大切なことを「駒千匹ともかえとうもない」と表現しておられます。今日で言うならスーパーカー1000台とも替えられないほど、ということでしょうか。

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汚れ不浄に限りません。
忙しいから、天気がよくないから、お金がないから、面倒だからと、色んなことからお参りしないことがあります。

でも、お参りして来られた方、願ってこられた方は、必ず助かっていかれます。

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今日、北海道は春の嵐です。JRはほとんどが運休しています。
窓の外を見ると、細かい雪がどんどん降っています。

本格的な春を迎えるためには、どうしても通らないといけない関門のようです。

外を見ながら「この嵐、今日でよかったなあ」と思っています。明日だったら、この荒天が月例祭とぶつかるところでした。

どうぞお大切に。

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